三八三年 祝の四十二日 ②
訓練生たちを見送り、店に戻ろうとするククルをアレックが止めた。
「明日の昼まで休むといい」
「えっ」
「本当は前回の終わりにと思っていたんだがな。遅くなってすまない」
きょとんと見返すククルの肩をぽんぽん叩き、アレックは笑う。
「あと、夕方、久し振りに皆を呼ぼうかと思うんだが。構わないか?」
「それはもちろん…」
「なら俺とテオでやるから、ククルは休んでるんだぞ? テオ、こっちはいいから店を頼んだ」
有無を言わさずそう告げて、宿へと戻るアレック。
困惑して見送るククルに、テオは苦笑する。
「次はククルだって、前から言ってただろ」
「でも…」
「いいから。戻ろう」
「あっ、ちょっと待ってテオ」
歩きかけたテオの腕をククルが掴んだ。
「ククル?」
「その…ね、私、すっかり忘れてて…」
立ち止まって振り返るテオに、ククルが小さく呟く。
「明日のお昼まで時間があるし、ちょうどいいなって思って…」
「さっきから何のこと言ってるんだよ?」
首を傾げるテオに、うん、とククルが瞳を伏せた。
「…もうやりかけちゃったから、最後までやらせてほしいんだけど…」
「だからククル、何の話?」
何とか先に言質を取りたかったのだが、テオはなかなか頷いてはくれず。
仕方なく、ククルはテオと店に戻った。
作業部屋を覗いたテオが、肩を落として溜息をつく。
「…いつの間に……」
野菜を洗う桶の中、三十個あまりの柑橘が浮いていた。
「…ククル?」
静かに名を呼ばれ、ククルはそうなのと呟く。
「…ジャムをね、作ろうと思って」
「ジャム?」
「ウィルにもらったジャムが色々と使えそうだと思ったんだけど、あの量だとひとつかふたつしか作れないでしょ…」
「自分で作れば気兼ねなく使えるもんな?」
言葉を待たずにそう言うと、ククルは少し小さくなって頷いた。
しかし、今日に間に合うよう仕入れをしていたとなると、もしかすると訓練前からそのつもりだったのかもしれない。
「下準備に少し手間がかかるから、今日時間があるうちにしてしまおうと思って…」
「この量だもんな」
「せっかく作るならって思っちゃって……」
呟いたククルが申し訳なさそうな顔のまま見返して。
「もう水に漬けちゃったから、いい?」
見上げて懇願されてしまい、テオはすぐには返事ができなかった。
結局テオが折れるしかなく。
ジャム作り以外はしないという条件で、ククルは作業部屋に居座る権利を得た。
せっかくなのでと三種類の柑橘を仕入れていた。ひたすら洗い、皮をむき、刻んでいく。
「疲れてない?」
時折覗いて声をかけてくれるテオに大丈夫と返し、昼食を食べに来たアレックに苦笑され、フィーナには根を詰めないよう注意され、レムには驚いた顔をされながら。
お昼をいくらか過ぎた頃には、どうにか一段落つけることができた。
「終わった?」
ようやく作業部屋から出てきたククルに、テオが声をかける。
「うん。あとはさっと下茹ですれば、明日は煮るだけ」
「煮るの明日なんだ…」
呆れたように言われてしまい、ククルは苦笑して頷いた。
仕方ないなと笑い、テオはククルに座るよう勧める。
「お茶淹れるよ。昼はどうする?」
「まだお茶でいいわ」
ずっと柑橘の香りの中にいたせいか、まださほど空腹感はなかった。
カウンター席からお茶を淹れるテオを眺めていると、視線に気付いたテオが首を傾げる。
「何?」
「何でもない、けど…」
曖昧なその返事に笑みを見せるテオ。
当たり前のように店に立ってくれて。
当たり前のように手伝ってくれて。
いつの間にか自分は、それを当然だと思っていた。
テオにとってのやりたいこととは、違うかもしれないのに。
「はい」
思考を遮るように、ことりとお茶が置かれる。
「食べたいもの、何かない?」
作るけど、と微笑まれ。
「…軽くでいいんだけど。任せていい?」
思わずそう言うと、一瞬自分を見返したテオの笑みが嬉しそうに深くなる。
「もちろん。ちょっと待ってて」
しばらくして出されたのは、一口大に切って焼かれたパン。バターの香りと、溶けた砂糖が薄く飴状に絡まり、普通に焼くよりもカリッとした食感だ。
「美味しい…」
呟いたククルに本当に嬉しそうに微笑み、よかった、とテオが呟いた。
前回はできなかったから、と、アレックが住人たちを店に呼んだ。
入れ替わり立ち替わり来る住人たちも慣れたもので、皆を労い、軽く一杯飲んで帰る程度で長居はしない。
ずっと宿を手伝っていたソージュだけはゆっくりするようアレックに呼ばれ、労われては照れくさそうに笑みを返していた。
手伝わせてもらえないククルは、ずっとカウンター席でうずうずと落ち着かない様子で座り、俺の気持ちがわかったか、とテオに笑われる。
そうしていつもよりはずいぶん早く店を閉め、閉店作業をする中で。
「そうだククル。今日はレムの部屋に泊まれよ?」
思い出したようにテオに告げられ、ククルはただ驚く。
「どうして?」
明日煮る為に下茹でした皮を水にさらしているのだが、苦味具合をみて何度か水を替え、昼までに煮上がるように朝から煮始めようと思っていたのだが。
「だってククル、ここにいたら夜も朝も作業するだろ?」
テオにはすっかりバレているようで。
そんなつもりはないと返すことができずに口を閉ざすククルに、図星だったかとテオが苦笑する。
「夕方までそっちにかかりきりでいいからさ、ちょっと休めって」
「そうだよククル。まだ早いし、部屋で話そう?」
閉店作業を手伝っていたレムが、そう言ってククルに抱きついた。
こうなってしまっては、もう断ることもできず。
「わかったわ。よろしくね、レム」
「やったぁ」
嬉しそうにぎゅっとしてくる幼馴染に、この際なのでまだ聞けぬままの恋の話を聞こうと決めて。
手間のかかる、と言いたげなテオを見返し、心からの感謝を込めて微笑んだ。




