三八三年 雨の十六日 ②
テオたちが戻り、ゼクスに呼ばれたロイヴェインは店を出た。
残る者たちも順に墓を訪れる中、テオとふたり仕込みを進める。
ありがとうと告げようかと思ったが、おそらくまたいいよのひとことで返されるだろうと思い、やめた。
起き出してきたジェットに、リオルのところへ人数分の菓子を届けてもらえるように頼み、さらに進めることしばらく。
ギャレットが店へとやってきた。
「エト兄さんは今リオルさんのところへ行ってもらってまして…」
「いや、別にジェットに用事というわけではないんだ」
そう笑うギャレットに席を勧め、お茶の準備を始める。
「せっかく一年振りにライナスへ来たんだから、ククルさんたちともゆっくり話しておきたくて」
そう言われ、思い出すように少し考え、そうかと思い当たる。
「何度もお手紙をいただいているので、一年振りだという実感がありませんでした」
何かある度に説明と気遣いの手紙をくれるギャレット。ウィルバートが補佐になってからは彼から届くことも増えたが、それでも途切れることはなく。
「いつも丁寧な返事をありがとう。実は楽しみにしているんだよ」
どこまで本気かわからないが、それでもギャレットの言葉をククルは嬉しく思う。
「テオとはギルドで会って以来だね。あのときは本当にありがとう」
「いえ、俺のほうこそ訓練に参加させてもらってありがとうございます」
「ギルドでも評判になってるよ」
そう笑うギャレットに、テオも戸惑いと照れの混ざる笑みを返した。
そんな話をするうちに沸いたお湯でお茶を淹れ、墓にも行ってきたというのでお礼のお菓子も選んでもらった。
今いただいても構わないだろうかと聞かれ、皿とフォークを用意する。
前にお茶と菓子を置くが、ギャレットは手に取ろうとしなかった。
「訓練生のほとんどが寮生でね。食事はギルドの食堂で取るんだが、そのときにここでの食事の話をするようで。ジェットの姪だということもあって、急速に広まってしまった」
唐突に話を始めたギャレットは、じっとククルを見る。
「色々と迷惑をかけて本当に申し訳ない」
そう言い頭を下げるギャレット。
「ギャレットさんっ?」
驚き声を上げるククルに動じず、頭を下げたままギャレットは続ける。
「ククルさんにも、ジェットにも、いつまでも苦慮を与えて。私には力及ばぬことを詫びることしかできないが―――」
「そんなことありません!」
強くギャレットの言葉を遮り、ククルが首を振った。
「私も、エト兄さんも。迷惑をかけられているとか、誰かのせいとだとか、そんなこと思っていません」
自分だけではない。ジェットもまた同じ気持ちだと、ククルには確信があった。
「今までずっとエト兄さんを支えてくれていたギャレットさんに、謝られることは何ひとつないです。むしろこちらがお礼を言わなければならないと」
一年前にギャレットがここへ来たときに、自分は何も知らなかった。
しかし今は違う。
「ずっと…本当にずっと、エト兄さんを助けていただいてありがとうございます」
間違いなくギャレットも、ジェットの英雄としての二十年を支えてきた人物なのだと。
話されていなくても、すぐにわかった。
ゆっくりと頭を上げたギャレットは、少し驚いているようにも見えた。ククルは微笑み、まっすぐ見返す。
「これからもエト兄さんのことをよろしくお願いします」
カラン、とドアベルが鳴った。
「ただいま…って、ギャレットさん」
戻ってきたジェットがカウンター席のギャレットに声をかける。
「来てたんですね」
定位置ではなく隣に座るジェットに、ククルを見ていたギャレットがふっと視線を移した。
「…ジェット。私は今君の気持ちがよくわかるよ」
「はい?」
わかりやすく疑問の声を上げたジェット。ギャレットはひとり頷いて再びククルを見る。
「ククルさんのためにも。がんばらないといけないね」
「…ギャレットさん?」
「さてと。お茶をいただくとしようかな」
何のことかと首を傾げるジェットを置き去りに、ギャレットは微笑んでカップを手に取った。
カウンターの中、成り行きを見ていたククルとテオは、顔を見合わせ、小さく笑った。
昼過ぎ、今日は宿泊のギルド員たちが訪れた。
カウンター席の事務長の姿に、明らかな動揺を見せる。
「お務めご苦労」
にっこり笑って労うギャレットに慌てて頭を下げるギルド員たちの様子に、彼が抑止力としてここにいてくれているのだと理解する。
「テオ、ククルさん、久し振り」
そんな中、うしろからひょこっと顔を出した少年が、満面の笑みでふたりに手を振った。
「あっ!」
覚えあるその顔は、一番最初の訓練に来ていた訓練生で。
「また来れて嬉しいよ」
言葉通りの嬉しそうなその笑顔に、ククルも微笑み、お久し振りですと返した。
ロイヴェインとゼクスたちも来ていることを話すと、挨拶をしてくると言ってリーダーと共に宿へ行き、ぞろりと全員を引き連れて戻ってきた。
「テオ! 久し振りにロイヴェインさんに訓練してもらうから、テオも来いよ」
「俺も?」
「行ってきたら?」
テオから聞かれる前にそう返すと、少し迷う素振りを見せたものの、じゃあ、とエプロンを外す。
一緒にどうかと言われたパーティーの面々と共に出ていくうしろ姿を見送り、リーダーと何やら話すゼクスたちの分もお茶を淹れる準備をする。
思った以上に賑やかで忙しい両親の命日が、とても嬉しく。
集ってくれる人々を、ありがたく思った。
その日の営業を済ませ、今日もレムの部屋に泊まるククルは自室で準備をしていた。
こんなに穏やかな気持ちで両親の命日を過ごすことができたのは、集ってくれた皆と気遣ってくれる周りの人のおかげだと思う。
本当はもっと泣いたり悲しんだりするかと思っていた。
でも実際この日を迎えてみると、心にあるのは感謝ばかりで。
皆に守られ支えられ過ごした一年。自分にとって、決して悲しむだけの一年ではなかった。
そしてそのどこを思い起こしても、常に隣にあるテオの姿。
息をつき、瞳を閉じる。
自分の勘違いではあったが、テオがギルド員になりたいのだと思ったあのとき、とても不安で確かめることができなかった。
ずっと一緒にいた者が離れていくと思ったからか。
テオだからなのか。
自分にとってはどちらもテオなので、比べようがない。
自分にとってテオが特別な理由。
それがわからなかった。
ククルがレムの部屋に行ったあと。
店内には昨日の和やかな空気はなかった。
「ミルドレッドでのことはそんな感じかな」
居並ぶ面々に、ジェットが先日ククルと訪れた警邏隊支部での話をする。
「ククル、大丈夫だった?」
唯一事故現場でのククルの様子を知っているロイヴェインが尋ねるが、その場では何も言わずに首を振るだけに留めるジェット。
「クゥを連れて行くのはちょっと迷ったけど、店に来る警邏隊には警戒しなくていいようになったかな」
「あとは俺が気を付けとくから」
いつも通りのカウンターの中、テオの言葉にアレックも頷く。
「ミランのほうにも新しい情報は来てないそうだが、内密に連絡を取る方法は詰めたと言っていた」
ギャレットがそう言い、ああ、とつけ足す。
「内密の意味がなくなるから、他言無用で頼むよ」
頷いてから、それで、と話を促すゼクス。
「本題は?」
「ウィルに聞かれて、イルヴィナの討伐がどこからの情報だったのかを調べていたんだが…」
ギャレットの視線を受け、ノーザンが首を振る。
「儂らは実動員だから知らされとらん」
「わざわざ調べとるってことは、資料にも記載がないのか」
「俺たちは閲覧できませんけど、普通記載されてるものじゃないんですか?」
メイルの言葉に、怪訝そうに問うナリス。
「そう。普通は載っている」
頷くギャレット。
「じゃあ載せないことを決めたのは誰なのか、という話だね」
ダリューンがギャレットを見て、珍しく溜息をつく。
「…前事務長」
「なっ?」
思わず立ち上がったジェットに、ギャレットは笑った。
「そういうことだ」
「まだ伝手があったとは」
「苦労しましたよ」
呆れたようなゼクスの言葉に朗らかに笑い、ギャレットは続ける。
「一応理由も聞いたが、何のことはない。あれだけの被害を出した討伐の要請元が割れれば、いらぬ禍根を残すだろうから、だそうだ」
少し声が冷えたが、その場に指摘する者はいない。
「理由はわかる。当時であれば妥当な判断だとも思うよ。…だが」
言葉を切ったギャレットの表情から笑みが消えた。
「いらぬ禍根ではない可能性がある」
低く、紡がれる言葉。
「イルヴィナの情報元は、警邏隊だ」
沈黙が、その場を占めた。
張り詰める空気を変えるように、ギャレットがひとつ息をつく。
「…本部なのか支部なのか、支部ならどこの町なのか、詳しいことはわからなかった」
覚えていないらしい、と、嘲笑と共につけ足して。
「しかし警邏隊だということは間違いない」
呆然と立ち尽くすジェットに。
「今回のことも、あながち無関係ではないかもしれないな」
少し厳しいギャレットの声がかけられた。




