三八二年 動の三日 ②
その日の夕方、店番をするといってやってきたのは、ナリスとリックのふたりであった。
見るからに楽しそうなナリスとは真逆に、仏頂面で入ってきたリック。嫌々やらされていることは明白なので、素直に受けてしまっていいのか躊躇する。
「社会勉強がてら行ってこいって、ダンがね」
余程困った顔をしていたのだろうか、ナリスが笑って説明してくれた。
ギルド員が食堂で一体何の勉強ができるというのだろうか。
ダリューンの無茶な提案に苦笑して、わかりましたと答える。
「退屈でしょうけど、よろしくお願いします。あの、好きなときに戻っていただいて構いませんので」
こくりと頷いたリックがカウンターの真ん中の席に座る。昨夜ここに座っていたからだろうが、一番互いが見える席だということに気付いていないのだろう。
まず何を用意するかをふたりに尋ね、ククルはカウンター内へ戻った。
正直気にはなるが、ダリューンに言われたように、いつも通りするしかない。
ナリスには酒、リックにはお茶を出し、ふたりでつまめるようなものをいくつか並べて置いた。
最初こそ意識したものの、客が入り出す頃にはすっかり慣れてしまい、ふたりに食事を出す頃には完全にいつも通り動けるようになっていた。
用意された食事を食べながら、リックはせわしなく動くククルを見ていた。
こいつのせいで、と思っていた。
ジェットが辞めると言い出したのも、こんな何もない町に何日も滞在しなければならないのも、全部この少女のせいなのだと。
しかし、ここでのジェットの様子にわからなくなった。
いつもより自然で柔らかい表情。基本どこにいるときもずっと張り詰めているのに、ここでだけは肩の力が抜けている。懐かしそうに昔の話をして、少年のように屈託なく笑う。
(…ここでしかジェットは安心できないのかな…)
何となくそう思って、少し寂しくなった。
沈んだ気持ちで目の前の肉を口に運ぶ。本人は気にするなと言うが、ジェットの前では食べ辛い厚切りの肉は柔らかく、濃厚なソースと相まって美味しかった。
ソースの染み込んだ芋を食べながらふと視線を上げると、少し心配そうな顔で自分を見るククルと目が合った。
「お口に合いませんでしたか?」
何故かそんなことを尋ねてくるククル。
「いや、大丈夫だけど…」
何でそんなことをと思いながらそう返すと、それならよかったですけど、と、どうにも曖昧に言われる。
わけがわからずナリスを見ると、呆れたように溜息をつかれた。
「難しい顔して食べてるからじゃない?」
「え? 俺そんな顔してた?」
頷く代わりに苦笑され、リックは慌ててククルを見る。
気を回していたことをばらされ、困ったような笑みを見せて。
「何か不足があれば言ってくださいね」
ククルは取り繕うようにそうつけ加えた。
少し慌てた様子で仕事に戻るククルを眺め、リックは内心怪訝に思う。
(ひょっとして…心配されてた?)
初対面からろくな態度を取らなかった。ダリューンにもナリスにも注意され、ジェットに謝られてもやめなかった。そんな相手に。
(…何だよ、これじゃあ―――)
ぐさりと肉を突き刺し、食べる。
(―――俺だけ、ガキみたいじゃんか)
苛立ちというには少し気恥ずかしさが勝る、そんな感情に任せて次々口に運ぶ。
がっつくリックをちらりと見て、ククルは安心したように表情を緩めた。
「クゥ〜!」
ガラン、とドアベルが大きく鳴る。
「やかましいぞ、ジェット」
笑ってぼやく住人に軽く謝り、ジェットはリックとナリスの間にやってきた。
「メシ食ったか?」
「うん。ジェットは今から?」
「ああ。宿の分とダンと俺と。向こうで食うから」
後半はククルに向けて、ジェットは告げる。
「わかったわ。テオ」
「俺行こうか?」
「いい。あとお願い」
トレイにいくつか食材を積んで、ククルは作業部屋に入っていった。
「ジェット、お茶は?」
「いや、いい」
そう断ってから、パンを詰めるテオをニヤニヤと見る。
「何だよ」
「すっかり馴染んだな」
「そう見えるならよかったよ」
照れもせず、パンの籠を渡される。
何だか少し面白くない。
「…なぁテオ」
「だから何?」
「クゥはやらんぞ?」
ちょっとした出来心で、昨日ウィルバートに言ったものと同じ台詞を言ってみる。
途端に動きを止めたテオが、半眼でジェットを見た。
「…ジェット、それ、ククルに聞かれたら確実に説教だからな?」
ぶはっとナリスが吹き出す。
かわいい弟分は、幼馴染のことを誰よりもよくわかっているようだった。
その夜、リックがダリューンの部屋を訪ねた。
珍しく考え込むようなその表情に、ダリューンは何も言わずに迎え入れる。
扉前に立ったままのリックは、何度かためらうように口を開きかけたあと、かぶりを振ってうなだれた。
「…わかったんだ」
ダリューンを見ないままの、小さな独白。
「皆の言うように、あの人のせいじゃない。それはちゃんと、わかったよ」
ジェットが来るなり奥に入っていったのは、肉嫌いのジェットの前で調理をしない為だとあとで気付いた。突っぱねた態度しか取らなかった自分のことまで心配するような人が、ジェットにギルドを辞めるよう言うわけがないだろう。
だけど。
「…でもさ、わかんないこともあるんだよ」
ここにいる間のジェットの様子を思い出し、リックは拳を握りしめる。
「ジェット、英雄辞めたいのかな」
町での彼の様子を見ていると、ほかでは無理をしているように思えた。
自分の憧れた英雄。それはジェットにとってもはや重荷なのだろうか。
ダリューンは手を伸ばし、うつむくリックの頭を撫でる。
「…俺から言えることはあまりないが、ジェットは英雄であることが嫌なわけではないだろう」
心配するな、と慰める。
「だからリック。あいつ自身も見てやってくれ」
「ジェット自身?」
繰り返すリックの頭をもう一度撫でて。
ダリューンはそれ以上答えず微笑むだけだった。




