三八二年 雨の三十四日
昼もとうに過ぎた頃。
丘の上食堂の店内で、ククルは黒髪の青年と向き合っていた。
「…まさか、こんなに早く来ることになるとは思ってませんでした…」
疲れ切った表情でぼやかれ、ククルは苦笑するしかなかった。
ジェットたちがここを発って六日。
再びウィルバートがライナスを訪れた。
つまりはこういうことだった。
中央アルスレイムに戻ったジェットは、どうやら当てがあったらしく、すぐに医者に連絡を取った。もちろんククルの両親が亡くなった事故で大怪我を負ったリオルの為である。
そうして手配した医者を、事情も町のことも知るウィルバートが案内役として連れてくることとなったのだ。
「今は宿で休んでもらってます。あとで案内を頼めますか?」
もちろんですと頷く。
「ジェットには南行きの仕事を振りましたんで、数日で来ると思います」
そうつけ足し、ウィルバートは少し肩を落として溜息をついた。
「…すみません、お茶、もらえますか…」
夕方からの営業の前に、リオルの家へ案内することになった。
ウィルバートが宿から紫がかった銀髪の青年を連れてくる。年はウィルバートとそう変わらないくらいに見えた。
「ユアン・ベルフィムです」
そう名乗る青年に、ククルも名乗り、リオルの家へと案内する。
「あの、町まで来ていただいてありがとうございます」
道中そう声をかけるが、いえ、のひとことで済まされる。
濃灰の瞳は機嫌が悪いようには見えないので、大方こういう性格の人なのだろう。
しかしどうにもそれ以上は話しかけられないまま、リオルの家に到着する。帰りは道なりに丘を登ればいいだけなので、ククルは先に店に戻った。
夕方、ウィルバートが店へとやってきた。
「すみません、ククルさん。ユアンさんの分の夕食なんですが、部屋で作業をしながら取りたいと言われまして…」
どこか申し訳なさそうなウィルバートに頷いて、ククルは早速作り始める。
冷めても大丈夫な、食べやすい物。
ユアンの好みはわからないが、無難なところでサンドイッチにしておく。
夕食にするのだからと、具を選び、持ちにくくない程度に量も増やした。
ウィルバートが運ぶと言ってくれたが、自分が行くと返す。テオに留守番を頼み、ククルはユアンの泊まる部屋へと向かった。
「ベルフィムさん、夕食をお持ちしました」
声をかけるとユアンが顔を出した。乾かないように絞った布をかけたままのトレイを手渡す。
「サンドイッチにしましたけど、よかったですか?」
ああ、と頷いて、ユアンはトレイを受け取り一瞥した。
「それなりに腹が膨れて栄養があれば問題ない」
淡々と言われた言葉を、ククルは一瞬理解できなかった。
おそらく本気でそう思っているのだろうということは、その声音から何となくわかった。
何か言いたかったが呑み込んで、ククルは確認しておくべきことを尋ねる。
「…あの、朝食はどうされますか? いつもは店で出しているのですが…」
「朝は必要ない」
即答で返される。ククルは少し考え、質問を変えた。
「明日はいつ頃リオルさんの所に行くんですか?」
「…午後からだが」
怪訝そうな顔をしつつも答えてくれたユアンに、ククルはにっこり笑った。
「では昼食はリオルさんの所へ行く前に、食堂に寄ってください。すぐ食べられるものを準備しておきますので」
「わかった。よろしく頼む」
トレイは部屋の外に出しておいてもらえるよう頼み、ククルは微笑んだまま頭を下げた。
戻ってきたククルは、ユアンの朝食と昼食の件をウィルバートに伝えた。
「わかりました。なら明日はここで待たせてもらえばいいんですね」
今日も閉店まで残ってくれるというウィルバートが答える。
テオはじっとククルを見、首を傾げた。
「ククル、何怒ってんの?」
「え?」
「怒ってるだろ?」
全く自覚はなかったが、そう言われて改めて考える。
―――腹が膨れて栄養があれば問題ない。
引っかかっているのはその言葉だ。
(…そうか、私、あの言葉が嫌だったんだ)
人に食事を出す者として。ただ食べるだけではなく、食事を楽しいと感じてほしいのだ。
「忙しいときとか、わからないでもないけど」
理由を話すと、テオはそう言って笑う。ククルもそうだが、忙しいときは作ってある食事を交代で詰め込むこともあった。
「俺もわかりますけど、そこまで割り切れはしないですね」
目の前に置かれてある酒を見て、ウィルバートも呟く。
そう。どうせなら喜んで食べてほしい。おいしいと思って食べてほしい。
―――その為に、自分にできること。
しばらく考え込んでいたククル。テオ、そしてウィルバートを順に見て、にっこり笑った。
「手伝ってもらっても?」
有無を言わせぬその響きに、ふたりはただ頷いた。




