三八三年 祝の四十三日
朝、起き出してきたテオは、レムの部屋から出てきたククルの姿に一瞬どきりした。
「おはよう、テオ」
「お、おはよう」
店でも宿でもなく、自宅で朝一番に顔を合わせるのは非日常すぎて、何だか照れくさく感じる。
「やっぱり早いのね」
「ククルこそ。もっとゆっくりしてていいんだけど」
跳ねる鼓動につられて少し早口になりながら告げると、いつもの笑顔を返された。
「ありがとう。たくさん休ませてもらったから大丈夫よ」
一階に降りると既にフィーナが朝食を作ってくれていた。ククルに内心の動揺を悟られないようにと思いながら、ふたり並んで朝食を取る。
食事を終えたふたりは、いつも通りの時間に店に向かった。朝食が必要な客はいないので本当はこんなに早くなくてもいいのだが、ククルも、もちろん自分にも異論はない。
昨夜預かっていた鍵で裏口を開けてククルに返すと、くすりと笑われる。
「ここまでしなくてもいいと思うんだけど」
「だって。持たせておくと先に行くだろ?」
わかってるんだぞという思いを込めてそう言うと、もう、とククルが少しふくれる。
「信用ないのね」
「逆。信用してるから、だよ」
拗ねるククルがかわいくて、心中嘆息し視線を逸らす。
穏やかな空気。程よい距離。
今が幸せと思う一方で、ふたりだからこそだということもわかっている。
もしここにもうひとり、彼女を好きな男がいたら。途端にこのつかず離れずの距離が不安になるのだから。
ほんの一年前まではそれを知らずに、この距離のまま時を重ねていけばいつかはと思っていた。
しかしもうそんな楽観はできない。いつ目の前から掻っ攫われるかわからない現状、できれば彼女の手を掴んでいたいと、そう切に願う。
だからといって、それを心のままに請うたとしても、彼女が困るのが目に見えているから。
「テオ?」
かけられた声に、何でもないと首を振る。
「ジャム作るんだろ? 俺はこっちで仕込みしてるから」
「うん。ありがとう」
作業部屋へと向かうククルを見送り、テオは息を吐き、仕込みにかかった。
さらした皮と砂糖をまぶしておいた実とを合わせ、火にかける。
くつくつと煮えゆくジャムの世話をしながら、ククルは考えていた。
あと五日でテオの誕生日。
この一年、本当にテオには助けてもらってばかりだった。
どうにか感謝を伝えたいが、どうすればいいのかわからないまま、まだいつも通りの準備しかしていない。
あまり欲を見せない幼馴染。何か望みがあるのなら、叶えてあげたいとそう思う。
(…話してくれるかしら)
彼の望み。本当にやりたいことを。
自分に遠慮せず、話してくれるだろうか。
そしてもしそれが、自分の考えているものだったとして。そのとき自分は笑って彼を送り出すことができるのだろうか。
つきりと痛む胸に、ククルは瞳を伏せる。
本当に、自分はどこまでテオに甘えているのだろうかと。
落ち込みながら、ひたすら鍋をかき混ぜた。
昼を過ぎ、ククルの休みも終わりを迎えた。
「結局休んでないよな」
昼食の片付けをしながらぼやくテオに、そんなことないと返す。
「ちゃんと休ませてもらったわ」
「ずっと立ち仕事だっただろって」
下処理から煮上がるまで。実際考えていたより時間がかかったが、知らぬ振りをする。
「テオだって」
「俺は休みじゃないし」
「そうかもしれないけど」
普段からそうだと言いたいのだが、どうやら聞き入れるつもりはなさそうだ。
分の悪さから黙り込んだククルに笑い、それで、とテオ。
「出来は?」
「…味見する?」
作業部屋に戻り、冷ます途中の瓶から一匙すくい、そのまま小皿に載せて持っていく。
どうぞ、と言いかけて。自分がスプーンの柄を握ったままだと気付いた。
このままテオの口に運ぶのも気恥ずかしく。
気付いたテオも一瞬固まり、置いといて、と小さく呟いた。




