三八三年 雨の二十五日
ジェットとダリューンが帰る日となった。
昼に出ればいいからと、使った部屋を片付けてくれるふたり。最後の最後まで働かせることに恐縮するククルに、やらせてくれとジェットは笑う。
「ありがとな、長かったろ」
大変だっただろうと言われ、ククルは首を振った。
「エト兄さんの家なんだから。ずっといてくれていいの」
「クゥ〜!」
抱きつくジェットに、ククルも笑って背を叩く。
「いつでも。待ってるから」
「ああ。またすぐ来る」
名残惜しそうなジェットから離れ、ククルは微笑ましげに眺めていたダリューンも抱きしめる。
「ダンも。待ってるわ」
ククルにしては珍しいその行動にしばらく驚いて見下ろしていたダリューンだったが、軽く肩を抱いてから頷いた。
「ああ。俺も来るよ」
すぐに離れ、あとはいつも通り頭を撫でるダリューン。変わらぬ優しい笑みにククルも微笑み返す。
今までで一番長い滞在。
ずっといてほしいなどと無理を言うつもりはないが、やはり寂しい。
「…ありがとう」
礼を言うククルの表情に、ジェットは息をつき、もう一度ククルを抱きしめた。
微笑む瞳の翳りに、やはり寂しい思いをさせているのかとジェットは思う。
自分の滞在中に以前ウィルバートが言っていたような様子は全く見なかったが、こうして訪れていた人々が帰り、長くいた自分たちもここを離れたとき、普段以上に寂しく感じるのではないかと懸念していた。
四人で飲んだときにテオとアレックには頼んであるが、それでもここにいられない自分には心配しかなく。
以前に比べると頻繁に来られてはいるが、それも訓練の視察と警邏隊のことがあるから、だ。
既に訓練は軌道に乗った。警邏隊の件が片付けば、おそらく顔を出す機会は格段に減るだろう。
「エト兄さん、苦しい」
「悪い」
ついつい力を入れすぎたようで、見上げるククルに笑われる。
ククルがひとりにならないという意味では、早く相手を選べばとも思うのだが。
(…それはそれで、腹が立つよな…)
自分の大事な姪が誰かのものになるなど正直考えたくない。
テオには報われてほしいと思う気持ちも本当だが、それはそれ、これはこれ、だ。
いっそのことギルドの本部がミルドレッドにあればいいのにと、無茶なことも考えながら。
腕の中のククルの平穏と幸せを願い、ジェットはもう少しだけ腕に力を込めた。
「じゃあ行くから。クゥ、お土産ありがとな。テオ、あとよろしく」
「また」
雨の中出発するジェットとダリューンがそれぞれ声をかける。
「ふたりとも気を付けて」
「無茶するなよ」
ククルとテオの言葉に頷き、ジェットが片手を上げた。
「大丈夫。また次の訓練でな!」
出ていくジェットとダンを見送るククルが、ぎゅっと両手を握りしめる。
「待ってるから」
去り行く背にかけた声は、おそらく聞こえてはいないだろうが。
扉が閉まってもそのまま見つめ、ククルはただ無事を祈った。
午後、いつもよりは少し遅れ気味の仕込みをしながら、テオは隣のククルの様子を盗み見る。
長く自分たちがいたせいで反動があるかもしれないからと、ジェットに気を付けるよう頼まれていた。
宿のほうも忙しくはあるが、なるべく店にいられるよう許可は得ている。
今のところおかしな様子はないなと思いながら、いつも通り隣に立っていた。
客のいない店内、ふたりの作業音だけが響く。
ジェットたちが来てからは毎日賑やかで、この静寂も久し振りだなとテオは思う。
ククルの存在を隣に感じながらの静寂は心地良く、何の気負いも焦りもない。
いつまでもこうしていられたらと。
願うのは自分だけなのだろうけど。
「…こうしてるのも久し振りね」
仕込みを進める中のククルの言葉。同じことを考えていたのかと思い、少し嬉しい。
「そうだな」
隣は見ずにそう返すと、静寂が再び訪れる。
しばらくそのまま作業を続けていると、またククルが口を開いた。
「ねぇ、テオ」
「ん?」
「ここにいてくれて。隣にいてくれてありがとう」
テオの動きが止まった。
ククルだけが動く中、どうしても顔を見ることができないまま、テオはぼそりと呟きを洩らす。
「……俺でいいの?」
「テオ以外の誰がいるの?」
返された即答に、テオはうなだれたまま息をつく。
自分が本当に望む意味ではないとわかっている。
しかし、それでも。
「よかった…」
ここにいられるなら。隣にいられるなら。
うつむいたまま笑みを見せ、テオは仕込みを再開した。




