三八三年 実の七日
「おはよう」
朝、いつものように店に来ると、既に起きてきていたジェットに思い切り上から見下ろされた。
「…おはよう、ジェット…」
身長差があるので、正直かなり圧が強い。
何事かと思いながら、テオはそそくさと厨房に逃げる。
「ククル、おはよう」
「おはよう。ごめんね、エト兄さんが…」
昨日話したの、とぽそりとククルが呟いた。
どうりで、と苦笑する。
ジェットにとっては唯一の肉親でこれ以上ない程かわいい姪。いくら自分が甥に近い関係でも面白くないのだろう。
(…前は焚きつけられた気もするんだけどな)
苛立ち紛れに飲みすぎて、ククルに迷惑をかけたなと苦笑する。
ともあれ、確かにいくら旧知の仲でも、自分も男として宣言しておいたほうがいいのだろう。
気合いを入れ直し、もう一度ジェットの前へと戻るテオ。
「ジェット」
「何だ」
少し不機嫌そうに自分を見るその顔に、いつぞやナリスを見ていた実父の顔を思い出し、同じだなと内心笑いながら。
「今すぐは無理かもしれないけど、何度だって挑むから」
まっすぐにジェットを見据え、決意を伝える。
「いつかは認めてもらえたらって、そう思ってる」
力強く言い切られたその言葉に、ジェットの瞳に浮かんだ驚愕はすぐに柔らかな笑みに成り代わった。
「……とっくに認めてる。何てったって俺の自慢の『弟分』なんだからな」
くしゃりと頭を撫で、嬉しそうに微笑んで。
「クゥのこと。よろしく頼む」
託された言葉と責任に、テオはぎゅっと拳を握りしめる。
「ああ」
迷いなどない声で、ただ素直にそう返した。
訓練が始まった。
まだ初々しい新人ばかりの訓練生たちは、朝食を終えて少し緊張した面持ちで訓練へと向かった。
用心の為、今回は訓練への参加を取りやめたテオ。
おそらく参加したかっただろうと、ククルは申し訳なく思う。
一緒に個人訓練を受けていたリックからしても、初めてのお手本役、テオがいたほうが心強かっただろう。
大丈夫だからと言ってはみたが、心配で訓練どころじゃなくなるからと笑って返された。
だから今回は、自分の安全を優先してくれたテオの気持ちに素直に甘えようと思う。
それに、こうしてテオが隣にいてくれることは自分だって嬉しい。
仕込みを始めるテオをちらりと見る。
訓練中は宿の手伝いがないので、朝から晩までずっと一緒だ。
(…ずっとって……)
何だか急に恥ずかしくなり、ククルは慌てて手元に視線を戻す。
不安も心配も、まだ残ってはいるのだが。
それでも穏やかな静寂が、今は本当に嬉しかった。
仕込みも少し落ち着いた頃にウィルバートがやってきた。いつものようにカウンター席に座り、改めてククルを見つめて安心したように微笑む。
「当日の詳しい話も聞いたんだ。本当に無事でよかった」
素の口調な分、感情も読みやすく。わかりやすく安堵を滲ませるウィルバートに、ククルは心から感謝を述べる。
「ありがとう。心配かけてごめんね、ウィル」
「心配する間なんてなかったよ」
柔らかな声音は本当に今まで通りで。
変わらず接してくれることが本当に嬉しかった。
「一応動向がわかるまでジェットたちにはここに残ってもらうから。俺も本部でどうなってるのかわからないから、それくらいしか言えないけど…」
「大丈夫よ。ワーグさんも、任せると言ってくれたから…」
スタインは帰り際に、訓練が終わって進展がなくても、ここに迷惑をかけるようなことはしないと約束してくれた。
拐おうとしながらも自分を気遣い、決して怪我をさせるようなことはしなかった。そんなスタインが約束を破るとは思わない。
ただ、拐われたというスタインの娘のことは気掛かりで。もしこのまま自分が行かねば彼女はどうなってしまうのだろうかと、いつまでも棘のように残る不安があった。
だから。皆には反対されるとわかってはいるけれど。
訓練中に事態が収束しそうにない場合には、自分が予定通り拐われることで一縷の望みに賭けてみようと決めていた。
きっとまた迷惑も心配もかけることになると思う。しかしそれでも、自分にできることがあるとわかっているのに目を瞑ることはできない。
事前に言っても何もかも仮定では説得などできないだろうと踏み、もうあとのない四日目の夜に話すつもりだった。
もちろん彼女の身代わりにまでなるつもりはない。だから皆にきちんと自分の気持ちを話して助力を願い、納得してもらった上でと思っている。
しかし願わくば、そんな話をせずにすめば、と。
ここから祈ることしかできない自分をもどかしく思いながら。
ククルはまた少し憂慮を見せるウィルバートにお茶を出した。
午前、午後と経て、徐々に疲れを見せる訓練生たち。しかし夕食を食べに来た彼らの顔は、疲れこそすれ落胆はなかった。
そんな八人と共に楽しそうに話すリックの姿。
どうやらお手本役は上手くいっているようだと、テオと頷き合う。
和やかに食事を終えた頃を見計らうように、アリヴェーラが店へとやってきた。
「リック! 追加訓練、やりたいならやるけど?」
「え?」
がたりとリックが立ち上がる。
「いいんだ…?」
おそらくロイヴェインが不在なので無理だと思っていたのだろう。呆然と呟くリックに、アリヴェーラはロイヴェインの顔で口角を上げた。
「当り前だよ。で、どうする?」
「やりたい!」
「決まりだね。皆は見学においで」
そう笑い、アリヴェーラはククルを見る。
「じゃ、ククル。俺の食事はあとでお願い」
「ええ。皆の夜食も準備しておくわね」
「ありがと」
行ってくる、と手を振って出ていくアリヴェーラ。リックたちが慌ててトレイを下げて追いかけた。
慌ただしいその様子を見送ってから。
「……すごいな」
ぼそりと呟くテオの顔には、もはや苦笑ではなく感心が見える。
「本当ね」
心からそう同意してから、ククルはアリヴェーラの為に見た目程重くない食事を用意することにした。




