三八三年 動の十六日
身支度を終え、一階に降りて裏口を解錠する。
昨日まではアリヴェーラがいた。ジェットとダリューンは宿に泊まっているので、今日は久し振りにテオとふたりの朝食だ。
竈に火を入れていると、裏口の扉が開く音が聞こえた。
穏やかな笑みを浮かべる幼馴染に、ククルも自然と顔を綻ばせる。
「おはよう、テオ」
「おはよう。今日俺に作らせて?」
朝の挨拶と共にそう言われる。
「昨日宿にばっかりいたから。作りたい」
くすりと笑い、じゃあお願いと答えると、嬉しそうな笑みを返された。
調理を始めたテオの隣、お茶の準備を始める。
昨日保留にした、あの一件。夜にひとりで考えてみた。
自分は火傷をしかけたことに動揺したのか。それとも―――。
野菜を刻むテオの手を見る。
―――手を取られたことに、動揺したのか。
テオに触れたり触れられたりすることに、今まで何の躊躇も含羞もなかった。
幼馴染の間柄、互いに手が触れることなど何度もあったし、両親が亡くなったときも、ずっと励ますように握りしめてくれていた。
それからの一年は本当に色々あった。
抱きしめられたり、自分が抱きしめたりしたこともあった。
寝てしまったテオの顔をこっそり覗いたり、髪に触れたりしたこともあった。
頬に触れられたときは本当に驚いて。変な勘違いをして恥ずかしい思いもした。
もちろん抱きしめられるのは気恥ずかしいが、あのときは本当に手を止めてくれただけ、恥ずかしく思う理由など何もない。
それなのに―――。
「ククル?」
名を呼ばれ、我に返る。
「疲れてる?」
心配そうに覗き込む瞳に、どくんと鼓動が跳ねた。
テオに触れたときのことばかり考えていたせいか、今は顔が見られそうにない。
「だ、大丈夫。ちょっと考えごとしてただけ」
慌てて視線を逸したククルに、テオは少し訝しげな表情をしつつも手元に目線を戻した。
「怪我するなよ?」
「うん。ありがとう」
すんなり引き下がってくれたテオに感謝しつつ、そのまま己の手を眺める。
あんなことがあったので異性に触れること自体に過剰に反応しているだけなのかもしれないし、突然だったので驚いたからかもしれない。
お湯が沸いたのでお茶を淹れてカウンターに置き、待っててと言われたので席に着いて待つ。
手早くオムレツをふたつ焼き上げたテオは、パンとサラダと共に大きめの皿に載せた。
「お待たせ」
そう言い皿を置くと、微笑んでありがとうと返された。
カウンターから出たテオは、そのままククルの隣に座る。
昨日も、そして今日も。
何やら少し考え込んでいるようなので気になっているのだが、落ち込んでいるという感じでもなく。
なまじ自然に身体が動くだけに上の空で作業をしがちなので、怪我をしないようにだけは気を付けておかなければならない。
「ありがとうテオ。いただきます」
「いただきます」
何となく先にククルが食べるのを待ってから、自分も口に入れる。
今日のオムレツには刻み野菜と挽肉が入れてある。朝なので量も控えめ、味も軽めだ。
「トマトは生の?」
「うん。一緒に炒めた」
トマトソースを使うよりはあっさりするかと思い、刻んで共に炒め、塩と胡椒だけで味をつけた。
「美味しい」
長い付き合い、お世辞でないことは声でわかる。
「よかった」
どうやら気に入ってもらえたようだと安堵して、テオは食事を進めた。
柔らかなオムレツとまだ食感の残る野菜を共に食べながら、隣は見ずにククルは考える。
久し振りのふたりでの朝食。纏う空気は穏やかで心地いい。
考えなければいけない、わからなければいけないと思い、いつの間にか入っていた力が抜けていくような気がした。
思えばずっと、傍にいてくれた。
思えばずっと、自分を助けてくれた。
隣にいるのが当たり前になり、これからもずっとそうあるものだと思っていた。
それが自分にとっての日常。
だからテオがギルド員になりたいのかもしれないと思っては動揺し、彼の隣が自分ではなくアリヴェーラであることを見ていられなかった。
食べる手を止め、目線だけ動かしテオを見る。
(…そっか……私、嫌だったんだ…)
この店にテオと並んで立つこと。
それが自分にとっての日常であり、かけがえのないもの。
この店で、自分の隣に立つのはテオがよくて。彼の隣に立つのもまた、自分であってほしいのだと。
それを失いたくなかったからなのだと、ようやく気付いた。
「ん?」
視線を感じたのか、テオが少し首を傾げる。
「どうかした?」
「何でもない」
向けられた眼差しが少しくすぐったく、ククルは急いで向き直った。
ここ数日考えていたことの答えを見つけ、晴れやかな気持ちで再び食べ始める。
わかってしまえばなんてことはない。
自分は今まで通り、テオに隣にいてほしかっただけなのだ。
まるでこどものような独占欲だと自嘲して。
そして同時に、自ら思った言葉に引っかかる。
こどものような独占欲。
どうしてテオにそれを抱くのか、その理由がわからないままだ。
(…これじゃまだ半分、か……)
進んだようで進まない己自身の観察に、ククルは内心吐息をつき、とりあえず温かいうちに朝食を済ませてしまうことにした。
今日は昼頃に出立だというジェットたち。
宿にはほかに客もいないので、ジェットたち四人、レム、アレックとフィーナも店にやってきた。
「クゥ、あとでちょっといいか?」
食事も半ば頃、不意にジェットが声をかけた。
「いいって何が?」
「兄貴たちのとこ。クゥもいつもより時間あるだろうし、一緒に行かないか?」
どうして急にとは思ったが、両親の墓参りを渋る理由もない。
「行ってきたら?」
尋ねる前にテオからも了承の意を示されては、素直に頷くしかなく。
片付けも少ししかないからと、皆の食事が終わると同時に追い出された。
ジェットとふたり、並んで丘を降りる。
「リックのこと。ありがとな」
歩きながらのジェットの声に、どうして墓参りに誘われたかを理解した。
「たいしたことはしてないけど」
「クゥにはそうでも。俺にはできないことだから」
だからありがとな、と呟いてから、ジェットが丘の上を振り返る。
「新人なのに、リックにはだいぶ無茶させたけど。ホントによくついてきてくれたよ」
「がんばってたもの」
本当に素直でまっすぐなリック。だからこその誤解もあったが、今となっては懐かしい。
ジェットも思い出していたのだろう。色々あったな、と笑みを浮かべた。
「最近は訓練ばっかりだけど、ここに戻れるのはほんと嬉しい。俺はもちろん、ダンにとっても。今はナリスにとっても」
「リックにとっても、よ」
昨日のリックの言葉を伝えると、驚きと喜びの混ざる瞳を細めてそうかと呟く。
それきり黙り込み、再び歩き出すジェット。
嬉しさの滲むその背中に笑みを向け、ククルはあとを追った。




