三八二年 雨の五十日
ジェットが来るまですることがないからと、ウィルバートはほぼ店にいた。迷惑をかけた分だと言って細々手伝ってくれることに恐縮しながらも、穏やかに時間は流れる。
昼食の客も捌け、夕方また戻ると言ってテオも宿へと行った。することといえば夕食の仕込みだけなので、ウィルバートには座ってもらう。
「手伝っていただいてありがとうございました」
お茶を出しながら礼を言うと、にっこり笑って首を振られる。
「いえ、結構楽しかったです。…それはそうと、ククルに提案があって」
「私にですか?」
お茶請けのタルトを置くククルに、ウィルバートは頷く。
「何だか色々と醜態を晒してしまっているので、言い訳も兼ねて俺のことを知ってもらえたら、と」
仕込みをしながら聞いてくださいと言われてしまえば、特に断る理由もなく。
了承の意を返すと、あまりいい話ではないんですけどね、と前置かれ。
「俺のいた孤児院の院長が十歳のときに捕まって―――」
「ウィル?」
思わず言葉を遮るが、怪訝な顔で見返される。
「あの、ちょっと待ってください。それって私が聞いてしまって大丈夫ですか?」
さらりと言われたが、既に聞き返したい言葉がいくつもある。
「ジェットも知ってるので気にしないでください」
「…エト兄さん、何て言ってましたか?」
そうですねぇ、と少し考えて。
「確か、お前も色々苦労してるんだな、と言われました」
まるで他人事のようにあっさり告げられるが、その内容からすると。
(…仕込みしながら聞く話じゃないとしか…)
心中呟き、ククルはウィルバートを見る。
「ウィル。もう少しで一旦手が空きますので、そのときに聞きますね」
「でも、それだとククルに迷惑が―――」
「待ってて、くださいね?」
みなまで言わせず、ククルはそう言い切った。
自分の分のお茶の用意をしたククルが隣に座る。
そういえばいつも働くククルを眺めるばかりで、こうして隣に座ったことなどなかった。
身体を斜めにしてこちらを向いて座るその距離はいつもより近く、嬉しさと緊張を覚える。
「孤児院にいたんですか?」
どこから話そうか迷っていると、ククルがきっかけをくれた。頷いて続ける。
「二歳のときに親が亡くなり引き取られたと聞きました。十歳のときに、前年に来た新しい院長が何かやったようで、警邏隊とギルド員が踏み込んできて」
あっという間でした、と笑う。
「バラバラに引き取られるのはかわいそうだと、そこに居合わせたギルド員が、全員まとめて引き取ってくれました」
「…全員、ですか?」
「はい。零歳から十二歳まで、十三人」
「十三人…」
普通に考えると正気の沙汰ではない。
返す言葉のないククルに、ウィルバートは苦笑する。
「後先考えない人ではありましたけど、真面目でまっすぐな人でした」
表情に反して声は優しい。
テーブルに置いた手に視線を移し、続ける。
「その人…親父は。家族になるんだと言って、全員に自分の家名をつけて。借金して村も作りました」
ちなみに村の名もレザンという。場所はアルスレイムから馬で一日、ここからなら二日程だろう。こどもが多いので、鶏と羊を飼うことにした。数年前から養豚もしているらしい。
「そうして三年かかって形にしたところで、親父が仕事中に亡くなりました」
ククルが息を呑んだのがわかった。両親を亡くしてそう日が経っていない彼女には酷な話かとも思ったが、自分を語る上では避けて通れない。
すみません、と小さく呟く。意図は伝わったのか、首を振ってくれた。
「残されたのはこどもと借金だけで。最年長のふたつ上の兄が村を取り仕切り、次の俺が働きに出ることになって」
仕事中の事故ということもあり、しばらくはギルドから人手も援助もあった。借金先もギルドの紹介なので、返済もしばらく待ってくれた。
だからその間に。村の経営を軌道に乗せ、少しでも借金を減らさなければならなかった。
「ギルドに事務員で雇ってもらえて十年、今に至る、というところです」
一気にそこまで話し、カップを手に取る。反応が気になって横目でククルを見ると、話し始めたときと同じように、じっとこちらを見ていた。
その表情に嫌悪や同情が見られないことに安堵する。
ククルに限ってそんなことはないと思ってはいたのだが、やはり過去を語ることには少し躊躇があった。しかし先日の自分の言動の言い訳をするには必須であり、それに加えて。
(…まさかこんなことになるなんて、思うわけないもんな…)
借金のことをずっと人避けに使っていた。独り言のように口にしておけば、滅多に人は寄ってこない。
だからククルにもそのつもりで口にした。結果としてククルの態度は何ひとつ変わらなかったが、万が一でも誤解があるなら解いておきたかった。
「長々とすみません。聞いてもらえてよかったです」
とにかく目的は達した。
時間を取らせた詫びを言うと、とんでもないと首を振られる。
「話していただいてありがとうございました。…ウィルはすごいですね」
「えっ?」
何のことかわからず問い返すウィルバートに、ククルは微笑む。
「私も。負けないようにがんばりますね!」
まじまじとその笑顔を見、それから言葉の意味を呑み込んで。
あからさまに不自然な動きで、ウィルバートはククルから視線を逸らす。
「…ククルは十分、がんばってますよ」
やっとの思いでそう呟く。
顔が赤くなっていることは、見えなくてもわかった。
珍しく照れた表情を見せるウィルバート。あまり見ては失礼だと、ククルは正面に向き直る。
(…ウィル、本当に立派な人なんだ)
似た境遇だと言われたが、ウィルバートの苦労は自分の比ではなかっただろう。
そのことを何でもないように話し、自分を励ましてくれる。
自分もがんばろう。素直にそう思えた。
しばらくお茶を飲み、落ち着いた頃を見計らって視線をやる。
向こうもこちらの様子を窺っていたのだろう。目が合ってしまい、咄嗟に話を振った。
「村の方はどんな感じなんですか?」
「村…ですか…?」
ククルの言葉を繰り返し、少し困ったように笑う。
「上手くやってるようですよ。任せっきりなので、俺は詳しくないんですけど」
「えっと…ウィルの故郷、なんですよね?」
「兄と手紙のやりとりはしてますが、その、一度も戻ってなくて…」
「十年間一度もですか?」
頷く代わりに苦笑を見せる。今まで一度も里帰りができないなど、ギルドの事務員とは一体どれだけ忙しいのだろうかと、思わずウィルバートの身体を心配してしまう。
そんな心配をされているとは露程も思っていないのだろう、ウィルバートは苦笑のまま手元のカップに視線を落とした。
「それこそ、親父の愚痴でも言いに行けたらよかったんでしょうけど」
「行けばいいと思いますよ」
ウィルバートの動きが止まった。こちらを見ない彼に、ククルは続ける。
「ウィルの故郷なんですから。帰りたいときに帰ればいいんですよ」
自分がわかるのは待つ側の心境。自分にとってのジェットがそうであるように、おそらくウィルバートの故郷の人たちも。
「いつでも、いつまでも。どんなに様変わりしたとしても。帰ってきてくれるだけで、嬉しいものなんですよ」
物心ついた頃からずっとジェットを待ち、迎えてきたククル。その言葉に。
ウィルバートはうなだれ、小さく頷いた。
「…お土産用のお菓子、頼みに来ていいですか?」
「もちろんですよ。任せてください」
即答すると、下から覗き込むように少しだけ顔を上げ、ふっと微笑まれる。
「じゃあ、俺がまた来るのも待っていてくださいね」




