三八三年 動の二十六日 ②
アリヴェーラと閉店作業をしながら、テオはちらりと入口を見る。
ククルとロイヴェインが出ていってしばらく。ふたりはまだ帰ってこない。
何か話があるんだろうということはわかったのだが、アリヴェーラも教えてくれる気はないらしい。
心当たりがないかと聞かれて頷くと、ものすごく呆れた目を向けられた。
「ククルもどうかと思うけど。テオにも原因はあるわよね」
「俺が何で」
「そう思ってるところかしら」
そう言われて溜息をつかれ、心配するようなことじゃないとだけ教えてもらえて今に至る。
しかしそうは言われていても、ロイヴェインに誘われるままあとをついていくククルの背中はとても冷静に見送ることなどできず。
だからといって止めることもできず、こうして臍を噛むだけで。
苛立ちなのか嘆きなのか、渦巻く感情が何であるのかは自分にもわからないが。とにかくククルが戻る前にと、すべて押し込め呑み込んだ。
「ほら。そういうところ」
じっと自分を見ていたアリヴェーラが、吐息混じりに笑う。
「干渉しないことと無関心なのは違うけど、傍から見れば大差ないわよ?」
「じゃあどうしろって…」
「抱き止めて行くなとでも言ってみれば?」
「なっ?」
硬直するテオに、アリヴェーラが口角を上げた。
完全にからかわれていることを察し、テオは大きな溜息と共に身体の力を抜く。
「できるわけないだろ……」
「だからダメなんじゃない」
被せる声はからかうものではなく。心底からの呆れた口調に、テオは何も返せなかった。
もう少し話をさせてと言われて。
ククルはロイヴェインと並び、町の明かりを眺めていた。
「ゆっくり眺めるのは初めてかな」
瞳を細めて町を見下ろすロイヴェイン。そこに翳りは今は見えず。
内心ほっとしながら、ククルも明かりを眺める。
「ククルと外にいるってのが、まず珍しいよね」
「顔合わせと見送りのときくらいだものね」
そして一度、共に町を出たあのとき。
ロイヴェインがそれに触れてこないのは、その後の一件があるからだろう。
あのあとのことが自分にとってもロイヴェインにとっても『忘れたこと』となってしまった為、その直前の事故現場に行ったときの話をすることはなかったが。
あの日、事故現場に行き、泣くだけ泣いて。
両親が亡くなってからずっと心の一部を覆ったままであった靄が晴れたような、そんな気がした。
直後の騒動に改めて考える機会を失っていたが、今思えば、あの日自分はようやく両親の死を受け入れられたのかもしれない。
そしてそれは間違いなく、自分の隣、町を見下ろす彼のおかげだった。
「…事故現場に行こうって、ロイが言ってくれたでしょ?」
不意のククルの言葉に、ロイヴェインはびくりと身じろぎをした。
「……あのときは…」
「謝らないで。そうじゃないの」
沈む声音に何を言おうとしているのかを察し、ククルは止める。
「あそこで、私、みっともないくらい泣いて」
町を見たままのククルに、少し苦笑いしながらロイヴェインが視線をやった。
「……みっともないって」
「ロイが見ないでくれててよかったわ」
くすりと笑うククルの瞳はただ町の明かりを映すだけで、言葉を紡ぐ声にも悲哀はなく。
そこから夜空へと視線を上げて、静かな口調でククルは続ける。
「あのときにね、やっと私は父さんと母さんがもういないんだって、認めることができたんだと思うの」
夜空から、驚きの見える顔で見つめるロイヴェインへと視線を移して。
「向き合って泣けばいいって。本当にロイの言う通りだったわね」
ふわりと柔らかな笑みを見せる。
「あの日私を連れていってくれてありがとう。ロイのおかげで、私も少しだけ強くなれた」
あの日から、ひとりであるということを認め、それでも前を向けるようになったのだと。
気付くのが本当に遅くなってしまったが。
「本当にありがとう、ロイ」
心からの深謝を、ククルは述べた。
どこか呆然とククルを見ていたロイヴェインが、溜息とも吐息とも取れるような大きな息を吐いた。
「……ククルさぁ…わかってる?」
「ロイ…?」
「俺今好きな子にフられて傷心のとこに、友達よりも仲間がいいって言われて。こっちはほんっと必死に我慢してるのにさ…」
もう一度息をつき、眉を下げ、呟く。
「……トドメ刺さないでよ。…さすがに泣いてるとこは見られたくないんだから……」
「ごっ、ごめんなさいっ」
慌ててロイヴェインに背を向けるククル。背後から少し笑うような声が聞こえるが、もう振り向けなかった。
「ありがと。宿に戻るね」
かけられた声は穏やかで、泣いている声には聞こえないが。
「ロイ! 明日の朝食―――」
「ちゃんと行くよ」
立ち去る足音に振り向かないまま叫ぶと、明るい声が返ってくる。
「おやすみ!」
軽い口調ではぐらかし、明るい声で気遣わせないようにしてはいるが、おそらく先程の言葉は本心で。
自分が気に病まないように。ただそれだけの為に、こうして冗談めいた態度で終わらせてくれる。
そういう人だと、わかっているから。
急激に込み上げる涙に、ククルはぎゅっと両手を握りしめた。
「…おやすみなさい」
こんな声では届かないとはわかっていたが、涙の中では大声は出せず。
それでも返事を返してから、しばらくそこに立ち尽くしていた。
ククルが店に戻る頃には、既に閉店作業は終わっていた。
「ごめんね。ありがとう」
ふたりに謝辞を述べると問題ないと返されるが、テオには少し心配そうな眼差しを向けられる。
泣いていたことを勘付かれているのだろう。
ロイヴェインのせいではないとちゃんと説明をしておかなければならないが、果たしてどう言えばいいのだろうかと考えていると、すっとアリヴェーラが手を伸ばしてきた。
「泣いてたの?」
慌ててアリヴェーラを見るが、見返す瞳は優しくて。
取り繕う必要はないと、そう言われているような気がした。
「…ロイにお礼を言ってきたの」
アリヴェーラに抱きしめられながら、その向こうのテオを見る。
「今までありがとうって」
見返すテオの瞳が見開かれた。
ククルを見たまま口を開きかけ、ためらい、やめる。
ククルは瞳を伏せ、ぎゅっとアリヴェーラを抱きしめ返した。
「じゃあおやすみなさい」
「おやすみ」
いつものように挨拶をし、いつものように施錠を確認する。
そしていつものように宿へ向かいかけ、テオは足を止めた。
ククルのあの口振りは、どう聞いても別れを告げるそれとしか思えず。
ククルとロイヴェインの関係からすると、この場合、告げられたのは別れではなく断りなのだろう。
それが何を意味するのか。
うなだれたまま嘆息する。
恋敵がひとり減ったかもしれないなどと、喜ぶ気はさらさらない。
明日は我が身かもしれないのだから。
テオを見送って戻ると、カウンター席に座るアリヴェーラが自分の隣を指差した。
「答えは出たみたいね」
こくりと頷き、隣に座る。
「間違ってないと思うんだけど……」
まだ自信なさげなその様子に、アリヴェーラは笑みを見せた。
「だからロイにちゃんと言ってくれたんでしょう?」
動揺するククルを抱きしめ、優しい声で続ける。
「ありがとう。ククルがちゃんと振ってくれたから、いつかはロイも吹っ切ることができるはずよ」
含まれる労いと感謝に、ククルの瞳から再び涙が溢れ出す。
アリヴェーラはそれ以上何も言わず、ククルが落ち着くまでただ抱きしめてくれていた。
「…ありがとう、アリー」
離れたククルに微笑み返し、どういたしましてと答えてから。
「それにしても。まだテオに何も言ってないのね?」
少し呆れの混ざる声に、だって、と呟く。
「ちゃんと返事をしてからじゃないと…」
「でもそれじゃテオが気が気でないでしょ?」
確かにそうではあるけれどと、しょんぼり肩を落とすククル。
「…ま、テオがもう一歩踏み込んでくれれば、ククルだってすぐに言えるのかもしれないけど」
似た者同士よね、とアリヴェーラは笑い、励ますようにククルの手を取った。
「訓練が終わったら、こじれる前に言いなさいね」
「わかってるけど…」
自分を気遣うアリヴェーラに、それでも素直には返せずに、少しむくれた表情でククルは応えた。




