三八三年 動の十三日 ②
夕方前に店に戻ってきたテオ。こちらも何を言いたいのかよくわかる顔をしているので、少し不服そうにククルは見やった。
「……何?」
「何でもない」
笑いを噛み殺しながらそう返され、思わず睨む。
ごめんと言いながら身支度をし、作業の進み具合を確認するテオ。
「ん。了解」
最後に今ククルが何をしているのかを確かめてから、何も聞かずに作業を始めた。
「相変わらずっていうか。さすがよね」
見ていたアリヴェーラがくすくす笑う。
「何も聞かないで始めるんだもの」
「いつものことだから」
当然のようにそう返すテオの隣で。
嬉しく思う己に気付き、慌てて緩んだ表情を引きしめる。
午前中感じたざわつきなどもう欠片もない、いつも通りの穏やかな時間。
じわりと胸に広がる温かな気持ちに、ククルはよかったと思う。
あの感情はきっと何かの勘違いだったのだろうと。
今は、そう思えた。
訓練生の夕食を終え、追加訓練が始まった。
その間に訓練に出ているロイヴェインとリックを除いた面々が、少しずつ時間をずらして夕食を食べに来る。
「お疲れ、クゥ!」
ジェットがダリューンとナリス、そしてシモンと一緒に店に入った。
「エト兄さんもお疲れ様」
労うククルに頷いて、定位置に座る。
せわしなく動くククルの様子は本当にいつも通りで。
ここへ来る直前にウィルバートから、訓練生の食事内容を心配していたことを聞いた。
そんなことが気になるくらい落ち着いてきたのならよかったと、安堵の表情を隠しもせず呟いたウィルバート。彼にしては珍しい柔らかなそれに少し驚いた反面、その自責の深さを垣間見た気がした。
本当に皆から心配され、大事にされている姪。
しかしそんな心配など不要だといわんばかりにひとり立つ姪は、凛々しくもあり儚げでもあり。
せめて寄り添う手でもあれば、少しは安心できるのだろうか。
「どうぞ」
ことりとトレイが置かれる。
「ああ。ありがとな」
礼を言うと、嬉しそうな笑顔が返る。
自分も彼女を支える手のひとつでありたいとは思う。
しかしこの手は少々遠く、間に合わないこともしばしばで。
本当は自分が一番近くで守りたいところではあるのだが。
カウンター内へ戻ったククルを見つめて。
その笑顔が消えないようにと。そう願った。
追加訓練を終えたロイヴェインとリックが夕食を、そして訓練生たちが夜食を食べにきた。
「明日で終わりかぁ」
訓練生のひとりが呟くと、ほかからも口々に感想が述べられる。
「今回はジェットたちがつきっきりだったからね。いい経験できたんじゃない?」
ひとりカウンター席に座るロイヴェインが振り返って笑った。
「まぁ、その分大変だっただろうけど。どう? リック?」
「俺?」
「全部出てるよね? 今回どうだった?」
急に振られて慌てるリックに、重ねて尋ねるロイヴェイン。
基本素直なリックだが、すんなり口から出ない思いを言葉にするのは少々不得手で。
しかし人に手本を見せるのに、感覚だけでは務まらない。
ダリューンにも同じことが言え、もちろん指導を任せることはできない。尤もあれだけ圧倒的な差では言葉で説明されたところで真似はできないので、彼の役割は見せるだけの完璧な手本だ。
しかしリックに期待するのは、あくまで手の届く手本。どうしているのか、どこが違うのか、言葉で伝える必要がある。
これも次々回に向けての準備。言語化して認識することは、間違いなく本人の為にもなる。
考え込むように眉間にしわを寄せて視線を落としていたリックが、合ってるかわからないけど、と前置いてから顔を上げた。
「…最初からできることがたくさんあった気がする。前もジェットと早めに来たけど、そのときよりももっとジェットたちに色々相手をしてもらえた、かな…」
ゆっくりと言葉にしていくリックに、ロイヴェインは頷かないまま口角を上げる。
「その違いはどうしてだと思う?」
「体力。二年目と四年目じゃ全然違う」
まずそれを即答してから、少し考えるリック。
「あと、皆言われたことを動きに落とし込むのが早い気がする」
「そうだね。体力と、いうなら慣れ、かな」
店内の訓練生を見回して、ロイヴェインは続ける。
「どう身体を動かせば言われた動きになるのかをよくわかってる。四年目はもちろん、三年目の皆も普段新人の世話してるんじゃない?」
顔を見合わせて頷く四人に、だろうね、と返し。
「教える為の理解があるから、教えられることへの理解も高い。ホント、今回の訓練生は優秀だと思うよ」
真正面からほめられて、八人に喜色が浮かぶ。嬉しそうな訓練生たちに少し笑みを見せてから、ロイヴェインはスヴェンを見やった。
「スヴェンもね。よくこの皆の手本になれた。あれからの自主訓練も相当がんばったってわかるよ」
一瞬瞠目してから嬉しそうに表情を緩ませ、しかしそれでもスヴェンは首を振る。
「…俺はただ、ディーのがんばりに応えたかっただけで」
「うん。それでも成果は出てるから。素直にほめられといて」
わざと軽い口調で言うと、スヴェンも素直に喜びを顔に出し、ありがとうございますと呟いた。
「で。次々回までにリックに到達してほしいのはこの段階。今のリックにとって全員がお手本なんだから、あと一日しっかりね」
「っ!! わかりました!」
再び自分に戻ってきた指導に、リックが背を正して応える。
喜びと意欲が窺える十人に、何とか今回も役目を果たすことができそうだと、ロイヴェインは心中ほっと息をついた。
閉店作業を終えてテオも帰った。
アリヴェーラとふたり、最後の確認をする。
「ロイ、ちゃんと教官をしていたわね」
訓練生たちだけではなくスヴェンとリックをも導く様子に、やはりなるべくして教官になったのだと思った。
「ああ見えて面倒見はいいのよね」
以前より評価が辛口ではなくなっているアリヴェーラ。そういえばいつの間にか愚弟と呼ぶこともなくなっていた。
どうやらロイヴェインはアリヴェーラの信用を取り戻せたらしい。
よかったと思いながら二階へ行こうとすると、不意にアリヴェーラが足を止めた。
「どうして出てこなかったの?」
立ち止まり、ククルが振り返る。
「アリー?」
「午前中、お菓子を作ってる途中に作業部屋を出たでしょう? どうして声をかけてくれなかったの?」
驚いて見返したアリヴェーラの瞳には、怒りどころか疑問すら見えず。ただ静かにククルを見つめていた。
「気付いてたの?」
「気配に聡いのは知ってるでしょう?」
向けられる穏やかな眼差しと声に、焦る気持ちが消えていく。
アリヴェーラに責めるつもりはない。
ただ自分に考えろと言っているだけだ。
ぎゅっと手を握りしめ、あのときのことを考える。
「…わからない。何だか見てられなくて」
テオとアリヴェーラが並んでいるところを見て、どうにも胸がざわついた。
初めてのことに自分でも驚き、思わず逃げた。
「ごめんね、アリー。私…」
それ以上何も言えずにうつむくククルに、仕方ないわね、とアリヴェーラがふっと笑う。
「いいのよ。でもどうしてなのかは考えなさいね」
手を伸ばし、ぎゅっとククルを抱きしめる。
「あなたの気持ちを言葉にできるのは、あなたしかいないんだから」




