三八三年 動の九日 ①
今日で朝にも来られなくなるからと、鍵が開く前から入口前で待ち構えていたロイヴェイン。
「早いわね」
鍵を開けるなり入ってきたロイヴェインに笑いながら、まだ火も入れてないのとククルが告げる。
「手伝う?」
「大丈夫よ。テオもすぐ来ると思うし」
そんなつもりはないとわかってはいるが、カウンターの中に立つのは自分ではないのだと言われたようで少し寂しい。
それでもおとなしくカウンター席に着き、細々動くククルを眺めていた。
訓練が始まってからでは口説くこともできないし、そもそもあの一件以降触れたといえば別れ際に握手をしただけ。
ククルも落ち着いてきたようなので、せめてふたりが来る前に少しくらいは攻めたかった。
「ククル」
声をかけ、立ち上がる。
「やっぱりそっち行かせて」
「ロイ?」
ククルの疑問の声に構わず中へと入り、少し手前で足を止めて。
「手、握ってもいい?」
「ロイ??」
あまりにはっきり聞かれ、ククルは答えられずにロイヴェインを見上げた。
「急に触って怖がらせたくないから。聞いてからって思って」
すっと、手を差し出す。
「俺のこと、怖くないなら。お願い」
少し卑怯な言い方だとわかってはいたが、どうしても、触れたくて。
困ったように揺れる紫の瞳に、早まったかなと思いもしたが、今更引けず。返事を聞かずに動くべきかと悩むことしばらく。
近付く気配に、時間切れを悟る。
「…ごめん、困らせて」
すとんと手を下ろして、ロイヴェインは笑った。
四人で朝食を取る中、そういえば、とロイヴェインが言い出した。
「テオ。時間短くてもいいから、訓練毎日出て」
唐突な要請に、テオは息をついて見返す。
「何でだよ」
「誰かさんがククルにあんなこと言わせたから。詰めてできないんだよ」
自業自得とばかりにそう言われる。
「疲れが残らない程度でいいから。よろしくね」
向けられる愉悦混じりの笑みに苦笑しか浮かばない。
「…拒否権は?」
「ククルにどうしても仕事が間に合わないからってお願いされたら考えるよ」
「私なの?」
声を上げるククルにもちろんと頷いて。
「てなわけで。よろしくね」
ククルにはいい笑顔を向けるロイヴェインを半眼で睨め付けて見るが、素知らぬ顔をされる。
ククルが仕事が間に合わないなど言うはずもなく。もちろんロイヴェインもそれをわかって言っているのであって。
つまり。
(強制かよ…)
今日から仕込みを進めておかないと、と思いながら。
テオは一足先に朝食を食べ切り、ごちそうさまと立ち上がった。
昼過ぎにギルドの一行が到着した。
にわかに騒がしくなった外に、ククルたちも店を出る。
先導していたウィルバートが、皆に待機を命じて駆け寄った。
「おつかれ!」
呑気に声をかけるジェットを嘆息と共に一瞥してから、ウィルバートはククルを見る。
「またお世話になります」
「はい。よろしくお願いします」
「テオも」
「ああ」
そう挨拶してから、何か言いたげに自分を見つめるウィルバート。
真っ先に駆けつけてくれたからこそ、今の自分がどれだけ落ち着いているのかを知らないのだと気付き、大丈夫だと伝える為に笑みを見せる。
「楽しみにしていたの」
わざと口調を崩して告げると、少し心配そうだった瞳がふっと緩んだ。
「よかった」
心からの柔らかく温かな声音に、気にしてくれていたのだと痛感する。
しばらくそのままククルを見つめていたウィルバートは、切り替えるように息を吐き、改めてククルに向き直った。
「今回は初めからジェットがいるので大丈夫だとは思いますが、些細なことでも間違いでもいいので、何かあればすぐ知らせてください」
ギルド員としての態度に戻したウィルバートに、ククルも頷き、わかりましたと返す。
ふっと微笑んでから、ウィルバートは宿へ挨拶に向かった。
ウィルバートが宿へと入るのを待っていたのか、しばらくして待機する一団の中から黒髪の少年が駆け出してきた。
「テオ! ククルさん! ジェットさん!」
「スヴェン!」
緑の瞳を嬉しそうに細め、スヴェンは三人の前に立つ。
「お久し振りです、ジェットさん」
「おう。どれだけ成長したか、楽しみにしてるからな?」
にっと笑ってそう言われ、スヴェンは苦笑する。
「えっと、じゃあ恒例らしいから。ククルさん!」
改めてククルを向き、スヴェンはぺこりと一礼した。
「スヴェン・オッドです。どうぞ呼び捨てで」
「ククル・エルフィンです。私のことも呼び捨てでどうぞ」
くすりと笑って応えるククル。
「…なぁテオ。クゥは何してんだ?」
そんなふたりに怪訝な顔でジェットが問う。
「…儀式みたいなもん?」
諦めたようにそう返すテオと、さらに疑問を顔に出すジェット。
「儀式って。やりだしたの俺じゃないのに」
そうぼやいてから、スヴェンはテオに拳を向けた。
「訓練出るよな? 楽しみにしてるから」
「俺も」
軽く合わせ、笑い合う。
「挨拶してから呼べって言われてるから。ちょっと待ってて」
そう言い一旦一団の中へと戻ったスヴェンは、男をひとり連れてきた。
大柄というほどではないが、ギルド員らしく厚みのある身体からは鍛えていることがよくわかる。
ジェットとは既知の仲のようで、互いに目を合わせて挨拶に代えた。
「シモン・テーラーという。スヴェンが迷惑をかけて本当にすまない」
いつも通りに何もされていないと返すと、そう言われることはわかっていたのだろう、少し表情を崩して礼を言うシモン。
「ここから戻って以降、本当にスヴェンは心を入れ替えて真面目に取り組んでいる。今まで少々飽きっぽいというか、雑なところがあったのだが、今ではそれもない」
「師匠! もういいですからっ」
急にほめられて慌てるスヴェンに皆が笑った。




