テオ・カスケード/これからもずっと
「今日はもうやめよう」
そう言った父さんが構えを解いた。俺も息を吐き、力を抜く。
「ありがとうございました」
訓練の最後の挨拶、何となく癖になってて、父さん相手でもつい出てしまう。
ロイに言われたからってのも癪だけど、今の俺にできることをする為に。店も宿も閉めたあと、父さんに無理言って手合わせしてもらってる。
「気持ちはわかるが、また疲れがたまるぞ」
そんなことを言いつつも付き合ってくれるのは、父さんもあの日のことを後悔してるから。ククルがどんな状態だったのか、直接見てるのは俺と父さんのふたりだけ。話で聞くより、多分だいぶキツい。
直前まで傍にいて。すぐ隣の宿にいたのに。自分よりも大事だと思う相手が知らない男にあんな目に遭わされて。
後悔なんて言葉じゃ生温い。どんなに悔やんだって。ククルが許してくれたって。とてもじゃないけど消化できない。
俺はククルを守る為に強くなりたかったのに。一番大事なときにこれじゃ本当に何の意味もない。
アリーに喝を入れられて。せめてこれからのククルだけは守りたいと思うのに、結局またククルに気を遣わせて。
ロイにはもういいとは言ったけど。嘘じゃないけど。完全に吹っ切れたわけじゃない。
ククルが大事だから余計に、後悔と嫉妬が好きだという気持ちを越えそうで。
ただククルを好きだって。それだけでいられたら、どんなに楽か。
部屋に戻っても毎晩そんなことばっかり考えて。父さんとの手合わせで疲れるくらい追い込んでおかないと、眠りだって浅い。
ククルに心配かけるわけにはいかないから、どうにかしないとって思ってるけど。そう思ったところでどうにかなるものでもなくて。
せめてククルにバレないように気を付けるしかない。
やっと朝になって、いつもの時間に店に向かう。
ククルとふたりの朝食。ククルが何も言わないから当たり前のように毎朝来てるけど、本当はいつやめるって言われるかって不安で。
俺としては、このままずっと続けたいんだけどな。
裏口を開けて中に入ると、何か煮込んでるようないい匂いがしてる。
「おはよう」
厨房のククルに声をかけると、鍋から顔を上げて俺を見た。
「おはよう、テオ。今日は任せて座ってて」
そう言ってにっこり笑われる。
確かにお茶を淹れる準備も済んでるし、トレイの上の皿にはもうサンドイッチが載ってる。
「…また早起きした?」
一緒に作れるよう早く来てるのに。段々起きる時間早くなってないか?
「目が覚めたの。今日だけ許してね」
もうできるから、と言われて。何もさせてもらえそうにないから、おとなしく座った。
カウンター席の真ん中。一番ククルが見える席。
入ってきたときのいい匂いは、どうやら今ククルが温めてるスープらしい。
お茶を淹れて。スープも注いで。はい、と渡される。
礼を言って、ククルの分も受け取って、隣に並べた。
ゆで卵のサンドイッチに、大振りに切った野菜のスープ。…この大きさだと、煮るのに時間がかかるはずなのに。
「……いつから起きてるんだ?」
「スープも卵も、昨日仕込みをしながら作っておいたのよ」
何てことないように言われるけど、ってことは昨日からこのつもりで準備してたってことだよな。
何で急にと思いながら、いただきますと食べ始める。
スープは大きく切ってじっくり煮てあるから、野菜も味も柔らかくて。焼いてないパンに細かく潰した卵のサンドイッチもふわふわで。
お茶もいつもは何も入ってないのに、今日はミルクとほんの少し蜂蜜の甘みがする。
全体的に味も食感も優しくて柔らかくて。ずっとどこか追い詰められてるみたいな焦りを感じてた気持ちが、ふっと緩んでいくのがわかる。
ククルとふたり。ずっと。こんなに穏やかにいられたらいいのに。
俺が黙り込んでるからか、ククルも何も言わないまま。ただ手元を見ながら食べてるうちに、ふと思った。
…もしかして、ククル、俺の為に?
そう思ってしまってから、それはないかと考え直す。疲れてるんだと気付かれてるなら、多分先に休めと言われてる。
でもちょっと気になって。でも俺の為かなんて聞けなくて。
「…何で昨日のうちに?」
顔も見ずにそう聞くのが精一杯。ホント情けない。
「必要かなって思って」
しばらくしてから返ってきた返事はなかなか曖昧で、すぐに意味がわからなかった。
必要って、ククルに? それとも―――。
ククルを見ると、手元を見たまま、いつもの落ち着いた笑顔で。
「…俺に?」
そう聞いてもククルは頷かなかったけど、代わりに俺のほうを見た。
「疲れてるときにはこういうのが食べたくなるから」
俺にだとも、自分にだとも取れる言葉だったけど。たぶん、いや、間違いなく、俺の為の食事なんだと理解した。
あぁもう。
ホントに嬉しくて。嬉しすぎて。
ククルがいなかったら泣けそうなくらい、胸がいっぱいになって。
慌ててククルから目を逸らして、俺の為に昨日から準備してくれてた食事を見る。
あれだけ心を占めてた後悔と嫉妬が、あっさりククルへの想いに塗り替えられてく。
どんなに単純なんだと自嘲しながら、それでも感じる温かな気持ちに今はただ幸せで。
相手が誰でもククルは同じことをする。俺が特別だからじゃない。
そうわかってても、嬉しいものは嬉しい。
「…そうだな」
どうにかそれだけ呟いて、俺は食事を再開した。
「ごちそうさま。美味しかった」
そう言うと、嬉しそうに笑ってくれるククル。
もうちょっと座っててもらおうと思って、立ち上がろうとしたククルを止める。
「片付け俺がやるから。こっちから渡して」
頷いてくれたククルからカウンター越しにトレイを受け取ると、何だかじっと見てるから。
どうしたって聞くと、はっとした様子で俺を見た。
「ずっとひとりで食べてたのが昔のことみたいで」
あれからもうすぐ一月。…今なら言えるかな。
「ククルさえいいなら、毎朝来るよ」
ククルの動きが止まってる。
「これからもずっと。一緒に食べてくれる?」
俺を見たまま固まるククル。
っていうか、これからもずっとって!! 重すぎだろ、俺!
どう取り繕えばと内心うろたえてたら、ククルの表情から力が抜けて。
「…うん。よろしくね」
浮かぶ満面の笑みに、さっきまでとは違う理由でうろたえる。
い、いいってことだよな?
にこにこ笑うククルは、もちろん照れた様子なんてないから。
よかった、ククル、ヘンな意味に取らないでくれたみたいだな。
もちろん俺としては、そっちの意味でもありなんだけど。
とにかく、当面朝食は一緒に食べられることになった。
使った食器を洗いながら。ちらっと前に座るククルを見る。
見てるのに気付かれて、ちょっと笑われる。
情けない俺のことだから、多分またすぐ悩むんだろうけど。
今は、幸せかな。




