三八三年 雨の三十六日 ②
「ククル!!」
夕方に息を切らせて駆け込んできた人物に、ククルとテオは本当に驚いた。
「アリー??」
アリヴェーラはそのままの勢いでカウンター内へ入り、ぎゅっとククルを抱きしめる。
「大変だったわね」
それだけ呟き、しばらく強く抱きしめたあと、アリヴェーラはククルを解放した。
「アリー、来てくれたの?」
「もちろん来るわよ」
心配そうにククルを見つめ、アリヴェーラはもう一度手を伸ばす。
「ごめんね、何を言えばいいのかわからないの」
いつも明るく余裕のあるアリヴェーラが、言葉に詰まってまたククルを抱きしめた。
「アリー…」
その心配を受け止めるように、ククルもアリヴェーラを抱きしめる。
「ありがとう。私はもう大丈夫だから」
「大丈夫だって大丈夫じゃなくったって。私はククルが心配なのよ」
少し強い口調でアリヴェーラが零す。
「そんな言葉で突き放さないで」
心配くらいさせて、と。そう請われて。
ククルは今まで心配する皆に大丈夫だと言い続けてきた自分を少し恥じる。
「…そうね」
頑なに大丈夫だと言い張る自分を、行き場のない心配を胸に、皆はそれでも気遣ってくれていたのだろう。
「辛くなったら、助けてね」
「当たり前じゃない!」
その為に来たのよと、ククルを離したアリヴェーラは微笑んだ。
ギルドからゼクスの下に、ククルが襲われたと連絡が来たのだとアリヴェーラは話す。
「ただ襲われたってだけで、怪我の有無も書かれてなかったから。もしかしてってことになって」
それでアリヴェーラが来たのかと、ククルは納得した。
「ここに向かう途中でウィルバートさんと会えたから、無理言って詳しい話を聞いたの」
許可も取らずに聞いてごめんね、と謝ってくれるアリヴェーラに、構わないと首を振る。
「ゼクスさんたちにも必要なら―――」
「言わなくていいわよ、あんなこと!! どうせ男にはわからないんだから!」
きっぱりとアリヴェーラが言い捨てた。
あまりに大きなその声と内容に、カウンター内でテオが苦笑する。
そのテオをちらりと一瞥してから、アリヴェーラはククルに微笑んだ。
「しばらくここに泊めてもらっていいかしら?」
「もちろんよ」
即答するククルに笑みを深めて礼を言い、宿にも挨拶してくると店を出た。
アリヴェーラが店を出てしばらく。少し宿に戻ると言って、テオは店を出た。
入口を出てすぐ、不機嫌そうなアリヴェーラに捕まる。
「あんまりククルをひとりにしたくないんだけど」
宿に行くと言いながら、肌を刺すほど威圧してきたアリヴェーラ。話があるということだと思い、テオも外に出てきたのだ。
「私だってそれなりに気配はわかるから大丈夫よ。それより」
すぅっとアリヴェーラの視線が冷える。
「どうしてククルがあんな目に遭ってるの?」
あからさまな殺気に、テオが息を呑んだ。
「あんたがいながら。何でこんなことになってるの?」
静かな声音は彼女の怒りの表れなのだろう。棘どころではない鋭利な言葉に、ほんとにな、とテオは呟く。
「俺がククルを守れなかったのは事実だから。言い訳はしない」
潔く落ち度を認めるテオ。見下ろす翡翠の瞳の鋭さはそのままに、アリヴェーラは重ねて問う。
「それで。大丈夫だって言うのを鵜呑みにして、なかったことにしてるの?」
「…いつも通りのほうが、ククルが落ち着くみたいだから」
「なかったことになんてなるわけないでしょ」
続けられた言葉は、自分がずっと引きずっている言葉だった。
「わかってるよ…」
今回のことも。目の前の彼女にそっくりな男とのことも。
忘れられるわけがないことくらい、自分にだってわかっている。
「それでも、今の俺にはそれしかできない」
自分には、それを忘れさせることはできないから。
だからせめてククルの望むように。
何もなかった頃と同じように。
知らない振りをするしかない。
翳りはあるが迷いはないテオの瞳に、ずっとテオを睨んでいたアリヴェーラがふっと和らいだ。
「わかってるならいいわ」
解ける殺気に緊張が緩み、テオもようやく息をつく。
「本人もごまかすつもりはないだろうけど、本当に吹っ切るにはしばらくかかるわ」
当然のことのように紡がれた言葉に、テオは以前のアリヴェーラの話を思い出した。
ロイヴェインと共に監禁されたことのあるアリヴェーラ。幼い姉弟の心に刻まれた傷は、おそらく浅くはなく。
理不尽な暴力に晒されたという点で、ククルに通ずるものがあるのだろう。
「今度こそ、見ててあげて」
先程までの冷たさは嘘のように、ククルと、そして自分を思いやる眼差しを向けられて。
「必ず」
アリヴェーラがどうして自分を責めたのか、テオも理解した。
言い切るテオに満足そうに笑み、戻るわよ、と店に向かうアリヴェーラに。ぼそりとテオが呟く。
「ありがとな。気合入った」
自分のせいではないと周りに慰められてばかりで、つい自分も被害者よろしくククルと共にいつも通りの日常に甘えるところだった。
自分がすべきことは、彼女と共に甘えることではなく、彼女が甘えられる環境を調えること。
その為に、逸早く異変に気付くこと。
今度こそ、彼女を守れるように―――。
うしろからかけられた声に、振り返ったアリヴェーラがくすりと笑う。
「叱ってほしそうな顔してたから」
「何だよそれ」
苦笑して返すと、だってそうでしょ、とさらに笑われた。




