三八三年 雨の二十四日 ②
何とかテオに機嫌を直してもらい、安堵の息をつくジェット。
十日にここへ来てから今まで、仕事もなく店にいられたおかげで色々気付いたこともあった。
カウンターの中、同じくどうやら怒りは収まったらしいククルを見る。
ギルドで話す懸念とはまた別に、ククルを取り巻く状況には叔父として心配しかなかった。
自分の前では気持ちを隠すつもりのなさそうなウィルバート。初めの頃の遠慮などもう欠片もないロイヴェイン。ラウルに至っては自分の存在すら無視してくる。
そんな中で、ずっと昔から好きなくせに、ずっと同じ立ち位置を貫くテオ。
ククルの選ぶ相手を否定はしないが、それでもやはり、どうにかテオに報われてほしいと思っているのも事実で。
昨夜あの場にいたのはテオの気持ちを知る者ばかり。酒も入り、焚きつけるつもりがつい口が過ぎたようだ。
周りがどうこう言うものではないとわかってはいるのだが、何の動きもないふたりの関係は見ていてどうにももどかしく、じれったい。
心中の嘆息など知る由もなく並んで立つふたりに、穏やかな笑みを向ける。
次にまたここへ来たときもこうして並ぶふたりを見られたら。そしてそれがずっと続いていけばと。そう思いながら。
生温い笑顔で自分たちを見るジェットには視線を向けずに、テオはそういえばとククルを見る。
「こっちはやっとくから。いつでも行って」
「何の話?」
「お菓子作るんだろ?」
きょとんと見返すククルに、テオはまた、と呟いた。
「ジェットから聞いてない?」
「エト兄さんから?」
自分の名が出たことに、ジェットも怪訝そうな視線を向けてくる。
気付けよ、と苦笑しながら、ジェットの代わりに説明をする羽目になったテオ。
「お土産のお菓子、ククルに頼むって聞いたけど?」
そう伝えると、ククルは首を傾げてテオを見返す。
「聞いてないけど…」
「俺に言われても…」
苦笑いのままそう返すと、ククルはそのままジェットを見た。
「エト兄さん?」
「俺まだ言ってなかったっけ?」
「聞いてないわ」
がしがしと頭を掻いて、ジェットも首を傾げる。
「確かに思いついたの昨日飲んでたときだから、言ってない、か…?」
何とも呑気なことを呟くジェット。
「長いこと休ませてもらったし、ミルドレッドで土産でも買って持っていこうかと思ってたんだけど。あれだけクゥの料理が評判になってるなら、クゥに作ってもらったほうがいいかと…」
怪訝そうな顔のまま、見つめ合うふたり。
「……頼めるか?」
「いつも言うけど、もっと早く言ってね」
仕方なさそうに、ククルが溜息をついた。
明日帰るジェットたちの為、その日は住人たちが入れ替わり顔を出してくれた。
その様子に、ジェットたちがここにいるのも明日までなのかとククルは実感する。
もらった休みすべてをここにいることに費やしてくれたジェットたち。
もちろんクライヴたちの命日だということもあったのだろうが、自分の心配をしてくれているのも明白で。
尽きぬ感謝の思いと終わりが近い寂しさに、ククルはそっと息をつく。
訓練中とは違い、日常の中にジェットたちがいてくれた。
久し振りの人の気配を感じる生活はとても心地良く温かで、これが当たり前なのだというように自分を包み込んでくれる。
誰かが傍にいる賑やかな毎日に慣れてしまった今。
またひとりきりの生活に戻るのが少し怖かった。
閉店作業も済み、テオが帰ってから。
明日帰る前にと言われ、ククルはジェットと並んでカウンター席に座る。
遠慮しようとしていたダリューンにはふたりがかりでここにいるよう説き伏せ、ジェットと反対側に座ってもらった。
「早かったよなぁ…」
大きく伸びをしながら、ジェットがしみじみ呟いた。
火は落としてあるのでお茶は淹れられず、一杯だけと酒を注いだ。ククルの前にもグラスに半分程、控えめに注がれた酒がある。
「あーもう、行きたくない…」
「そんなこと言わないの」
くすくす笑ってそう嗜める。尤も責任感の強いジェットのこと、本気で言っているわけではないだろう。
「…俺もジェットの気持ちはよくわかる」
ぽつりとダリューンが手元のグラスを見たまま零す。
「こんなに寛いだのは久し振りだな」
ダリューンが両親を亡くしたのは、十三歳でギルドに入ってすぐのことだったそうだ。兄弟も親戚もおらず、仕事柄故郷とも疎遠になり、今では仕事で近くに行ったときに墓に花を手向ける程度らしい。
ここへ来てもいつも宿に泊まっていたダリューン。今回こうして家に泊まることで、いつもとは違う安らぎを感じてくれたのかもしれない。
「ダン……」
あまり聞かないダリューンの本音に近い言葉に、ジェットは瞠目して名を呟いたあと、視線を落とす。
「ダンも。もちろんエト兄さんも。いつでもここに帰ってきてね」
少し嬉しそうなジェットと穏やかに微笑むダリューンの間、ククルも笑みを見せ、両者に告げた。
「私はここで待ってるから」
「ああ」
横からダリューンが手を伸ばし、ククルの頭を撫でる。
一歩出遅れたジェットは嬉しそうなダリューンと微笑むククルを交互に眺めて相好を崩し、行き場を失った手を降ろした。




