三八三年 雨の十五日 ③
ジェットたちにも尽きぬ話があるだろうと、今夜と明日はレムの部屋に泊まることを決めていたククル。
「ごめんな、クゥ」
「何言ってるの。せっかくなんだから、ゆっくり話してね」
謝るジェットにそう笑い、戸締まりを任せて入口から店を出る。
今は雨はやんでいたが星は見えない。
ククルはまっすぐ歩を進め、町の明かりを見下ろした。
一年前、父と共にこの明かりを眺めたことを思い出す。
たった一日で、自分を取り巻く環境が大きく変わった。
あれから本当に色々あって。たくさんの人と知り合えて、助けてもらった。
そして今、まだ皆の手を借りながらではあるが、こうして店を続けていられる。
(…私はちゃんと、やれてるかしら?)
両親に恥じないように、店に立つことができているだろうか。
振り返ると、明かりの灯る店と宿。
変わらぬ光が嬉しかった。
準備をしたらすぐ行くから、と言われて先に店を出たテオだが、いつまでたっても来ないククルにだんだんと心配になる。
雨がやんでいるので、もしかしてと思って入口側に回ってみると、町を向いて立つククルの姿が見えた。
テオの脳裏に、いつかのククルの姿がよぎる。
「ククルっ!」
慌てて駆け寄り、肩を掴んで振り返らせる。
「テオ??」
あまりの剣幕さに驚いた声を上げるククルだが、その瞳に涙は見えず。
安堵の息を洩らしたテオが、はっと気付いて手を放した。
「ご、ごめん」
「ううん。びっくりした」
どうしたのかと首を傾げるククルに、なんでもないと返す。
「ごめんね、ちょっと見たくなって」
再び町の明かりを見下ろしながら、ククルが呟く。
「一年、経ったのね」
横に並んでククルを見るが、その瞳に悲哀の色はなく。
ただの事実確認のように、揺らぎのない声が紡がれる。
「本当に。早かったのか、長かったのか。わからないわね」
「…そうだな」
もう一年。まだ一年。どちらにも頷くことができる。
「テオにもたくさん心配をかけたわね」
「俺のことはいいよ」
心からの言葉はすぐに口から出た。
自分のことなど気にしなくていい。
彼女が笑っていてくれるなら、それで。
「え?」
聞こえなかったらしく、問い返すククルに。
「何でもない」
そう告げ、息をつく。
怪訝そうにしながらも、ククルはそれ以上何も聞いてこなかった。
ふたりで並んで町の明かりを見ながら、テオはぼんやりと考える。
この一年で変わったことと、変わらないこと。
伝えた想いを受け入れてほしいと思う反面、今まで通りの穏やかな時間も心地よくて。
とりあえず、今はふたり、ククルの好きな景色を見られて幸せだった。
「テオ」
町を見たままのククルから、ぽつりと洩れる呟きに。
「ん?」
「ありがとう」
同じく町を見たまま短く返すと、小さく礼を述べられた。
「いいよ」
好きだから当然なんだと。
一年前に告げた言葉は呑み込んで。
今はただ、ふたりで町を見ていられればそれでよかった。
「ずっと羨ましかったんだ」
ジェットと同じテーブルにはダリューンとギャレット。隣のテーブルにはアレックとフィーナ。
クライヴとシリルの話をする為に、残った面々だった。
「ギャレットさんが来ると、兄貴とアレック兄さんと遅くまで飲んでて。俺はこどもだからってとっとと寝かされて」
かなり前から全然減る様子のないグラスの酒を揺らしながら、ジェットが笑う。
「やっと混ざれるよ」
イルヴィナの件が一段落して、アレックともギャレットとも一緒に飲む機会は得られたが、三人ではこれが初めてだ。
「仕方ないだろう、本当にこどもだったんだから」
「そうなんだけどさ」
笑うアレックをわざとらしく半眼で睨んでから、ジェットはギャレットへと視線を移す。
「本当に。嬉しいよ」
「そうだな」
穏やかな笑みを浮かべ、ギャレットが頷く。
一年前に来たときは、馬を替えての強行軍で、ゆっくり話す暇はなかったと聞いている。
「こうしてまたライナスに来られて。皆と酒を酌み交わせて」
店内を見回し、瞳を細める。
「がんばってきた甲斐があるというものだね」
「ギャレットさんはもうちょっと休んだほうがいいと思うんですけど」
ここに来てまでミルドレッドで話をしてくるあたり、恐らく休みでも仕事のことを忘れることはないのだろう。
「こう見えてさぼるのは得意なんだよ」
そんな冗談を口にするギャレットも、普段の張り詰めた様子は少し緩み。
ジェットもまた、周りを囲むのは皆兄や姉同然、酒も手伝い自然に力が抜けて。
よかったなと言わんばかりに隣のダリューンに頭を撫でられ、へにゃりと笑う。
「ククルには見せられない顔してるな」
苦笑してのアレックの声も、どこか優しい。
「だからクゥはレムのとこに行ってくれたんだよ」
自分が気を抜けるように。肩肘張らずいられるように。
そんな時間を作る為に。
「アレック兄さんだって。こないだレムがーーー」
「その話はもういい」
途端に不機嫌になるアレックにフィーナが笑った。