三八三年 動の十三日 ①
訓練四日目ともなると、訓練生たちの顔付きも確実に変化が出てきた。
訓練生たちと入れ違いに店に来たロイヴェインは、今日明日の二日間であとどれくらいできるかと考える。
初日にジェットが飛ばしたことで半日予定をずらすことになったが、手本を見せたギルド員ではないテオの実力に触発されたらしい。その日の午後からの身の入れようは予想以上だった。
今までよりも長めの訓練に加え、追加訓練もしっかりとこなし、それでも体力の続くところはさすがに新人ではないというところか。
祖父たち、そしてギルド側とも話す必要があるが、引っ張り上げる役目が数人いるのなら、訓練生の実力を揃えたほうが効率はいいかもしれない。
(今後の課題、かな)
そんなことを考えるうちに朝食を出される。
「ありがと」
目を合わせてお礼を言うと、いつも通りの嬉しそうな微笑みが返ってきた。
心配していたが、ククルも落ち着いている。
訓練中なのでもちろん口説くことはできないし、そもそも今のククルに迫ることは逆効果かもしれず、おいそれと手が出せない。
もどかしさはあるが、こうして笑顔を見られるだけでもと思い直し、ロイヴェインは食事に手を付けた。
今日は午後に訓練に出るというテオ。
「仕込みとか俺がやっとくから。お菓子作ってていいよ」
今日から作るんだろ、と言われるが。
「…仕込みの合間でいいんだけど」
「ホントに?」
にっこり笑ってそう言われる。
含みある笑顔を少しむくれて見返すと、ごめんとさらに笑われた。
「でも本当に。食べてもらえるんだから作ればいいよ」
ククルから視線を外して作業を始めながら、落ち着いた声で言い聞かせるように言葉を紡ぐテオ。
「皆も楽しみにしてくれてるんだから」
自分が菓子を作ることで落ち着いたり気持ちの整理をつけたりしていることをわかっているからこその言葉に、ククルもそれ以上の反論をやめた。
「ありがとう」
素直に礼を言ったククルに、テオは顔を見ないままいいよと返す。
今なら自分にもできる作業があるから仕込みを手伝うとアリヴェーラが言うので、ククルはひとり作業部屋に入った。
おそらくアリヴェーラも、テオと同じ理由で自分をひとりにしてくれたのだろう。
昨日作っておいたタルト生地を伸ばし、型に敷き。手だけは動かしながら考える。
本当にテオに頼り切りの自分。
もちろん今までもそうなのだが、あれ以来特に顕著で。
店に姿がないことに違和感さえ覚えるようになった自分には、もう呆れるしかない。
テオだから大切で。
テオだから安心して隣にいられる。
しかしどうしてテオならなのかがわからない。
結局いつもここで詰まって考えられなくなるなと思いつつ、少し気になり店を覗いた。
カウンターの中、並ぶテオとアリヴェーラ。互いに前を見たまま話している。
一瞬で身を包んだざわりとした感覚に、ククルは慌てて作業部屋に引っ込んだ。
何故か激しい動悸とざわめく感情。
初めて覚える感覚に戸惑い、うろたえる。
(…私…?)
ふたりが仕込みをしているだけ。
ただそれだけのはずなのに。
己の感情を計りかね、ククルはただ立ち尽くす。
確実に名のあるその感情。
その名を、ククルはまだ知らなかった。
昼食を終え、仕込みの大半を終えたテオは訓練に向かった。
残る仕込みと前倒す分をしながら、合間に菓子を焼いていく。
たまに作業部屋を覗いては嬉しそうな様子を見せるアリヴェーラ。今の彼女を見ても午前中に感じたあんな感情は湧いてこない。
内心首を傾げつつ、ククルはとりあえず作業を進める。
店内に甘い香りが満ちる頃、ウィルバートが店に来た。
店に入るなり笑うウィルバート。何を思われているかなど考えるまでもない。
向けられた眼差しで何が言いたいのかに気付いたのだろう。カウンター席に座りながら謝るウィルバートに、ククルも息をついて微笑んだ。
「お茶、淹れるわね」
「ありがとう」
今焼き上がっている分から菓子を選んでもらい、お茶と共に出す。
待ち遠しそうにしていたアリヴェーラにもお茶を出して座るよう言うが、ここがいいの、とカウンター内に立ったままチーズタルトを食べ始めた。
「何か問題はありませんか?」
柑橘ジャムのパウンドケーキを食べながら尋ねるウィルバートに、大丈夫だと首を振るククル。
「皆さん好き嫌いもないので、予定通りに食事も出させてもらってます。…あの、ウィル?」
「何でしょう?」
「量やメニューに不満があるとか、聞いてませんか?」
不安げに尋ねるククルに、ウィルバートはまじまじとククルを見たあと、くっと笑った。
真剣な顔で何を聞かれるかと思えばと、ウィルバートは思わず笑う。
「ないですよ」
「あるわけないじゃない!」
何故かアリヴェーラにまで否定され、ククルは笑うウィルバートを見やる。
「…それならいいんですけど…」
「そんな心配はいらないと、何度も言ってるじゃないですか」
「そうなんですけど…」
何とも自信なさげなその顔に、本当に、と思う。
「ひとりひとりの要望に添いたい気持ちもわかりますが。ククルはちゃんと彼らのことを考えてメニューを組んだんですよね」
頷くククル。
「それで十分です」
そう言い切り、大丈夫だと重ねて告げる。
「ここの食事がギルドで噂になってることだって聞いてますよね?」
訓練中の食事といい、土産の菓子といい、彼女に惚れている自分としてはこれ以上目立たずにいてほしいところだが。
どこまでも真摯で全力なのが、やはり彼女らしくもあり。
「大丈夫です。ククルの気遣いはちゃんと伝わってますよ」
そんなところも、やはり愛しい。
考え込むようだったククルの表情からふぅっと力が抜けていき、和らいだ笑みへと変わっていく。
「…ありがとう、ウィル」
嬉しそうなその声に、ウィルバートもほっと息をつき、どういたしましてと返した。




