三八二年 雨の三十五日
なし崩しに手伝うことになったウィルバートは、来店したユアンと共に昼食を取るべくテーブルに着く。
ククルに頼まれたことはひとつだけ。ユアンと一緒に同じものを食べてほしいというだけだった。
「すぐに仕上げますので、先にどうぞ」
そう言って出されたのは、控えめに注がれたシチューとサラダ。
いただきます、と前置いて食べ始めるが、以前食べたものと特に変わりはないように思える。
合間にちらりとユアンを見ると、時折手を止めてまじまじとシチューを見ていた。
すぐ、の言葉通り食べ切る前にククルが皿を持ってくる。
「お待たせしました」
笑みと共に置かれたのは、オムレツ状の卵とハムのサンドイッチ。パンにもうっすら焼き目がついている。
一切れ手に取りかじりつく。持つには問題ないが、中身はかなり熱い。
炙ってあるのだろう、香ばしい厚切りのハムと外側だけサクサクのパン。間から半熟の卵と一緒にとろりとチーズがとけ出してくる。
無言で一切れ食べ切ってから、ウィルバートはユアンの動きが完全に止まっていることに気が付いた。半分程になったサンドイッチを凝視している。
「ユアンさん?」
思わず声をかけると、はっとユアンが顔を上げた。
「…いや、温かい食事は久し振りだったもので…」
「冷めないうちにどうぞ」
持ってきたお茶のカップを置いて、ククルは微笑んだ。
「美味しかったです。熱いサンドイッチもいいものですね」
食べ終えたウィルバートがそう言って笑う。
「気に入ってもらえたならよかったです。あれは冷めると駄目なんですよ」
そう返し、ユアンを見る。
「ベルフィムさんも、寄っていただいてありがとうございます。お口に合いましたか?」
問われたユアンはククルを見返したまま少し考え、頷く。
「ああ。手間をかけさせて悪かった」
「料理に手間をかけるのが食堂の仕事ですよ。よければ夕食も食べに来てくださいね」
人に食事を出す者としての、その姿勢。己の仕事に真摯な両親を見てきたからこそ、自分もそれに恥じない仕事がしたかった。
成人前の少女らしからぬその強かさに、ユアンは瞠目した。
「…食堂の仕事、か」
ククルの言葉を繰り返し、ふっと表情を緩める。
「そうだな。食べに来るとしよう」
よろしく頼む、とそう言われる。
望む言葉を引き出したククルは、満面の笑みで頷いた。
「はい、お待ちしてますね!」
すっかり定位置となったカウンター右端の席。グラスに残った酒を飲み干しながら、ウィルバートは考えていた。
ユアンは宣言通り夕食を食べに来て、あまり顔には出ないものの、満足そうに完食して宿に戻った。朝食はと問われて食べに来ると答えていたあたり、どうやら割り切るのはやめたらしい。
カウンター内、どこか楽しそうに働くククルを一瞥する。
ただ普通に食事を出しただけなのに、見事にその意識を変えさせた。しかも昨日会ったばかりの相手を、だ。
「お食事、用意します?」
声をかけられ我に返る。
「あ、はい」
おすすめもありますよと言われ、それをと答えて。少し迷ってから再び口を開いた。
「ユアンさんの食事、何か意図があったんですか?」
「あれは、熱いから美味しいものを食べてもらおうと思って」
手を止めずにククルが返す。
「普段から食事の時間を取ってなかったようだったので。さっきは昨日のサンドイッチに入れた魚のフライを食べてもらいました。やっぱり揚げたてが美味しいですからね」
そういえば少し驚いた顔をしていたと、思い出して納得する。
「好みがわからなかったので、お昼はウィルバートさんに寄せました」
「俺ですか?」
はい、と事もなげに笑う。
「目の前で美味しそうに食べる人がいると、つられるものですよ」
お待たせしました、と目の前に皿が置かれる。
ユアンのものとは明らかに違うが、こんがり揚がったフライ。切ると肉の間からチーズが溢れてくる。
無言でそれを眺め、食べる。
(…確かに美味いし、昼のも間違いなく好みだけど…)
ちらりと視線を上げると、どうですか、と微笑まれる。
「…つまり、昼のもこれも俺の好みに合わせたものだと」
「違いました?」
「いえ…俺、そんなにわかりやすいですか?」
ここまで見透かされると、驚くを通り越して恥ずかしい。
「何度も来てくださっているからですよ」
そう言って、ふふっと笑うククル。
お茶をもらう度に多少なりとも菓子を出されるのは、つまりはそういうことなのだと気付き、ウィルバートは心中溜息をついた。




