三八二年 動の二日
その日はダリューンが閉店まで残ってくれることになった。ジェットは宿を手伝いに行ったので、夕食にはカウンター席にナリスとリックが並ぶ。
「何にしますか?」
「やっぱりシチューかなぁ。リックも一回食べてみて」
物腰が柔らかく人当たりもいいナリス。気ままなジェット、寡黙で考えが読み辛いダリューンと長く一緒にやっていけるのは、彼のそんな性格ゆえだろう。
ナリスに言われ、リックはこくりと頷く。わかりましたと微笑み、ククルは準備にかかった。
そうしてできた食事をふたりの前に置いたククルは、テオにあとを頼んで作業部屋へと入る。
店で出す料理は大抵ククルが作るが、テオが作れないというわけではない。今は客も少ないので、しばらくここで片付けをしていても大丈夫だろう。
置いてあった食器を洗いながら、ククルは息をつく。
時折刺すような視線が向けられていることに、ククルは気付いていた。初対面のときに睨まれたのは、やはり気のせいではなかったらしい。
(…エト兄さんに迷惑かけちゃったから…)
調査の途中で戻ってくれたジェット。間違いなくリックにも迷惑をかけたに違いない。
嫌われるのは仕方ない。だからせめて食べている間くらいは自分の顔を見ずに済むほうがいいだろう。
食器を片付けて明日の下準備をしていると、テオが呼びに来た。戻ってみるとナリスとリックは帰っており、残るダリューンが申し訳なさそうな顔をしている。
「リックがすまない。あとでちゃんと言っておく」
「ダン、気にしてないから言わないで」
慌てて首を振るククル。
「ここでしか食事ができないんだし、来にくくなったら申し訳ないから…」
息をつくダリューン。銀灰の瞳がククルを見据える。
「それならククルもさっきのように席を外すべきではない。ここはククルの店なんだ。堂々としていればいい」
「ダン…」
奥に行った意図は読まれていたようだ。己の浅慮が恥ずかしい。
「わかったわ。ありがとう、ダン」
礼を言うククルに、ダリューンはいつものように手を伸ばして頭を撫でた。
最後の戸締まりを確認して自室に戻ってきたテオは、ぐったりと椅子に座り込んだ。
(…あいつ…)
脳裏に浮かぶのは、黒髪の青年。
あのとき、握手に伸ばした手を引っ張られて。
俺がもらうぞ、と。
そう耳元で囁かれた。
その視線の先には丘の上食堂―――。
考えてみればおかしいことはほかにもあった。
急に互いの呼び方が変わったので尋ねると、長い付き合いになりそうだからと、自分まで略称呼びでいいと言われた。
店にいる時間が長くなっていたのも、つまりはそういうことだったのだ。
思わぬ恋敵の出現に、テオの溜息は止まらない。
(まさかこんなに早く突きつけられるなんて思ってなかった…)
食堂を手伝うと決めたとき、父アレックとした約束。それは。
己の気持ちよりもククルの幸せを優先する、というものであった。
もしククルが自分ではない相手を選んだとしても、変わらず店を手伝えるのか、と。その覚悟を問われたのだ。
もちろんその約束そのものに否はない。ククルが笑ってくれるなら、自分はできる限りのことをしたい。
その気持ちは変わらない。だが、正直もっと先の話だと思っていたのだ。
今まで先の可能性でしかなかったものが、ウィルバートの登場で一気に現実味を帯びた。
そのままべちゃりとテーブルに突っ伏す。
「…俺だって、譲れない」
自分自身に確認するように、ぼそりと呟く。
「ククルが、好きだ」
伝えるべき相手はこの場にはいなかった。
しかしそれでも。声にすることで、テオは改めて己の想いを胸に刻んだ。




