三八三年 動の三十二日
今日は午前、午後とも参加のテオ。
「両方早めには帰ってくるし。仕込み、慌てなくっていいからな」
「わかってる」
「大丈夫よ! テオの出番がないくらい、私が手伝うんだから」
前回の訓練から雑用だけでなく仕込みも手伝うようになったアリヴェーラ。家でも特訓してきたとの言葉通り、前回よりもさらに手慣れた様子になっていた。
否定しきれないことはわかっているのだろう、テオは無理するなよと苦笑いを浮かべる。
「じゃ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
「がんばってくるのよ」
テオを見送り、アリヴェーラとふたりで仕込みを始める。
「アリーにすっかり手伝ってもらうようになったわね」
「いいのよ! 楽しいもの」
ふふっと笑ってアリヴェーラが答えた。
「こんなふうにククルと料理ができるようになるなんて思わなかったわね」
心底楽しそうに翡翠の瞳を細めるその様子が、取り繕ってのものではないとわかってはいるが。
「私は嬉しいけど。アリー、本当は訓練に出たいんじゃない?」
あれ程ダリューンとの手合わせを熱望するアリヴェーラなのだ。本音を言うと訓練のほうがいいだろうと。
そう思い聞くが、アリヴェーラは頬を膨らませて首を振った。
「今回はもういいの! だってちっとも相手にしてもらえないし…」
ちらりと裏口の方へ視線をやって、悩ましげな表情で吐息をつく。
「私には利がないもの」
準備運動から始まった訓練。今日も当たり前のようにユーグが参加していた。
テオがちらりとエディルを見ると、慣れているのかにっこり笑われる。
挨拶のときに参加するとは言っていたが、すべての訓練と追加訓練に最初から最後までみっちり加わるつもりだとは思わなかった。
それに加えて、到着したその日にアレックに手合わせを願い出て、翌初日には自分とロイヴェイン、ゼクスたち三人、そして訓練生たちが請われた。
人の戦い方を知るのが好きなんだ、とはエディルの言葉で。今はアリヴェーラを必死に口説き落としている最中だそうだ。
もちろんジェットのパーティーも、エディルの件で知り合った直後に全員手合わせしていると聞いた。
初日は扱いに困っていたロイヴェインたちも、今では上手く訓練に組み込んでいる。
「じゃあまずは一回りしてきてもらおうかな。ジェット、先導よろしくね。ナリスは真ん中、ダンはうしろで」
ジェットが先頭の場合は間違いなく悪路を選ぶので、危険を含め全体を見るナリスを真ん中、追い立てともしものときに助ける為にダリューンをうしろに配置するのもいつものことだ。
エディルは前で皆を引っ張り、リックは真ん中でナリスの動きを見るよう言われる。
「テオは早すぎるからうしろで。ユーグは真ん中を頼める?」
「ナリス役ですね。了解です」
ユーグからは同じ訓練生なので呼び捨てでいいと全員言われていた。エディルも許可されていたが、頼み込んで今まで通り師匠と呼び、テオとリックを含めた訓練生たちもさん付けに留めている。
「もう訓練も折り返しだから疲れもたまってきてるだろうけど、終わりはあるからがんばって」
そう労いつつも、言い渡された訓練は山中を走るもので。
調子に乗って迷走するジェットに付き合わされ、結局一回りでは済まなかった。
少し落ち着いた頃に顔を出したウィルバート。滞在時間は長くはないが、テオ不在のときには必ず来るようになっていた。
「あら、また来たのね」
「遠慮することでもないですから」
くすりと笑うアリヴェーラに笑みを返し、ウィルバートはカウンター席に座る。
「少し休憩と思って」
「お茶、淹れるわね」
アリヴェーラがいても気にせず素の口調のウィルバートにつられ、ククルも言葉を崩していた。
「次回からまた人数が増えるけど、何人くらいまで大丈夫そう?」
「大部屋に入るだけ来てもらって大丈夫よ」
今回まではあの六人のうち誰かとリーダーが来ているが、次回はリックがお手本役。訓練生以外の人数が減るのでその分手は回るだろう。
「わかった。一年目ばっかりになるから、ちょっと相談してから決めるよ」
微笑んでそう言うウィルバートは、手紙のことなど忘れたかのように穏やかで。
和らいだその雰囲気に、ククルもまた落ち着いて前にいることができた。
今まで訓練中はふたりでもない限り事務員としての口調だったウィルバートが、こうしてアリヴェーラの前でも普段の言葉で話すのも、少しでもこちらの肩の力を抜けるようにだろう。
本当に、自分は気を遣わせてばかりで。
何も返せないことを申し訳なく思いながら、ウィルバートの前にお茶のトレイを置いた。
置かれたお茶に添えられていたジャムを入れて一口飲む。
少し瞳を伏せるように視線を落とすククル。いくらいつものようにとは言っても、時々こうして落ち込む表情を見せる。
もちろん自分もそうではあるが、何もかも忘れたように割り切ることができるはずがないと、ウィルバートもわかってはいた。
それでも最後に。この数日だけ。
ここへ来て、彼女に出会って。初めて知ったこの甘やかな時間を。
もう少しだけ、味わっていたかった。




