三八三年 動の十五日 ③
「じゃあエト兄さんをよく見ててね」
緊張した面持ちでリックが頷く。
「いや、食い辛いから」
じぃっと見られ、定位置のジェットが居心地悪そうに食べようとしていたサンドイッチを皿に戻した。
「クゥ…。協力するとは言ったけどさ」
「だったら普通に食べてくれたらいいのよ」
「だから食い辛いんだって」
真正面から自分を注視するリックとサンドイッチを見比べて苦笑する。
「もうちょっとほかも見ながらとかできないか?」
「ダンじゃわからないもの」
今食事をしているのはジェットとダリューン。あまり顔に出ないダリューンの反応を見るのは、リックにはまだ無理だろう。
隣で無言で食べるダリューンをジト目で見てから、ジェットは諦めたように溜息をついた。
「わかった。せっかくリックが作ってくれたんだもんな」
改めて手に取り、いただきます、とかじりつく。少し怪訝そうな顔をしてからリックの顔を見て、それから納得したように頷いて続きを食べる。
一切れ食べ終わるまで見届けてから、感想を言おうとしたジェットを眼差しで止めて、ククルはリックを見た。
「何かわかった?」
「…変な顔して俺を見たのは、美味しくなかったから…? でも食べてくれたけど…」
ぶつぶつ言いながらジェットを凝視し、困ったようにククルを見返すリック。
「じゃあ、食べ終わったあとのエト兄さんはどんな顔してた? 美味しいものを食べたときと、そうじゃないものを食べたときと。どんな顔になると思う?」
「……思い出せない…」
「じゃあ今度はそこをよく見ててね。エト兄さん、黙って続き食べて」
「そのやりとり聞いて普通に反応できるわけないだろっ?」
さすがに無理だと泣きつかれ、仕方なくククルとリックはカウンター内へと戻った。
離れたふたりに明らかに安堵の溜息をついて、もう食うからな、とぼやいて食べ始めるジェット。
確かに普段の反応を見るなら、こっそり見ておくべきだったかもしれない。
「難しいなぁ…」
「私も何て言えばいいのか…」
自分はいつもどうしているだろうかと考える。
「…それとなく見てて、気になったところだけ注意して見る感じかしら」
「そうなんだ」
ふたりしてジェットを見ると、あからさまに視線を逸らされた。
直後、明らかにジェットの食べる速度が上がる。落ち着かない様子で食べ終えたジェットは、お茶を飲み、トレイを下げてくれた。
「もう感想言っていいか?」
「え、ええ」
頷くククルに苦笑い、ジェットはリックにごちそうさまと告げる。
「いつもの味じゃなくて驚いたけど、美味かった。ありがとな!」
礼を言われ、きょとんとするリック。
「美味かった? なら、俺を見てたのって…」
「ドレッシングの味でしょ?」
ククルの言葉に、そうそうと首を縦に振るジェット。
「リックが作ったから、リックの食べてる味のほうなんだなって思って」
あれはあれで美味いのな、と笑う。
「あんまり協力できずで悪かったけど。リックもそんなに根詰めるなよ?」
手を伸ばしてリックの頭を撫でたジェットは、同じくトレイを返して美味しかったと告げたダリューンと共に宿に戻った。
「いきなり無理だろ、それ」
次に昼食を食べに来たテオは、話を聞いて呆れたように笑った。
「ククルだって初めて来た人だとわかることって知れてるだろ?」
「…よっぽど様子がおかしいときくらいかしら…」
大抵の人は和やかに食べてくれる。食べ進めても難しい顔をしたままだったり度々手が止まるようなら、理由はともあれ何かあるのだろうと考える。
「まずはその程度でいいと思うけどな」
差し出された皿を受け取りながら、肩をすくめるテオ。
ククルはどうしようかとリックを見るが、リックは笑って続けてみると答えた。
「お手本役するときには間に合わないかもしれないけど、その先の俺には役に立つことだと思うから」
前向きなその言葉に、ククルははっとする。
託された役目の為に、こうして一心に努力をするリック。たとえすぐに実を結ぶことはないとわかっていても、真摯にその先を見据えていた。
その真剣さに比べ、最近の自分は逃げてばかりで。
少し考えてはわからないと放棄し、安易な理由ばかりを並べたてる。
ここ最近の自分の様子は明らかにおかしい。
ならばそこには必ず理由があるはずだ。
「…ありがとう、リック」
「え? 何?」
俺何かしたっけ、と首を傾げるリックに笑みを見せる。
気を付ければ何でもわかりそうだと言ってくれたリック。
自分自身に向き合うべきだと言うアリヴェーラ。
自分に今できることは、自分自身を知ることなのかもしれない。
昼もとうに過ぎてから、ミルドレッドに行っていたレムとナリスが帰ってきた。
土産だと言って大量の菓子を渡される。宿の仕事も順調だということで、皆揃って休憩をすることになった。
ずっと手伝ってくれていたリックにも休むよう言って座ってもらう。お茶の準備をしていると、宿から戻ってきたテオがそのままカウンター内へと入ってきた。
ひとりで大丈夫だと言いかけた自分ににこりと笑い、人数分のカップを用意し始めるテオ。有無を言わせぬ自然な動きに、そのまま甘えることにする。
カウンターの中。テオとふたり。
やはりほっとしている自分がいる。
仕事が忙しいわけではないので、手が足りるからという安堵でもなく。
困っていたわけでもないので、これで安心だということでもなく。
これでいつも通りだと、そう思ってほっとしているのかもしれないが―――。
「ククル、お湯」
声をかけられ、目の前で湯が沸いていることに気付いた。
慌てて把手を持とうとした手を、横からテオが掴んで止める。
「ごめん、慌てさせた」
はい、とミトンを渡される。
「あ、ありがとう」
握られていないほうの手でミトンを受け取ると、気を付けて、と手を放してくれた。
妙に動悸が激しいのは、もう少しで火傷をしそうになったからなのだろうか。
もう少し考える必要はあったが、これ以上テオに心配をかけてはいけないと思って保留にし、お茶を淹れることに専念することにした。
ナリスが戻ってきたからいいと言われたと、テオはそのまま店に残り、一度店を出たレムもすぐに戻ってきた。
「向こうにいると手伝おうとするからって。追いだされちゃった」
カウンター席でふくれっ面のレムがそうぼやく。
宥めながらお茶を出して準備を進めるうちに、まずはジェットたちがやってきた。
ちらほらと住人たちが来る頃にはアレックとフィーナも店に揃い、賑やかになってくる。
嬉しそうなジェットによかったと思いながら、リックとふたり、住人たちの了承の得て様子を見させてもらっていた。
「…去年さ、初めてここで泊まったとき。ジェットにとってここは故郷なんだなって思ったんだ」
視線はジェットに向けたまま、ぽつりとリックが呟く。
「ここが好きなんだなって。肩の力を抜けるんだなって。そう思った」
「リック…」
へへっと笑って、リックが店内を見回した。
「今は俺だってここが好きだから。故郷じゃないけど、帰ってきたなって気がするんだ」
ジェットが聞いたらもみくちゃにして喜びそうなことをさらりと言い、ククルを見やる。
「ありがと。ここに来れて、ホントによかった」
橙色の瞳によぎる、感謝と尊敬。照れくさそうにすぐに笑みで隠し、リックはもう一度ジェットへと視線をやった。




