三八三年 雨の二十三日
今日はアレックとフィーナを休ませるということで、食堂はククルとテオ、宿はレムとソージュとジェット、ダリューンは状況に応じて、ということになっていた。
「父さんも開き直ったみたいで。いつも通り起きてはきてたけど、母さんとふたりでゆっくり朝食食べてたよ」
笑いながらのテオの言葉に、休んでくれているならよかったとククルは思う。
この一年、アレックにもフィーナにも頼りっぱなしだった。休む間などなかっただろうふたりに、少しでも疲れを取ってもらえればと思う。
「昼は来るって」
「じゃあ安心してもらう為に、ちゃんと進めておかないとね」
「そうだな」
そう気合を入れ、ククルはいつもよりも張り切って仕込みに取りかかった。
昼食を食べに来たアレックとフィーナは、ありがとうとふたりに礼を言う。
「宿を始めてから今までで、一番ゆっくりしてるかもしれないな」
そう言って笑うアレックの表情はとても嬉しそうで。ジェットたちには無理を言ったが、こうして喜んでもらえてよかったとククルは思う。
「そうだテオ。今晩テオも付き合え」
「父さん?」
何の話かと疑問の声を上げるテオに、それがいいとひとり頷くアレック。
「ジェットたちももうすぐ帰るからな。その前に飲もうと言ってるんだ。店閉めてからでいいから」
「じゃあククルはうちで、レムと三人でお茶でもしましょう」
急に振られ、ククルも驚きフィーナを見るが、楽しそうに笑う様子に断るのはやめた。
昼からは町に出ていたアレック。夕方にはフィーナとふたりで店に来て、一足早く飲み始めた。
店に来る住人たちと楽しそうに話すふたりに、できればこれからもこんな機会を作ることができればと思う。
「…ありがとな、ククル」
隣でぼそりとテオが呟いた。
「テオ?」
「父さんたちに喜んでもらえて。俺も嬉しい」
手元を見たままのその声に、ククルもテオから視線を逸し、そうねと返す。
「私もよ」
閉店作業の済んだ店内には男たち四人が残り、ククルはどうせならと言われ、レムの部屋に泊まることになった。
カスケード家の一階、女三人でお茶とお菓子を囲んで話にふけることしばらく。
瞳を細めてククルとレムを見ていたフィーナが、突然両手を伸ばしてふたりの頬に触れた。
「本当に。私は幸せね」
噛みしめるように呟くフィーナ。
「ありがとう」
「お母さんってば」
そう笑い、レムは隣のククルに抱きつく。
「私もここにいられて幸せだよ!」
目の前のフィーナと、隣のレムと。
家族同然のふたりが自分に向ける優しい瞳に、ひとりではない喜びと、気にかけてもらえる嬉しさを感じ、ククルも微笑み頷く。
「私も」
その表情に、フィーナの笑みに安堵が混ざった。
「…よかったわ」
小さな呟きが向けられた先は、おそらく自分ではなく。
ククルも同じように、心の中で母に告げる。
温かく見守ってくれる人たちがいる。
だから私は大丈夫、と―――。
三人でのお茶を終えてからしばらく。
レムの部屋で話していると、部屋の外から足音が聞こえた。
「お兄ちゃんかな?」
レムの言葉にふたりで廊下を覗いてみると、案の定テオが立っていた。
「お兄ちゃん大丈夫?」
どこかぽやんとした表情のテオに、お水持ってくるから、とレムが階下に降りた。
「テオ? ちょっと待っててね?」
「…ククル?」
きょとんと見返すテオに、ククルは少し笑う。
「だいぶ飲まされたみたいね」
この分だとジェットも潰れているのだろうと思いながら、じっと自分を見返すテオを見る。
「明日、朝はゆっくり来てくれて大丈夫よ」
「…嫌だ」
ぽつりとテオから呟きが洩れた。
「テオ?」
聞き返すククルに、テオの手が伸びる。
「…ククルの隣は俺の場所なんだ」
するりと頬に手が触れた。
「譲らないから……」
「テオ??」
「…俺の……なんだから…」
まっすぐククルを見つめるテオが、ふっと笑う。
「いい…?」
どう考えても完全にいつものテオではない。
「い、いいって何が……?」
顔が赤くなっているのを自覚しながら後ずさるククル。
ぱたりとテオの手が落ちた。
その衝撃に、はっとテオが目を瞠り。
「お兄ちゃん、お水―――」
駆け上がってきたレムが、真っ赤になったククルを見て足を止めた。
そして。
完全に酔いが醒め、己のしでかした言動に苦悩するテオと。
何があったのかとレムに詰め寄られながら、言葉を濁すしかないククルと。
両者の眠れぬ夜は、いつもより少々長く続いた。




