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三八三年 雨の三日 ②

 昼食客が落ち着いて。

 菓子の仕上げだと作業部屋に籠るククル。ロイヴェインに手伝おうかと言われたが、今回は断った。

 やめてと言ったらやめてはくれたが。

 どうにも遠慮のなくなったロイヴェインに、正直どうしていいかわからない。

 もちろん本気でするつもりはなかったが、夕食のテーブルには水差しを置いておこうかとちらりと思う。

 どうして皆ああもはっきり好きだと思えるのだろうかと。

 己の気持ちの見えない自分には不思議でならない。

 そして同時に、幸せそうなもうひとりの幼馴染の姿は少し羨ましくもあり。

 自分にはまだその感情は生まれていないのだろうか。

 それとも気付けていないだけなのだろうか。

 それすらわからぬ今の現状では、何を言われても応えられずに情けない思いをするだけで。

(…本当に。私は少しも変われないのね)

 年齢だけは成人しても、少しも成長できていない。

 嘆息し、ククルは逃げるように作業に意識を向けた。



 店内に甘い香りが漂う。

 見に来ず待つよう言われているので、昼からは仕方なく店内に留まり、アリヴェーラやテオと話しながら過ごしたロイヴェイン。

 作業部屋に入ったきりのククルが出てきたのは、ちょうどお茶の時間の頃だった。

「待たせてごめんね」

 用意してくる、ともう一度戻るククル。テオはお茶を淹れ始める。

「チーズタルトはロイが手伝ってくれたの」

 そう言いながら、ククルがロイヴェインとアリヴェーラの前にトレイを置いた。

 載せられた二枚の皿、片方は朝から作っていたチーズタルト。そしてもう片方には大振りに切られたスポンジ状のケーキ。

「これ…」

 呟くロイヴェインに、どうぞとククルが微笑む。

いただきますと小声で返し、フォークを手に取って。ふわりとしたケーキを切り、口へと運んだ。

 まだほんのり温かいそれは溶けるような口当たりで、あとから甘くチーズが香る。

 ククルのところでは出たことのない、スフレチーズケーキ。好きなお菓子はと聞かれて思い浮かんだそれの名は、ククルには伝えていなかったはずなのに。

 一口食べて顔を上げたロイヴェインに、微笑んだままのククルが頷く。

「アリーから聞いて」

「アリーから?」

 隣のアリヴェーラを見ると、美味しそうにチーズタルトを食べながら、だって、と言われる。

「ククルに手紙でロイの好きなお菓子を知らないかって聞かれたから」

 それでしょ、と笑われる。

「ほかで食べたことがないから、うまくできたかわからないけど…」

 レシピはあってよかったと笑うククル。

(…俺の為に?)

 わざわざアリヴェーラに手紙で聞いて。

 食べたことも作ったこともないものを、自分の為に作ってくれたのかと。

 胸を満たす気持ちが何かは、自分はもう知っている。

 だから。彼女を動かす気持ちにも、自分と同じ理由をつけたいのだけれど。

「…ククル」

「はい」

「…俺みたいなのにそんなに優しくすると、勘違いするよ?」

 ―――違うことは、わかっているから。

 きょとんと見返す瞳に笑い返し、何でもないと呟いて。

「美味しい。ありがとね」

 ただ、礼を述べた。



 今日はアリヴェーラと共に閉店作業を手伝ってから店を出たロイヴェイン。

 アリヴェーラが今日もククルとレムと話すのだと言って早々にテオまで追い出した為に、男ふたりで宿に向かう羽目になった。

「…今日はありがとな」

 どうしようかと思ったが。礼は言っておくべきかと思ってそう言うと、いいよ、と返された。

「ホント、ククルって危なっかしいのな」

 思ったより素直なその返事に、つい口が滑る。

「勘違いするよ、あれ…」

 テオは何も言わず、ただ溜息を返した。彼女の一番近くにいるこの男が、おそらく一番このことをわかっているのだろう。

「本人そんな気ないって、気付いたとき辛いんだよね…」

 一度抱いた期待を手放すのは惜しく。いつまでも可能性に縋っていたくなる。

「ヘンなことならないように。テオが見といて」

 一番近くにいるのだからと。

 やっかみを込めて告げてはみるが、テオの表情は変わらなかった。



 年始にジェットの手を借りて客間に変えた両親の部屋。アリヴェーラが泊まるそこに、今日もククルとレムが来ていた。

「ロイの言うこともわかるのよねぇ」

 少しだけ呆れたように、アリヴェーラがククルを覗き込んで言う。

「ククルは誰にでも精一杯優しくするから。ちゃんとククルのことをわかってる人じゃないと、もしかしてって思っちゃうかもしれないのよね」

「でも、誰にでも目一杯優しいのがククルなんだけどな」

「…そう、なの…?」

 人にはそんなふうに思われているのかと、ククルは唖然として呟くしかなかった。

「確かにククルらしいところではあるんでしょうけど。今までとは少し状況が変わってきてるんだから、自分でも気を付けないとね」

 アリヴェーラにはそう言われるが、自覚がないものをどう気を付ければいいのだろうか。

 困惑するククルに、しょうがないわね、とアリヴェーラが笑う。

「言ったじゃないの。ククルは自分自身に向き合うべきだって、ね」

 曖昧な言葉にさらに混乱し、どうしたら、とレムを見るが。

「ククルなら大丈夫だよ!」

 何故か太鼓判を押され、ますます困り果てたククルはレムとアリヴェーラを見やり、溜息をついた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  ククルの気持ちもわかります。  嫌い、という感情ならわかりやすい。でも、そうは思わないということは、みんな、好きよりなのかな? と思いました。  ククルのような立場にはなったことはあり…
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