三八三年 雨の二十日 ①
相変わらずの雨の中、昼過ぎにウィルバートが到着した。
宿に荷を置いてから昼食を食べに戻ってきたウィルバート。まっすぐカウンター席に向かおうとしたのを止めて、定位置のジェットが自分の正面の席を顎で示す。
「先に話させろって」
「…わかりました」
ものすごく不服そうな顔で返し、ウィルバートはジェットの前に座る。
「ありがとな。ギャレットさん、喜んでくれてた」
座るなりの謝辞に、ウィルバートは息をつき、表情を緩めた。
「戻ったギャレットさんにも礼を言われました。こちらも滞りなく」
「そっか、よかった。ウィルの休みも潰れずに済んだみたいだしな」
「そこはもう」
見せる笑みに苦労が忍ばれ、ジェットは苦笑する。
「それと、リックのことも。おかげで全員揃うことができた」
「俺は仕事を回しただけなので」
あくまでしらを切るウィルバートに、ありがとな、ともう一度言ってから。
「ま、日数は短いけどゆっくりしてってくれな」
労うつもりの言葉に、ウィルバートはそれなら、とジト目でジェットを見る。
「気を遣っていただけるとありがたいです」
「一応俺んちでもあるんだけどな?」
全く、とぼやいてジェットが立ち上がった。
「今日だけだからな?」
カウンターのククルには聞こえないようぼそりとつけ足し、ククルに隣に行くと告げて、宿を手伝うダリューンの下へと向かう。
慌ただしいその様子に首を傾げるククルと、あからさまな気遣いを見せたジェットに嘆息するテオ、そのふたりの前に座って。
「やっと来れた」
笑みを見せ、ウィルバートは告げた。
まずはと出された食事を食べながら、ウィルバートはククルを見やる。
二度の訓練があったので祝の月はかなりの日数をここで過ごしはしたが、やはりほかの目もあり思うようには動けなかった。
前々回の訓練でのラウルとのことと。
前回の訓練でのロイヴェインの態度と。
確かめたいのに、できないままだった。
そして今回のクライヴの命日、ゼクスたちと共に来ていたというロイヴェインと、そして―――。
「昨日ゴードンの宿でフェイトたちと会ったんだ」
ラウルもまた、ここに来ていたと。
「ククルによろしくって」
「無事に着いたならよかった」
安心したように微笑むククル。
「ウィルも無事に来てくれてよかったわ」
その言葉にギャレットから聞いていた話を思い出すが、口に出すのはやめておいた。
「手紙にも書いたけど、レザンにはまた改めて行くことにしたから。あさっての昼までここにいるよ」
「ええ。ゆっくりしていってね」
向けられる穏やかな笑み。
喉元まで出かかった問いを、今は呑み込む。
「…そうするよ」
昼食を終え、お茶を出され。ある程度仕込みを終えたテオが宿へ戻るのを待ってから。
ようやくふたりになれた店内、ウィルバートはククルを見つめる。
何からどう聞けばいいのか。逡巡するウィルバートに、そう言えばとククルが声をかけた。
「ジャムも届いているから、またお菓子を焼いておいたんだけど…」
前回自分が気に入ったと言った柑橘のジャムの焼き菓子を到着に合わせて作っておいてくれたことを知り、思わず笑みが浮かぶ。
「ありがとう。もらっていい?」
出してくれた焼き菓子を食べながら、にこやかに自分を見るククルを見上げて。
「ジャムはククルに贈ったんだから、好きに使って」
前回は断られた申し出をもう一度告げると、ありがとうと笑われる。
「ウィルに焼いたときにいただいてるわ」
「俺用とかじゃなくて、好きなように使ってくれていいんだけど…」
素よりそのつもりで贈っているのだが、ククルには笑顔のまま首を振られた。
「試作用には自分で煮たから。大丈夫よ」
「煮た?」
「お店のみたいにはできなかったけどね」
そう言い出されたジャムは、確かに店の物に比べて風味も苦味も薄くはあるが。
「…何ていうか。ククルらしい味だね」
柔らかく優しい味はどうにも彼女を彷彿とさせ、ついそんな言葉が口をつく。
「うん、俺はこっちのほうが好きだな」
見上げてそう言うと、はにかんで礼を返される。
やはりこういうところは鈍いままなのかと微笑ましく思う反面、まだ先は長そうだとウィルバートは心中嘆息した。
焼き菓子をひとつ食べたところでウィルバートが手を止めた。
「ククル」
少し硬いその声音に、ククルも仕込みの手を止め、ウィルバートを見返す。
「…聞きたいことがあって」
以前帰り際にそう言われていたので、もちろん否はない。
「少しだけ待って」
しばらく手を休めても問題はないので、一度片付け、ククルはカウンターを出た。
「おまたせ」
フェイトにも話を聞くように頼まれていたので、その時間も取れるようにと思い、手を止めて隣に座った。
「時間、いいの?」
「もちろん。話を聞いてって、フェイトさんにも頼まれてるから」
そう頷くとウィルバートは少し表情を引きつらせ、フェイトの奴、と低くぼやく。
仲のよさそうなその様子に笑みを浮かべるククルに気付き、すぐに照れくさそうな笑みに変わった。
「…じゃあ遠慮なく」
ごまかすように呟いて、ウィルバートはククルを見つめた。
「……アルディーズさんと、ロイと。どうなってるのか気になって」
告げられた名に瞠目したククルに、紺の瞳を少しだけ翳らせたウィルバートは続ける。
「俺がククルを好きなだけで、別に応えてもらったわけじゃないんだから、聞く権利なんかないのはわかってるんだけど」
見つめる瞳に熱が籠もる。
「目の前で好きな人相手にあんな態度取られたら、気にするなってほうが無理」
「ウィ、ウィル??」
膝の上にあった手を取られ、ウィルバートの口元へと寄せられる。
「…教えて、ほしい」
吐息がかかる程の距離で握り込まれた手と向けられる熱っぽい眼差しに、ククルは途端に赤面し、答えられずにうろたえた。
「…あ……あの…ウィル…」
かけられた弱々しい声に、ウィルバートが我に返った。
握った手を唇が触れそうなくらいまで引き寄せていたことに気付き、慌てて解放する。
「ごめん…」
前々回の訓練から燻り続けた嫉妬に我を忘れ、つい激情にかられてやりすぎるところであった。
「…ずっと聞けなくて。気になってたから……」
「…いえ……」
引っ込めた手を胸の前で握りしめ、まだ頬を染めたままのククルが返す。
「…その、どうなってると言われても……」
申し訳無さそうに視線を落とすその姿に、少し肩の力が抜けるのを感じた。
恋愛に疎く、こちらが好きだと言ってもうろたえるだけの彼女なのに。自分の聞き方では答えようがないのは当然だろう。
息をつき、質問を変える。
「アルディーズさんに返事はした?」
ふるふると、ククルが首を振った。おそらく自分たちと同じく待つことにしたのだろう。
そして、もうひとり。
「…ロイにも好きだと言われた?」
少し肩が跳ねてから、小さく頷くククル。
「返事は、した?」
再び左右に振られた頭に、ウィルバートはほっと息をつく。
これでようやく安心できると独りごちてから、うなだれたままのククルに手を伸ばした。
「問い詰めるような真似をしてごめん」
頭を撫でるとびくりと身じろぎをされた。しかし逃げはしないククルに、そのまま撫で続ける。
「誰がククルを好きでも、俺の気持ちは変わらないんだけど」
するりと一度頬に手を添えてから、離れる。
「ククルの気持ちは、気になるから」
瞳を細め、そう告げて。
「よかった…」
心から、ウィルバートは呟いた。




