三八三年 祝の四十日
全員の朝食を終え、ククルは仕込みの傍ら菓子作りを始める。
「今日は午後よね?」
片付けを引き受けてくれたテオに尋ねると、そう、と返ってきた。
「今日は午後で、明日は午前のつもりだけど。ホントに抜けていい?」
「もちろんよ」
何度もいいと言っているのにまだ聞くのかと、ククルは笑う。
「大丈夫だって。こないだのでわかったでしょ?」
「ウィルが別人みたいだったって言ってたな」
「言わないで…」
様子を見に来てくれたウィルバートにお茶も出さずに帰らせてしまったことは、食堂を営む者としてあるまじきことだったと猛省した。
謝る自分に、そんな必要はないとウィルバートは笑って返してくれたのだが、未だに顔を見るたびに申し訳なく思う。
今回の訓練は問題も早々に解決し、順調だと思っていたのだが、まさか己の振る舞いが一番の問題になるとは。
自分で振った話ながら少々落ち込みつつ、ククルは逃げるように作業に集中した。
昼食に来た訓練生たちが満ちる香りにそわそわするのも、三度目ともなれば容易に想像できる。
思った通りの反応を見せる訓練生たちに笑いながら、テオはちらりとククルを見た。
見られていることには気付いているだろうに、頑なにこちらを見ようとしないククル。もちろん理由はいうまでもない。
(今回は考え込むようなことなかったと思うんだけどな…)
作業部屋の様子を思い浮かべ、テオは内心首を傾げる。
「ククルさんのお菓子、美味しいんだよねぇ…。」
毎日食べてた頃が懐かしい、と、夢見心地で呟くレンディット。
「三食食べてお茶に夜食も。ホント全然罰になってなかったよね」
「何その羨ましい生活」
「訓練はこんなものじゃなかったけどね…」
セラムの言葉に反応した訓練生に、レンディットの眼差しが途端に先程までとは真逆の彼方を見やる。
「そんなにか?」
「どんなにだってば」
興味深そうに尋ねるマジェスに、いつものようにセラムが口を挟んだ。
テオが午後の訓練へ参加している間に、少し遅めの昼食に来たウィルバート。
案の定の状況に、入るなり笑みを浮かべた。
「ウィルまで…」
言いたいことはわかっているとばかりに呟くククルに、ウィルバートはさらに笑みを深める。
「俺は楽しみにしてるけど」
「それは…」
みなまで言わずに息をつき、ククルは食事の準備をしますね、と続けた。
やがて出された食事に礼を言い、ククルと他愛もない話をしながら食べ進めていると。
「ウィル。本当にこの前はすみませんでした」
何度目かの謝罪に、ウィルバートは首を振る。
「もういいって」
いつも厨房に立っていても、それ程切羽詰まった様子は見せないククル。その彼女が、自分が見てわかる程剣幕な様子で仕事をしていた。
邪魔をしてはいけないと思い早々に立ち去ったが、お茶も出さずに返してすまないとあとで謝られ、今に至る。
「ククルが謝る必要はないって、何度言ったら聞き入れてくれる?」
でも、とまだ納得いかない様子のククルに、こんなところも彼女らしいけど、と内心思いながら。
「じゃあお詫びに、俺が贈るものを受け取って」
頷きかけたククルが、はた、と気付く。
「それは私のお詫びになるの…?」
バレたか、と笑うウィルバートを軽く睨めつけ、ククルはお茶の準備をする。
気にしないようにと思ってのことだろうが、あまりからかわないでほしい。
やがて食事を終えたウィルバートに、お茶と焼き菓子を出した。
礼を言って受け取ったウィルバート。お茶を飲み、菓子を一口食べて、顔を上げた。
「これ…」
「はい」
微笑んで頷くククルに、ウィルバートもそうかと返す。
ククルももちろん味見済みだが、柑橘のジャムを練り込んだ焼き菓子は、口に入れると爽やかな香りで、時折皮の優しい苦味を感じる。少しねっとりとした皮の食感を邪魔だと感じる人もいるかもしれないと思ったが、どうやらウィルバートは気にならないようで。
小振りな菓子ではあるのだが、二口、三口と食べ進み、そのまま食べ終えてしまった。
気に入ってもらえたらしいと安堵するククル。混ぜ込む量に悩み、結局もらったジャムを半瓶強使ってしまったのだが、その甲斐はあったようだ。
お茶を飲んだウィルバートが、カップを置いてククルを見る。
「美味しかった。…ククル」
「はい」
「店にあった一番大きな瓶はあれの倍くらいの大きさなんだけど。送るから」
「はい?」
「また作って」
どうやらかなり気に入ったようだと思いつつ。
気に入ってもらえた菓子を作るのを断るつもりはなく、その為に必要な材料ならば。
「じゃあ、ウィル用に預かっておくわね」
あくまで預かるだけだと言うと、ウィルバートはそれでもいいよと笑う。
作業部屋からもうふたつ持ってきてウィルバートに出し、少し考えるククル。
「パウンドケーキに混ぜても美味しいと思うけど…」
ウィルバートの好きな、一番素朴なパウンドケーキ。でもこの様子なら、ジャムを混ぜ込んだほうが好みなのではないかと思い聞いてみる。
「美味しいだろうなとは思うけど。あれは特別だから」
何故か自分を見つめて、ウィルバートは微笑んで呟いた。
追加訓練を終えたロイヴェインは、今日も参加のリックと訓練生たちと共に店にいた。
夜食のあとに出された菓子に喜ぶ訓練生たちの様子を背に、カウンター席で出された食事を食べる。
「お菓子といえばさ、アリーがあれ以来チーズタルトにハマってて」
甘い匂いに思い出した話をすると、そうなんですかとククルが返す。
「温かいのが食べたいのに冷めたのしか売ってないって言って、温めても違うって怒って」
「アリーは焼き立てを食べてますからね」
様子が目に浮かんだのか、くすりと笑って。
「しっとりしたのも美味しいんですけど。作るのは簡単なのでレシピを書きますね」
「アリーはククルに作ってほしいんだって言いそうだけど」
「もちろんいつでも作りますよ」
向けられる笑みはアリヴェーラに対してのものだと、わかってはいるのだが。
(…訓練中じゃなかったらな)
自分にだけ、向けてくれたらと。
そんな思いもちらりと浮かぶ。
「そういえば。ロイはどんなお菓子が好きなんですか?」
突然尋ねられ、逸れた意識を戻したロイヴェイン。
「俺…は…」
ふと思い浮かんだものもあったのだが、口に出さずにククルを見上げた。
「ククルの作るものなら。何だって美味しいと思うよ」




