三八三年 雨の十八日 ②
昼前、騒がせてごめんねとにこやかに笑い、ナリスが帰路に着いた。
昨日今日と宿を手伝っていたジェットとダリューンも、今は店に戻ってきている。
クライヴたちの命日に来てくれた人々が、これですべて帰っていった。
残るジェットとダリューンの休みの間に、あとはウィルバートが訪れることがわかっている。
相変わらず雨の月にしてはギルド員が多いが、それでもこれでまた日常に戻るのだと。
ククルはそう思っていた。
夕方までもう少しという頃だった。
カランと鳴ったドアベルに顔を上げると、雨避け姿の男が立っていた。フードの下に覗く密色の髪と嬉しそうに細められる山吹色の瞳に、ククルは本当に驚いた。
「ククルさんっっ!!」
フードをはねのけ、そのまままっすぐククルの前まで駆け込んだ男は、驚くククルを真っ向から見つめ、笑み崩れる。
「うん。やっぱり好きだ」
「ラウルさん??」
ラウルがここにいることと、また顔を見るなり好きだと言われたこと、両方にうろたえるククル。
ククルの隣のテオはラウルに気付いた時点で息をつき、あとに続く人物を見やる。
「ちょっ、ラウル! びしょ濡れなんだから!」
「あ〜あ…。どうするんだ、これ…」
入口で雨避けを脱ぎながら、濡れた床を眺めるフェイトと銀髪の青年。
「そんなの決まってるだろう」
うしろに立つニースが嘆息して三人を見た。
「お前ら、全員で掃除しろ」
カウンター席の真ん中、嬉しそうにククルを見つめるラウル。
その両隣に座るフェイトと銀髪の青年―――ラウルたちの兄弟子、カイ・エドモンドが、呆れまくった眼差しをラウルに向けている。
そして定位置のジェットとダリューンの向かいでニースが談笑していた。
「ホントよく来たな」
「ま、街道ひとつ分寄り道したけどな」
ジェットの言葉に、許可は得てるよと笑うニース。
「口実に使って悪いけどな」
ちらりとラウルを見て苦笑する。
「ニースはラウルに押し切られたんだろ」
聞こえた会話に口を挟むカイ。ジェットたちパーティー同様、互いに名呼びの呼び捨てとなっているようだ。
「まぁここの食事が美味いのは間違いないから。俺はまた来れて嬉しいけど」
お菓子も美味いんだよな、とフェイト。
「カイも絶対気に入るって」
「三人揃って言うんだから、そこは疑ってないけど…」
ククルを見てから、ラウルを見る。
「…確かに言ってたけど、本気だったんだな。まさか会うなりあんなこと言うとは思わなかった」
「そうなんだよ、ここでのラウル、ホント人が違うから」
諦めたようにフェイトが溜息をつき、うなだれる。
「よりによってククルさんだろ、もう周りの目が痛くって……」
「ふぅん…」
呟きながらのカイに視線を向けられるが、テオは素知らぬ様子でお茶を淹れる。
少しいたたまれない会話が続く中、ククルは用意したつまみと酒をジェットたちのテーブルへ持っていく。どうやらゆっくり話しながら飲むつもりのようだ。
礼を言うジェットたちに、足りなかったら言うように告げてカウンターに戻ろうとすると、立ち上がったラウルに止められた。
「久し振り、だけど。思ってたより早く会えて嬉しい」
瞳を細め、一歩近寄るラウル。
「こんなことなら、あのときあんなに悩まなくってもよかった」
そっと、ラウルがククルの手を取る。
「僕の気持ちは変わらないよ? あれからもずっと、ククルさんのことが好きだから」
「ラウル!」
ニースが名を叫ぶのと同時に、ガタンと派手に音を立ててジェットが立ち上がっていた。
「保護者がいるんだ、わきまえろ」
「……ダメですか?」
ジェットを見てそう尋ねたラウルは、返された視線に仕方なさそうに手を放し、席に戻った。
酒にはあまり強くないからと言うフェイトと、飲んでる場合じゃないからと微笑むラウルにはお茶とお茶請けを、飲まなきゃやってられないとぼやくカイには酒とつまみを出し、夕食時間に向けての準備をするククル。
「あれからギルド員に絡まれたりしなかった?」
おとなしく座りはしたものの、依然遠慮ない眼差しを向けつつラウルが尋ねる。
「ギルドじゃ相変わらず話題になってるから」
絡んでるのはお前だろ、と隣でテオがぼそりと呟いたのは聞こえなかったことにして、ククルは頷く。
「困るようなことはなかったです。ラウルさんが教えてくれたので、皆さんに対応してもらえました」
「それならよかった。心配してたんだ」
「何回かケンカふっかけたもんな」
「カイ!!」
珍しく慌てた様子でラウルがカイを止めようと声を上げた。
「ケンカ、ですか…?」
繰り返すククルにカイは苦笑する。
「そうそう。食堂でほかの奴らに突っかかって」
「食堂の人たちが早めに仲裁…っていうか、全員叱り飛ばしてくれたから。大事にはならなかったんだけど」
思い出したのか、溜息をつきながらフェイトが続けた。
「今はもう、食堂行くだけで遠巻きに見られるようになったし…」
「…だって、あんなことを堂々と話すほうがどうかしてる…」
ぼそぼそと小声で呟くラウル。
「あんなこと?」
聞き返したククルにはたいしたことじゃないと首を振って、ラウルは切り替えるように息をついた。
「何もなかったならよかったよ」
そう言い笑うラウル。自分の知らないところでもそうして気にかけてくれていたこと、そしてそれを言うつもりがなかったことを知り、ククルは微笑みラウルを見返す。
「ありがとうございます、ラウルさん。でも、ケンカはやめてくださいね?」
心からの感謝を述べると、しばらく惚けるように見ていたラウルの顔が見る間に赤くなっていく。
「な、何だか改まって言われると……」
そのままうなだれてしまったラウルに、ククルも妙な恥ずかしさを覚えて視線を逸らした。
話すつもりはなかったのに、と、うなだれたままのラウルは内心呟く。
ギルドの食堂も人員が増えたのか、厨房だけでなくテーブルのほうにも従業員の姿を見かけるようになってからは、下卑た話題もかなり減った。
しかしそれでも噂されることがなくなったわけではなく、たまにククルを貶めるようなことを言う輩と鉢合わせることもあり。
彼女のことを何も知らないのに馬鹿なことを言うなと苛立ち、文句をつけたことが数度。
今ではすっかり従業員に顔を覚えられ、よくしてもらえる反面からかわれたりもしている。
別に彼女の為にというわけではなく、自分が我慢できなかっただけなのに。面と向かって礼を言われると、何だかものすごく照れくさい。
ちらりと視線を上げると、少し頬を赤らめて作業をするククルの姿。
正直こんなに早く会いに来られるとは思ってなかった。次は数年後というくらいの覚悟をしていたので本当に嬉しい。
時期が時期だけに彼女が気落ちしていないか心配していたのだが、杞憂で済んだようでよかったと思う。
明日の朝までの短い時間ではあるが、次はいつ会えるかわからない彼女の姿を目に焼き付けて帰るつもりだった。
夕方から閉店まで居続けたラウルが名残惜しそうに宿へと戻った。
閉店作業を進めながら、テオは溜息を呑み込む。
クライヴたちの命日は思っていた以上に賑やかに過ぎ、ククルは滅入る様子もなく楽しげで。
それは本当によかったと、そう思うのだが。
何やらあった様子のロイヴェインが帰るなり、来る予定などなかったラウルが来て。そのラウルと入れ替わりに、今度はウィルバートが来るのだから。
自分にとっては心休まる暇もなく、本当に気を揉んでばかりの毎日だ。
(……でも、やっぱり)
傍らで片付けるククルを見やる。
去年の今頃、明かりが消えた食堂を見て泣いていた彼女。あのときのらしくない姿はもうなく、今は彼女らしく楽しげに店に立っている。
そんな彼女を見られるのなら。
彼女が悲しまなくて済むのなら。
がんばるしかないなと、テオは独りごちた。




