三八三年 雨の四十八日 ①
昼食の客が来るにはまだ少し早い時間。カランと鳴ったドアベルに、ククルとテオは顔を上げた。
「…久し振り」
入口に立つロイヴェインが、ククルを見て少し微笑む。
「…大丈夫って聞いたけど。どうしても、会いたくって」
「ロイ…」
そのまま店内に入ってきたロイヴェインは、カウンター越しにククルの前で立ち止まった。
「…大変だった?」
おずおずと尋ねる心配そうな声。
「皆がいてくれたから。もう大丈夫よ」
らしからぬ声に、安心させるようにそう返す。
そう、と笑みを見せたのも一瞬。ロイヴェインがふっと真顔に戻った。
「…ククル」
まっすぐにククルを見つめ、名を呼ぶロイヴェイン。
「……俺のこと、怖い?」
少し不安げに揺れるその眼差しに、ククルは表情を和らげ首を振った。
「怖くないわ」
すぐに返された言葉に安堵の息を洩らし、ロイヴェインは瞳を細める。
「よかった……」
そのままカウンター席に座ったロイヴェイン。穏やかな表情のククルに心からよかったと思う。
本当は改めて自分のしたことを謝ろうと思っていた。
改めて後悔してると謝って、許してもらえたなら礼を言って、できれば抱きしめて、好きだと告げて。
そうしようと思っていたのに、今はただ怖くないと言ってもらえただけで嬉しい。
自然と浮かぶ笑みを何とかごまかしながらククルを眺めていると、ククルが思い出したように尋ねた。
「朝にゴードンを出たの?」
「え?」
「着いた時間が普通より早いから」
そう指摘され、少し考え。
「朝早く出て。天気もよかったから飛ばしてきたんだ」
「そうなの」
気を付けてね、と言われ、ほっと胸を撫で下ろす。
本当は昨夜家を出て夜通し休まず来たのだが、ククルに話すと心配されそうなのでやめておいた。
やがて少しずつ客が入り始め、自身も昼食を取りながら。
彼女にとってのいつもの日常が送られていることを感じ、ロイヴェインは改めて安堵の息をついた。
昼食客の対応をしながら、テオはカウンター席の真ん中で食事をするロイヴェインを一瞥する。
アリヴェーラから話は聞いていたとしても、訓練までに一度は来るだろうとは思っていた。
妙な時間に来はしたが、それもまだいい。
問題は。
(…何であんなこと聞いたんだ…?)
自分が怖くないかと聞いたロイヴェイン。
襲われたククルが男に触れられることを怖がるかもしれないというならわかる。しかし、あれではまるでロイヴェイン自身のことを怖いかどうかと聞いているようにしか思えず。
そこまで考え、気付く。
あの日ロイヴェインと何かがあって。
ククルは泣いて。
自分には話してくれなくて―――。
すぅっと血の気が引くのを感じる。
どう思われるのかが怖くて話せないと言ったククル。
自分が怖いかと尋ねたロイヴェイン。
考えれば考えるほど符合する。
あの日、ククルは、ロイヴェインに―――。
「テオ?」
かけられた声にびくりと身じろぎし、テオがククルを見やる。
「どうしたの?」
怪訝そうに尋ねられ、咄嗟に言葉が出なかった。
「…何でもない」
覗き込むククルから目を逸らし、ようやくそれだけ返すテオ。
鉛を流し込まれたかのように重苦しい心中。
今はククルの顔が見られなかった。
昼食客が一段落し、ロイヴェインも荷を置きに宿に行った。
急にロイヴェインが来て驚いたが、どうやら安心はしてもらえたらしい。あれきり不安気な顔は見なかった。
心配をしてくれている皆。本当にありがたいと思う。
その一方。
ちらりと隣のテオを見る。
昼から様子がおかしいテオ。
何やら考え込んでいるのは間違いないが、どうしたのかと聞いても何でもないと薄く笑われるだけで。
自分は何かテオを困らせるようなことをしたのだろうか。
テオとふたり。いつも通りの時間であるはずなのに。
穏やかな静寂には程遠い沈黙は、不安ばかりを掻き立てて。
うつむきかけ、かぶりを振る。
(強くなるって、決めたんだから…)
深く息を吐き、意を決して、ククルは手を止めた。
「…テオ」
「何?」
「……私、何かした?」
ククルを見ないまま、テオの手が止まった。
「テオを困らせるようなことしてたなら、教えてほしいの」
自分にとって大切なこの時間をなくしたくないから。
「わた、し―――」
振り向いたテオが、ククルを抱きしめた。
またやるところだった、と。
ククルを抱きすくめ、テオは心中の鉛をゆっくり吐き出す。
辛いのは自分ではない。ククルなのだと。
何度自分に言い聞かせなければならないのか。
「ごめん」
束縛を緩め、テオが離れる。
「ちょっと落ち込んでただけ」
惚けてテオを見上げていたククルが、はっと我に返った。
「テ、テオ??」
「もう大丈夫。ありがとな」
ぽふんと頭に手を乗せ、笑う。
その笑顔に、ククルも表情を崩した。
「…困らせてない?」
「ないよ」
「本当に?」
「ホントだって」
「…何を落ち込んでたの?」
尋ねたククルを笑顔のまま。
「俺もバカだなって思って」
まっすぐ見つめ、呟いた。




