三八三年 雨の十三日
朝、身支度を済ませたククルが店に降りると、既にジェットとダリューンの姿があった。
「おはよう。ふたりとも早いのね」
「おはよう。目ぇ覚めてな」
昨夜も明かりは消しておくからと言われ、先に自室に戻った。
今朝もこうして先に起き出してきてくれている。
間違いなく自分を心配しての行動だろうということは、ククルにも容易に想像がついて。
心中ありがとうと告げ、既に火の入った竈でお湯を沸かし始める。
ダリューンが作り始めてくれていたので、自分たちの朝食は任せて作業にかかろうとすると、随分と早くテオがやって来た。
「ごめん、ちょっと早すぎた」
「ううん。ありがとう、テオ」
こちらも同じ理由だろう。心配させていることを申し訳なく思う一方、優しい皆に感謝の念が絶えなかった。
昨日のことを気にした様子のないククルに、ジェットは胸を撫で下ろす。
本当に、己の迂闊さが悔やまれてならない。
クライヴたちの命日まであと数日というこの時期に、雨の中を馬で事故現場を通るなど。思い出さないわけがない。
馬移動が常で、事故のこともあとから聞いただけの自分には、その配慮が欠けていた。
尤も、ここへ戻ってから泣いた理由は違うようだと。昨夜ククルが自室へ戻ってから、悔やむ自分にダリューンはそう言うのだが。
それでもククルを追い詰めたことに変わりはない。
震える小さな背中を思い出し、ジェットは嘆息した。
朝の営業を終えたところで、今日はどうするのかと問うククル。ジェットは少しためらってから、ミルドレッドに行ってくると答えた。
「昨日寄れなかったから、ミランさんに話しに行ってくる」
「今日は俺も行く」
だから大丈夫だと言外に告げるダリューンに、ククルは頷く。
「ごめんね。本当にもう大丈夫だから」
「わかってるって」
手を伸ばしてククルの頭を撫で、ジェットは笑った。
なるべくククルをひとりにしないようにと、ジェットとダリューンのいる間に宿の仕事を進めておいたテオ。ミルドレッドに向かったジェットたちと入れ替わりに、店へと戻ってきた。
あれからククルは落ち着いているが、時期が時期だけに油断はできない。
昼食の客が入りだすまで並んで仕込みを進めていると、手を止めないままのククルが小さく名を呼んだ。
「…昨日はごめんね」
「いいって言ってるんだから」
よほど気にしているのか、何度目かもわからない謝罪にテオは苦笑する。
「ククルのほうこそ。何かあったらすぐ言えよ?」
「わかってる。ありがとう」
会話が途切れ、それぞれの作業音だけが響く店内。ククルのほうを見ないまま、今度はテオが口火を切った。
「昨日さ、何でありがとうだったんだ?」
「え?」
「泣いてたとき。何でありがとうって言われたのか、わからなくて」
尋ねると、そうね、と呟きが返ってくる。
「エト兄さんとダンもだけど。何よりもテオがここにいてくれたから」
「俺?」
「そう。いつもに戻れたんだって、嬉しかったの」
穏やかな声に、テオはちらりとククルを見て。
「…そっか」
すぐに手元に視線を戻し、ひとことだけを返した。
ククルと店に立つようになって、もうすぐ一年。
自分がここにいることは、ククルにとっての『いつも』なのだと。
それが、嬉しかった。
ジェットとダリューンが戻ってきたのは昼をしばらく過ぎた頃だったのだが。
「…昼、頼めるか?」
何故だかジェットたちのうしろから、ぞろりと九人のギルド員がついてきている。
「ミルドレッドで一緒になって。今日ここに泊まるつもりだって言うからさ」
雨の月にしては珍しい人数に、ククルは驚きながらも頷いた。
注文を聞き、作り始めて。
ギルド員たちの会話から、南行きの調査が争奪戦になっていることを知った。
「今ならここに来れば、必ずお前に会えるってな」
二組のパーティーのリーダーたちは、どうやらジェットたちとは旧知の仲らしい。四人でテーブルを囲んで話していた。
「中には少し足を延ばして来る奴もいそうだけど。本部は黙認するつもりだろうな」
「俺、去年はかなり本部うろついてるし、今更珍しくも何ともないと思うんだけど」
腑に落ちないのだろう、首を傾げるジェットに。
「ここでってことに意味があるんだよ」
そう返し、ククルを見る男。
「お前と、彼女と。両方と知り合いになるには手っ取り早いからな」
「そうそう。まぁ俺みたいに単に美味いと噂の食事を食べたいだけの奴もいるだろうけど」
もうひとりの男ににっこり笑ってそう言われ。
期待を裏切らないようにと奮起するククルに、隣のテオが苦笑い、いつも通りでいいから、と呟いた。




