三八二年 雨の十三日
時刻は昼もかなり過ぎた頃。丘の上食堂はようやく客足が落ち着いたところであった。
食器を下げてテーブルを拭くのは、金茶の髪の少女。うしろで束ねられた緩く波打つ髪が、少女の動きに合わせて揺れる。
カラン、とドアベルが鳴り、少女はその紫の瞳を向けた。入ってきたのは少女と変わらぬ年頃の、濃茶の髪の男女。
「テオ、レム。いらっしゃい」
食堂に隣接する宿の子、カスケード兄妹は迎えたククルに笑いかける。
「ククルもお疲れ様。お腹空いたぁ」
入るなりのレムの言葉にククルも笑う。
「クライヴさん、今日はお客さん少なそう」
「わかった。ククルも一緒に食べなさい」
宿の客入りを伝えるテオに、カウンター内から応えが返った。
「ありがとう、父さん」
道具を片付け、三人並んでカウンター席に座る。
五席しかないカウンター席は、料理を作るクライヴの手元が見える特等席だ。
「…またシチュー?」
「いいだろ、別に」
注文をする前に口を挟まれ、テオは横目でレムを睨む。それを気にした様子もなく、だって、とレムは続ける。
「お兄ちゃん、家でも―――」
「はい、どうぞ」
遮るように、目の前に水のグラスが置かれた。
少し驚いたようにクライヴを見てから、レムはジト目で自分を睨む兄、その向こうで兄妹のやりとりを微笑ましそうに見ているククルの順に目をやる。
「…ここの看板メニューだもんね。クライヴさん、私、オムレツにシチューがけでお願い!」
ごまかすようにレムが笑った。
クライヴが調理をする間三人で話していると、奥の作業部屋から女性が顔を出す。瞳の色こそ違うが、髪色も雰囲気もククルによく似ていた。
「賑やかだと思ったわ」
青い瞳を細めて、女性はレムに小さな包みを手渡す。
「はい、これ。休憩に食べてね」
「シリルさんありがとう! 今日は何?」
あとのお楽しみ、と返されるのもいつものことなのだが、それでもレムは嬉しそうだ。
「シリルさんのお菓子、美味しいから大好き! ホント、お隣でよかった!」
「レムとは家族同然だと思っているのに、お隣さんでは少し寂しいな」
オムレツをレムの前に置いて、クライヴが苦笑した。
少し情けない顔をする父に、ククルはテオと顔を見合わせて笑う。
ククルの父クライヴ・エルフィンと、テオとレムの父アレック・カスケード、そしてここにはいないが、クライヴの弟ジェット・エルフィンの三人は、ひとつ屋根の下で兄弟同然に育ったという。成人して仕事と伴侶を得ても同い年のふたりの関係は変わらず、こうして共同経営のような宿と食堂を営んでいる。
おかげでひとりっ子のククルも、同い年のテオ、ふたつ下のレム兄妹と一緒に育ってきた。
優しい二組の両親。ずっと一緒の幼馴染。小さな町であるからこその、仲のよい住人たち。時折戻ってきてくれる叔父。
丘の上食堂の看板娘、ククルはとても幸せだった。
「ククルには言うなって…」
宿に戻るなりぼやくテオに、レムは掌を合わせる。
「ごめんってお兄ちゃん」
軽い様子は全く反省しているように見えない。
「でも、どうしてククルに内緒なの?」
当然といえば当然の問いに、テオはうっと詰まる。
「…その方がびっくりさせられるだろ」
それもまた事実ではあるが、本心ではない。
―――傍にいるのが当たり前だった。
同い年で家族同然。町の学校にも五年間ずっと一緒に通った。
さらに学ぶのか、家業を継ぐのか、ほかの仕事を求めるのか。それを問われる十三歳の選択の年にも迷いはなかった。
自分の望む未来ははっきり決まっていたが、それは自分ひとりでは叶えようがない。
だから今は家業を手伝いながら、少しでも自分にできることをと思っている。
自分に自信が持てるように。
自分のことを、認めてもらえるように―――。