三八三年 動の十五日 ②
ジェットのパーティー以外の皆が帰り、それなりに静けさの戻った店内。
「じゃあ今日は夕方までごめんな」
明日の昼まで休みのレムに代わり、今日は主に宿の仕事をすることになるテオ。
「誰かは来てくれるから。何かあったらすぐ呼んで」
「わかった。ありがとう、テオ」
することといえば夕食に町の皆を招待する準備と、明日の昼からの通常営業に向けての仕込みだけの食堂よりも、何部屋も片付けねばならない宿のほうが間違いなく忙しい。
尤もテオが心配しているのは仕事のことではなく、ここに自分をひとりにすることなのだろう。
本当はもう大丈夫だとは思いつつ、テオとふたり並んでいる時間が心地よくて。いつまでも気遣いに甘えていた。
しかしいつまでも宿にばかり負担をかけるわけにはいかない。そろそろ以前の通り、テオにも日中宿に行ってもらうべきだろう。
テオを送り出してからそんなことを考えていると、カランとドアベルの音がした。
「リック。どうしたの?」
「うん。ちょっと」
入ってきたリックはカウンター越しにククルの前で立ち止まる。
「何も手伝えないだろうけど、ここにいるの俺でいい? もし手伝ったほうがいいならダンに来てもらうけど…」
自信なさげな声でそう問うリック。
ナリスはレムと共にミルドレッドに行くことになっている。ジェットがここへ来るとこちらが仕込みに気を遣うだろうし、仕事の多い宿には手伝いに慣れたダリューンが残ったほうが作業は早い。
おそらくそういう判断で、リックがこちらに来てくれたのだろう。
「リックがいてくれたら私も嬉しいわ。退屈かもしれないけど、お願いしていい?」
もちろんお世辞のつもりはない。明るく無邪気なリックは、レム同様見ているだけでも元気をもらえる存在だ。
取り繕っての言葉でないことはわかってくれたのだろう。途端に顔を綻ばせ、よかったとリックが呟く。
「できるかどうかわからないけど、何でも手伝うから!」
笑顔のリックをじゃあどうぞとカウンターの中へと招き、濡れるかもと思いクライヴのエプロンを持ってきた。リックには少し大きいが、折り上げて結んで調節する。
「リックは料理するの?」
野菜を洗うよう頼み、仕込みをしながら尋ねると、あんまりと返ってきた。
「北にいかないと野営することもないし、俺まだ寮にいるから食堂で食べてるし。たまにダンたちに教えてはもらってるけど」
丁寧に洗いながらそう答えるリック。思っていたよりも几帳面なようだと思いながら、少し考える。
「今日は時間もあるし、お昼も私たちだけだから。少しずつ色々やってみる?」
「色々?」
「調理も含めて、一通り」
余計なお世話かと思いつつもそう伝えると、リックが弾かれたように顔を上げた。
「いいのっ?」
喜んでくれていることは聞くまでもないその表情に、ククルは微笑み頷いた。
何か作ってみたいものはないかと聞かれたリックは、悩んだ末にサンドイッチを作ることに決めた。
せっかくなら皆にも食べてもらいたいので、具はジェットも食べられるほぐし肉と野菜のドレッシング和えにする。
皮と脂を取り除いた鶏肉を茹でてほぐし、千切りの野菜と和えるだけだとククルは言うが、慣れない自分ではひとつひとつの作業にどうしても手間がかかって仕方ない。
自分が鶏肉一枚と格闘している間に説明しながら倍どころではない作業を進めるククルに内心驚きながら、作る料理の思い出も相まって、ふと一年前のことを思い出していた。
頑なな自分にもほかと変わらず気を配ってくれていたククル。店の裏で食べたサンドイッチは、甘めのドレッシングを使った自分の為のものだったのだとあとで知った。
「ククルはさ、何で俺がすっぱいの苦手って気付いたんだ?」
そういえば理由を聞いていなかったと思って尋ねると、食べる早さだと返される。
「普段リックはこっちが見ていて気持ちのいい食べっぷりなんだけど、サラダと酸味の強い果物のときはゆっくりになるのよね。だから好きか苦手のどっちかだと思って見てたら、ちょっと食べ辛そうにしてたから。苦手なのねって」
「そんなこと見てたんだ?」
「ごめんね、お客さんの様子を見るのはもう癖みたいなものなの。気を悪くしないでね」
そう謝るククルに気にしないからと首を振って。
「何か、訓練で言われたこと思い出した」
「訓練で?」
「俺がするのはお手本役だから教えなくっていいんだけど、ホントは相手に何が必要なのかわかってないと、ちゃんとそこを見せてあげられないんだって」
何の気なしにそう言って、ふと気付く。
相手をよく見るという点では、同じではないのかと。
「ククル!」
急に声を上げたリックに驚くククル。まっすぐ見つめ、にっこり笑う。
「俺にも教えて?」
教えてと言われても、とは思ったが、リックから期待の眼差しを向けられて断ることもできず。
幸い今日は自分たちのほかは町の住人しか来ない。事前に了承を得て、テオやレムに協力してもらうことにしようと考える。
自分がいつも無意識に店でやっていることが、こんなふうに役立つかもしれないなどとは思いもしなかった。
夜に皆で集まったときに実践してみようかと言うと、嬉しそうに頷かれる。
「ただ、上手く説明できなかったらごめんね」
「無理言ってんの俺だから。でも、ククルすごいよね」
急にほめられて唖然としていると、だって、とさらに笑われる。
「意識しなくてそれならさ、滅茶苦茶気を付けて見たら何でもわかりそうだよな?」
「そんなわけないじゃない」
テオとアリヴェーラを見て、見ていられなくて逃げた自分。どうしてそんなことをしたのかがわからず、アリヴェーラに次までの課題だと言われているのだ。そんな自分が何をわかることができるというのか。
本当に自分がリックの役に立てるのか、少し不安に思いながら。
とりあえずはお昼に間に合うようにサンドイッチを仕上げないと、と。リックに作業の指示を出しながら、こっそり手を早めることにした。




