三八三年 雨の四日
今日はふたりが朝のうちに帰るので、少し早めに降りてきたククル。
裏口の鍵を開け、もしかしてと思い入口の鍵も開けておいたのだが、案の定テオより早くロイヴェインが来た。
「おはようククル」
「おはよう。今日も早いわね」
そう言うと、口調が嬉しかったのか、にこりと笑われる。
「まだ火を入れたところで。座ってて」
「ククルは今から食事だよね? 気にせず食べてね」
席に着きながらのロイヴェインにそう言われるが、目の前でひとりだけ食べるのは少々気が引けて。
「簡単なものだけど、ロイの分も作る?」
「いいの?」
即答にくすりと笑い、もちろんと答えた。
ふたり分のお湯を沸かす間、サンドイッチを作る。
いつもはあまり物を挟んで、皿も出さずに立ったまま食べたりもするのだが。さすがにロイヴェインの前でそこまで行儀の悪いことはできない。
ドレッシング和えの野菜にハムとチーズを挟み、ちゃんと切って皿に載せる。
「ロイには少ないだろうから、よければあとでちゃんと食べてね」
「ありがと。座らないの?」
トレイを置くとそう聞かれたので、自分の分も隣に置いた。
思わぬ展開に、ロイヴェインは喜びを噛みしめる。
昨日はテオとほぼ同時に店に来た。そこからククルが食事をしている様子がなかったので、きっともっと早くから起きているのだと考えたのだが。
まさかこうして隣で一緒に朝食を食べられるとは思わなかった。
「…ククルと一緒に食べるのって、初めてかな」
「そう…?」
隣を見ると、考えるように首を傾げるククルがいる。
手を伸ばせばすぐ肩を抱ける距離。
でもそうしてしまうと、おそらくククルは席を立ってしまう。
今は隣にいたいから。伸ばしたくなる衝動に耐える。
「嬉しい」
呟き、眺めていると、さすがに少し困ったような顔をされた。
「ロイ…食べにくいです…」
「気にしないでいいのに」
「気にします……」
恥ずかしそうに瞳を伏せる姿も、焦ると戻ってしまう口調もかわいくて。
思いの丈をすべてをぶちまけ、欲望のまま触れられたら、と。できもしないことが頭をよぎる。
泣かせたくはないからしない。
だから見つめるくらい許してほしい。
「俺のこともそれくらい意識してくれたらいいのに」
洩れた本心に応えはなく。
ロイヴェインは瞳を細め、一度ククルから視線を外した。
いつもよりも少し早く店に来たテオは、既にあるロイヴェインの姿に驚いた。
「テオ、おはよう」
「おはよ」
向けられた愉悦の笑みに、ぐっと拳を握る。
「おはよう」
息と共に拳を解き、既に準備を始めているククルの隣に立った。
しばらくして降りてきたアリヴェーラとロイヴェインに、早めの朝食を出す。
「雨じゃなくてよかったわ」
「まだ雨の月に入ったばかりだからね」
ククルの言葉に、大丈夫だと思ったんだ、とロイヴェインが笑う。
雨の中での移動。
その話題になりそうで、テオはククルが気にしないかと心配する。
もちろんあからさまに顔に出すようなことをするククルではないが、またひとりになったときに考え込みかねない。
どうにか逸らして、と考えていると。
「次の訓練は動の月に入ってからだし。少し間があるよね」
そう話を続けたロイヴェインに、意図的に話題を変えたのだと気付く。
「また来るからよろしくね」
「お待ちしてますね」
心得てるとばかりに口角を上げるロイヴェインと、穏やかに微笑むククルに。テオは大丈夫そうだと内心息をついた。
宿へ荷を取りに戻ったロイヴェイン。レムと話すからとついてきたアリヴェーラと共に、別れを告げに店に戻る途中。
「…ケーキのことありがとね。あとごめん」
半歩先を行くアリヴェーラにそう告げる。
自分はここへ来ることを黙っていたのに、アリヴェーラはククルにちゃんと伝えてくれていた。
「どうしても、ククルとふたりになりたくって」
素直に謝って理由を告げると、知ってるわよと笑われる。
「成果はなさそうだけどね」
「うるさいよ」
そんなことは自分が一番わかっているのだと。ふてくされてアリヴェーラを追い越した瞬間。
「いいわよ」
唐突な許可に足を止める。
「次も、あんたが来なさい」
「次って…じぃちゃんたちとの…?」
黙っていたことをククルにバラす代わりに譲ることになった、祖父たちの同行役。
驚いて見返すロイヴェインに、アリヴェーラは笑みを見せた。
「がんばってるから返してあげる。でも、さすがに次はおとなしくしてるのよ?」
「わかってる」
頷き、笑って見返す姉に。
「ありがとね」
ロイヴェインも礼を述べ、笑みを浮かべた。
「ありがとう、ククル、テオ。また来るわね」
「待ってるわ」
抱きつくアリヴェーラを抱きしめ返し、ククルが応える。
「気をつけてね」
「もちろん」
ふふっと笑って、アリヴェーラがククルを離した。
「色々ありがと」
にこりと笑うロイヴェインに差し出された手を取りかけて、ククルは止まる。
「引っ張らない?」
「しないよ」
わざわざ確認するククルに笑いながら、取られた手を握り込むロイヴェイン。
言葉通り手は引かず、自身が一歩踏み込んで。
「だって、俺が近付けばいいだけだから」
耳元で囁き、すぐに下がる。
「ロイ!」
赤くなるククルと慌てるテオの声に満足そうな笑みを見せ、ロイヴェインはそれじゃあと手を振った。
「次、じぃちゃんたちと来るからね」
「お土産もありがとう」
踵を返しながらのふたりに、ククルたちも慌てて手を振った。




