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三八三年 祝の三十八日 ②

 昼食時。

 店に入ってきたマジェスはまっすぐテオの前へと行き、カウンター越しに深々と頭を下げた。

「すまなかった」

 一瞬驚いてマジェスを見たあと、テオは溜息をつく。

「いいよ。もう」

 許しの声に、頭を上げるマジェス。

 話は終わったとばかりに作業に戻るテオと、踵を返し席に着こうとするマジェスを見比べ、呆然と成り行きを見ていたククルは慌てる。

(これで終わり?)

 原因も理由も何も聞いていないまま。

 これでは何の解決にもならない。

「あのっ」

 ククルの声に、マジェスが動きを止める。

「何があったのか、よければ聞かせてもらってもいいでしょうか?」

 隣でテオが溜息をついた。



「訓練の終わり近くだったかなぁ。ロイヴェインさんに言われて、テオが見本見せたんだよね」

 状況説明なら第三者のほうがいいだろうからと、初めはレンディットが引き受けた。

「山の中走り抜けながら、攻撃避けるやつね。まぁまだ二日目だから軽くだけど」

 セラム以外の八人が驚いた顔になったのは、『軽く』といわれたことに対してだろうか。

「もちろんテオには楽勝だから。見事な出来で戻ってきたわけなんだけど」

「そしたらいきなりふざけんなって言われたんだよな」

 テオが言い捨て、マジェスを見る。

「…確かに。見事な出来だった」

 ほめ言葉を口にするマジェスに。

「それなら何故…?」

 マジェスの手前あまり表情には出していないが、驚くテオの代わりにククルは問う。

 マジェスはククルを見てから、次いでテオに視線を向けた。

「だから、だ」

「何だよそれ」

 低く呟いたテオに、ククルは慌ててその手を掴む。

 驚いて自分を向いたテオに首を振って黙らせ、マジェスに先を促した。

「…ロイヴェインさんのいう通りの実力だということは、そこまでの訓練を見れば理解できた」

 そう続けてから言葉を切り、正面からテオを見据える。

「だからこそ、己の実力を理解せず、認めてくれている人の言葉に耳を貸さないお前に腹が立ったんだ」



 顔を合わせるなり勝負しろと言われ。

 訓練に出ればふざけるなと言われ。

 一体自分の何が気に入らないのだと、そう思っていたのに。

 思いもよらない理由を述べられ、テオは睨みつけるように自分を見るマジェスをただ見返していた。

 分不相応な評価を受けているからではなく、それを自分が過大評価だと思っていることに。

 この男は腹を立てているというのだろうか。

 口を開きかけ、ククルに手を掴まれたままであることに気付く。

「ククル」

 小さく名を呼ぶと、我に返ったククルがぱっと手を放した。

 少し気恥ずかしく思いながら、テオは改めてマジェスを見る。

「…つまり、俺が俺を認めないことが気に喰わなかった、と…?」

「あ〜、それなら俺もわかるよ」

 マジェスが答える前に、レンディットが口を挟んだ。

「レン?」

「俺たちずっと、テオはすごいなって言ってるのに。テオはいっつもそんなことないの一点張りでさぁ」

 いつも穏やかなレンディット。テオを見やるその瞳に、ギルド員らしい鋭さが垣間見える。

「お世辞で言ってると思ってたとか、言わないよね?」

 思わぬ人物からの追撃に、テオは暫し言葉に詰まり。

「…そんなつもりじゃないんだけど……」

「じゃあさ、もう全員と手合わせすればいいんじゃない」

 呆れたように溜息をつきながら、セラムが言った。

「セラムまで何…」

「俺だってテオに勝てるとは思わないけど、いい加減イラついてるのは本当だし」

 どちらかというとかわいらしい外見に似合わぬ毒のある言葉に、苦笑するテオ。

「本人相手なんだから、八つ当たりだとか言わないよね?」

 旧知の相手にもここまで言われてしまえば、もうテオに為すすべはなく。

 セラムとレンディット、そしてマジェスの顔を順に見て。

「…わかったよ」

 仕方なく、テオは頷いた。

 こちらも仕方なさそうに息を吐くセラムとレンディット。マジェスの表情に変わりはない。

「ちゃんと受ける。でも午後は―――」

「駄目よテオ」

 みなまで言う前に、今度はククルに遮られた。

「絶対に早いほうがいいから。行ってきて」

「でもククル、俺午前も急に抜けたのに」

 午前も出るつもりがなかったので前倒しで仕込みをしていない。この上午後も抜けてしまえば、今日一日の仕事をすべてククルにやらせることになる。

 渋るテオに、しかしククルは引くつもりもないのだろう。

「間に合いそうになければアレックさんにお願いするから大丈夫」

 行ってきなさいと、目で訴えられ。

(…勝てるわけないか)

 ククルが頑固なことはわかっているし。

 そんなククルに自分は強く出られないのだから。

 テオは嘆息し、了解と呟いた。



 全員の昼食を終え、テオは何度も謝りながら訓練へと向かった。

 テオに大丈夫だと言った手前、意地でも間に合わせたいところではあるが。

(やるしかないわね)

 正直ギリギリのところだとは思うものの、戻ってきたテオが気に病まないように、夕食と夜食の準備、そして仕込みをあらかた終えておきたい。

 途中ウィルバートが様子を見に来たが、邪魔になりそうだからとお茶も飲まずに出ていった。

 テオが戻る夕食前までにと、作業を進めていたのだが。

 ククルの予想に反し、テオが戻ってきたのは三時間程してからのことだった。

 裏口から急いだ様子で帰ってきたテオが、支度をしながら厨房に来る。

「ごめんククル! 俺もやる」

「テオ? 早くない?」

 驚くククルにテオは笑う。

「ロイに頼んで、先にやってもらった」

 吹っ切れたというのか、晴れやかな表情ではあるが、さすがに少し疲れも見えて。

「テオ、少し休んでから…」

「いいから。やらせて」

 言い切るテオに譲る気はなく。周りとククルの手元を見てから、もうここまで、と呟く。

「さすがククル。早いな」

「テオ、聞いてるの?」

「ふたりならペース落とせるだろ。その分話聞いてほしい」

 ふっと、少し嬉しそうに笑って。

「いい?」

 久し振りに見る、屈託ない笑顔に。

「わかったわ」

 断ることは、できなかった。



 ふたり並んで作業をしながら。

 何があったかを、テオは語っていく。

 まずはやってみればいいと、初戦はマジェスとの手合わせになった。

 正直苦戦はしなかったが、そこまでククルに話すつもりはない。

 思っていたより動ける自分に驚いていると、了承は得てると言って、ロイヴェインが今回の訓練生たちと自分の身体能力値を見せてくれた。

 明らかな差に息を呑み、本当かと聞いて呆れられた。

 セラム、レンディットとの手合わせのあと、地形の有利をやるから一対七で、と言われ。

 対複数の経験はほとんどないが、囲まれないよう山の中での対戦を希望し、深追いせずに確実にひとりずつ落としていくことでなんとかなった。

 あとは参考までにと、リック、そしてナリスと手合わせをすることになって。

 実力的にはレンディットたちに少し劣るリックには難なく勝てたが、ナリスには手も足も出なかった。

 ここの開きが大きいんだよね、とのロイヴェインの言葉に。ここから先も開きが大きいんだよ、と、少し悔しそうなナリスの呟きが耳に残った。

 ジェットは呑気に俺ともやるかと笑っていたが、即答で断った。

 おそらく付き合えば、今は作業もできない程疲れ果てていたに違いない。

 そんなふうにぼやくと、くすりとククルが笑う。

「エト兄さんったら仕方ないわね」

「すぐ引いてくれたけどな」

 自分はそんなことを淡々と語り。

 相槌を打つククルも手元を見たまま。

 目も合わせず、手も止めず。自分たちにとっていつも通りの、今の時間が心地よくて。

 ククルを見ぬままのテオが、嬉しそうに瞳を細める。

「今までほめてもらえても、あくまで素人としてはだって思ってた」

 前回の訓練時も気を揉んでばかりで。

 今回は始まる前から叩き潰されたくらいの気分で。

 ククルの為にできることをと。それだけを支えに立っていたけれど。

 こうして自分を認めてもらって。

 こうしてふたりで穏やかに過ごして。

 じわりと胸に広がるこの気持ちをどう言えばいいのか、わからないけれど。

 甘やかな幸せと。伝える言葉のないもどかしさと。その両方を噛みしめながら。

「何だろ。ちょっと嬉しい」

 いつもは言わない本音が、ぽろりと零れた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  なるほど……。  そういった理由でしたか。  確かに日本の文化では謙遜は美徳とされていますよね(この世界は日本ではありませんが……)。   だけど、頑なに認めないのも嫌みとなるし、相手…
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