三八三年 雨の二十一日 ②
昼食を経て、ククルに呼ばれて出来上がったパウンドケーキと対面したウィルバート。
並んだ四本のうち柑橘ジャムを混ぜ込んだものが、自分の作ったものだった。
初めて作った菓子を、ウィルバートはまじまじと眺める。
特に膨らんでないということもなく、見た目は本当に普通のパウンドケーキだった。
もちろんククルが作ればもっと上手くできたのだろうが、それでも普通に焼き上がっていることに妙な感動を覚える。
「普通にできてる…」
思わず呟き、ククルに笑われた。
「昼前には焼き上がっていたんだけど…」
昼食客が来る時間と重なり、伝えるのが遅くなったと謝られる。
「俺のほうこそ、あとを任せっきりでごめん。忙しい時間に重なったのも、俺に教えながらやってたからだろうし…」
そんなことないと首を振られ、続けてどうするか聞かれた。
「折角ウィルが作ったんだし、レザンに送ってもいいかもしれないけど…」
「いや、よければ一緒に食べてほしい」
迷いもせずに、ウィルバートはそう言い切った。
「ククルと一緒に食べたいんだ」
少し強い口調で言われ、ククルは驚いた様子でウィルバートを見返していたが、やがてふっと笑みを見せる。
「ありがとう。じゃあ、もう少しあとになるけど」
「いつでもいいよ」
微笑み返し、ウィルバートも告げた。
少し急いで仕込みを進め、どうにかいつもより早く手を空けることができたククル。
ウィルバートにはいつでもいいと言われたが、折角なので今しか味わえない食感を楽しんでもらいたかった。
テオは宿へ、ジェットとダリューンは話すことがあると部屋に戻っているので、ふたり分のお茶を淹れ、パウンドケーキを切る。
一緒にと言われたので、少し迷ったが自分の分も隣に置いた。
「お待たせしました」
ついいつもの調子でそう言ってしまい、笑われながら隣に座る。
「材料はククルが用意してくれたから間違いないんだけど、何だかちょっと緊張するな…」
どこか楽しそうに呟くウィルバートは、浮かれているのか、いつもより少年めいて見える。
「じゃあ、いただきます」
ウィルバートにそう告げてフォークを手に取り、わざとゆっくり切る。
その間に同じくいただきますと言い、動きを止めたククルに気付かず一口食べたウィルバート。
味わうように食べるその様子を見届けてから、ククルも口にした。
時間が経つにつれしっとりするパウンドケーキも、焼いたばかりだとまだ上部がサクサクと軽く、また違った食感で。
折角手ずから作ったのだから、それを味わってほしかった。
二口、三口と食べ進めるウィルバートに、こちらの食感も気に入ったようだと内心思う。
「…これ、いつもと違うけど、一緒なんだ?」
三分の二程食べてから、ウィルバートがぽつりと呟く。
「明日になったらいつも通りになってるわよ」
「そうなんだ…」
不思議そうにパウンドケーキを見つめるウィルバートは、やはり少年のようで。
あまり見ることのない表情に、ククルは楽しんでもらえたようだと嬉しく思った。
自分の隣、優しい笑顔で座るククルを気取られぬよう一瞥して。
初めてここに来てから、もうすぐ一年かと独りごちる。
この一年で、本当に自分は変わった。
こうして何度もここへ来ることも。
故郷に再び足を踏み入れることも。
ギルド内外に知り合いが増えることも。
事務長補佐になることも。
―――こんなに誰かを好きになることも。
彼女と出会わなければ、きっとなかった。
そうして自分をこんなに変えた彼女は、一年前と少しも変わらず自分を迎えてくれる。
変わらないことへの安堵と。
自分の望むように変わってほしいとの願望と。
ふたつの狭間に立ちながら、それでも願うのは彼女の幸せで。
その為に自分に何ができるだろうと、そんなことも考える。
「どうかした?」
考え込む様子にそう尋ねられるが、たいしたことじゃないと首を振った。
「…一年前は考えもしなかったなって思って」
「え?」
「俺がお菓子を作るなんて」
そう言い笑うと、ククルも笑みを見せる。
「作ってみてどうだった?」
「楽しかったよ。ククルのおかげかな」
からかわないでと言われるが、紛れもなく本気だった。
「ありがとう。よければまたご指導願える?」
わざと軽くそう言うと、くすりと笑って頷いてくれる。
「私でよければ」
ククルがいいのだと、呟きかけたが呑み込んで。
ありがとうと、代わりにもう一度礼を述べた。




