三八三年 雨の三十四日
朝からレムにちゃんと眠れたかと心配そうに尋ねられ、朝食の席ではアレックとフィーナに調子を聞かれ、テオには気遣わしげな眼差しで見守られ。
申し訳なく感じる程に皆に気遣われながら、ククルは店に戻った。
昨日はミランの待機命令に応じてくれたギルド員たちが朝食を食べに来たので再度礼と詫びを言うと、気にしていないと言うばかりか、同じギルド員が迷惑をかけたと詫び返される。
あんな奴ばかりではないのだと言う彼らに頷き、今度こそもてなしたいのでまた来てくれるよう伝えると、もちろんそのつもりだと笑ってくれた。
そんな彼らを見送り、客も捌け。
いつもなら宿に行くテオも、今日は何も言わずに隣にいた。
「いいの?」
「何が?」
「宿。行かなくて」
あまりに動く様子のないテオにそう聞くと、うん、と頷かれる。
「こっちにいろって言われてるから」
当たり前のようにそう告げて、仕込みを続けるテオ。
テオたちの優しさを身に沁みて感じながら、ありがとう、とククルは小さく呟いた。
手を動かしながら、テオは内心ほっとする。
ソージュが今日も来ると言ってくれたので、自分はここから離れなくていいことになったのだが。
ククルのことだから、自分は大丈夫なので宿に行くようにと言われるかもしれないと思っていた。
存外素直に受け入れてくれたことに安堵する。
自分の隣、いつも通りの穏やかな表情のククル。
昨日の夜フィーナがククルに頼まれていると言って、ククルがされたことを話しに来てくれた。
そんなにひどいことはされていないとククルは言ったが、自分としてはもっと殴っておけばよかったと本気で思う程で。
あのときのククルがどんな思いをしていたのかと考えると、間に合わなかったことが悔やまれてならない。
それでもこうしていつも通りいてくれるククル。
そんなククルの為に今の自分にできることは、自分も変わらぬ態度を取ること。
自分の反応を気にしていたククルがこれ以上心配しなくていいように、何を聞いても変わらないのだと示すこと。
ククルが何をされたとしても、それでククルを見る目が変わることなどあり得ないのに、と。
思いもしないことで怖がっていたのだと、初めて知った。
そしてもうひとつ気付いたことがある。
(……もしかして、ロイのことも…)
話さないのではなく、話せないのかもしれない。
そう、思った。
昨日の騒動が嘘のように、穏やかに時間は過ぎる。
夕方にはククルもすっかり落ち着きを取り戻し、何事もなかったかのように店に立っていた。
今日一日ずっとテオが店にいてくれたおかげで、思い出すことも不安に駆られることも何もなかった。
隣にいるのがテオだから。
幼馴染で家族同然で仕事仲間でもあるが、テオだから。
ほかの誰とも違うこの安堵感は、自分がテオのことを好きだから、なのだろうか。
ちらりと隣のテオを盗み見、どうだろうかと考える。
自分に向けられている想いと、自分のテオに対する思い。同じものであるとはとても思えず。
やはり違うのかと思う一方、わずかに何かが引っかかる。
それが何かまではまだわからず。
「ククル?」
考え込んでいるのに気付かれ、テオに声をかけられる。
どうしたかと問うその声になんでもないと返し、ククルは視線を戻した。
その日も泊まりにおいでと言われたが、もう大丈夫だからと断った。
ひとりにならないよう皆が気遣ってくれるのは頼もしいが、ひとりで考える時間もほしかった。
ひとりの部屋で、今回のことを考える。
皆自分には非はないと言ってくれるが、立ち回り次第では回避することができたのではないかと思う。
話したいだけだと言われていたのだから、本当なら話すだけで済んだはずなのに。手を掴まれた時点で動揺して逃げようとして、おそらく相手を怒らせたから手を出されたのだ。
もちろん放してと請うた時点で手を放してくれてさえいれば、とは思うのだが。
今回はテオも怪我をせずに済んだ。
しかしいつ巻き込んで危ない目に合わせることになるかわからない。
守られてばかりじゃ駄目なのだと、ククルは心中呟く。
自分の周りを危険に晒したくはない。
気にするなと言われるのはわかっている。
しかしそれでも、守りたいのは自分だって同じなのだ。
(私は、もっと強くならないと……)
その為に自分にできることを、探さなければならない。




