三八三年 祝の三十八日 ①
「お願いテオ。助けると思って」
朝食時、カウンター席に座るロイヴェインがそう言って頭を下げる。
「ジェットのせいでレンディットとセラムの代わりがいるんだ。慣れてないリックひとりじゃ大変だし、あとの三人じゃ反対の意味で役に立たないし。頼まれてくれない?」
昨夜の追加訓練でジェットが介入しすぎたようで、予定していた訓練に支障が出た。
内容を変更するにしても、訓練生を引っ張る役割のふたりがいないのでは話にならない。
だから訓練に出てほしいと、ロイヴェインに言われた。
「今無理させなかったらふたりも午後には動けるだろうし、先導役がいるといないとじゃ違うからさ。午前中を無駄にしない為にも」
お願い、と言われるが。
自分の首を掴んですごんでおいて、どの面下げてそんなお願いをするのだと。
思わず口から出かけ、すんでで呑み込む。
「出るつもりなかったから、前倒しで仕込みしてない」
「店は大丈夫よ」
自分がそう断ろうとすることをわかっていたのだろう、横目でククルを見るとにっこり笑われる。
「俺じゃ役に立たないだろうし」
「だから。役に立たないならお願いしないってば」
呆れたように笑ってから、ロイヴェインはテオを見た。
「新人鍛えるよりテオのがやりがいあるって、俺前に言わなかったっけ?」
じっとロイヴェインを見返し、テオは少し笑う。
「言い過ぎだろって」
同じ言葉を返してから、わかったと呟いた。
朝食の片付けが済んでから遅れて出ることになったテオ。
「ごめんな。仕込みそんなに進んでないのに」
「お昼は間に合うから大丈夫よ」
「午後はやるから。無理するなよ」
わかってるわと微笑んで返す。
「テオこそ。エト兄さんのせいでごめんね」
「それはいいんだけどさ。ホントに、俺が行って何になるんだよ」
ぼやきながら、行ってくる、とテオが告げた。
裏口から出るテオを見送り、ククルはひとり仕込みを進める。
しばらくしてから、ウィルバートが顔を出した。
朝食は済んでいるが、テオが訓練に出るので心配して来てくれたのだろう。
「仕込みしながらでいいから」
ふたりなので口調を崩すウィルバートに礼を言って、ククルはお茶の用意を始めた。
「昨日ジェットが改めて確認してくれたんだけど、やっぱり住人から警邏隊に話がいくことはないだろうって」
住人たちのことはククルもよくわかっている。
ジェットを大事に思ってくれている住人たちなら、何か問題があればこちらに直接言うはずだ。わざわざミルドレッドに行って警邏隊を通すことは考えられない。
「ゴードンの宿にも毎回訓練前に承諾を得てるし、ミルドレッドに寄るのは俺ひとりだから。道中迷惑をかけてるとも思えなくて」
裏手の山も越えれば別の町があるが、もちろん物音が聞こえるような距離ではない。
「訓練絡みとわかっても、相手も理由もわからない。本当に気を付けて」
「ええ」
頷き、心配そうなウィルバートを見やり。
「ウィルには心配ばかりかけてるわね」
そう言うと、そんなこと、と笑われる。
「ククルのせいじゃないし。俺が心配なだけだから」
瞳を細め、ウィルバートが呟いた。
出されたお茶には先日送ったジャムが添えられ、改めて礼を言われる。
店頭で味をみさせてもらったが、爽やかな柑橘のジャムだった。お茶にも合うだろうと思ったが、ククルも同じ意見だったらしい。
ふたりなので口調を崩しはしたが、話す内容までは逸脱しきれず。
前回の訓練で。ラウルになんと返事をしたのか、まだ自分は知らないままで。
気を遣ったフェイトがラウルにそれとなく聞いたらしいのだが、『変わらないよ』と返されたと言っていた。
結局ラウルは待つことを選んだのだろうか。そしてそれを、ククルは聞いているのだろうか。
聞けぬまま、また訓練を迎えて。
到着後ゼクスたちに挨拶に行った際、今回もよろしくと笑うロイヴェインから、ようやく俺も参戦できるよ、と言われた。
何のことを言っているのかは聞き返すまでもなく。
そのあとククルと共にお茶を持ってきたロイヴェインの表情に、間違っていないことを確信した。
もしかすると、ロイヴェインとも何かあったのではないかと。そう思うが、やはり聞けず。
もどかしい思いばかりが募る中、それでも自分にできるのは、待つことだけで。
「ウィル」
考え込んでいたところに名を呼ばれ、ウィルバートは顔を上げる。
いつの間にか手を止めていたククルがじっと自分を見ていた。
急に目が合い、少し慌てる。
「今回いただいたジャムをお菓子に使っても構わない? その、半分くらい使ってしまうけれど…」
こちらの動揺など気付きもせずに、少し首を傾げて尋ねてくるククルに。
少し無防備な彼女の距離感が嬉しい一方で、自分以外に対してもそうなのかもしれないとの不安もあり。
急かすつもりはなく。
この時間も幸せなのだが。
少し不安を感じるかなと、心中苦笑する。
「もちろん。ククルの好きに使って」
そう答えると、ありがとうと微笑まれた。
「生地に練り込んだら美味しいと思うんだけど、たくさん使ってしまうのがもったいなくて」
はにかんで笑うその顔に、自然と笑みが浮かぶ。
「足りないならまた送るけど」
「ウィル?」
「駄目?」
手は届かない代わりに、じっと見つめてそう尋ねる。
さすがに顔を赤らめて、ククルは首を振った。
「駄目です」
「残念。せっかくククルが気に入ってくれたのに」
見つめる眼差しはそのままに、ウィルバートは素直にそう口にする。
「喜んでくれる顔、見られるだけで嬉しいから。受け取ってほしいんだけど」
「もう十分いただいてます。これ以上は駄目です!」
「そんなことないのに」
ククルらしいなと、くすりと笑って。
「じゃあ雨の月ここへ来るときに。持ってくるよ」
驚いたように自分を見て。困ったように吐息をついて。
「…一緒ですよ……」
瞳を伏せるその姿に。
立ち上がって手を伸ばしたい気持ちを抑えるのに、少々難儀した。
そろそろかと思い昼食の準備を始めた頃、訓練からテオが帰ってきた。
「おかえりテオ」
「ただいま。ごめんな、任せて」
テオの笑みに、ククルは手を止めた。
「どうしたの?」
問われたテオがククルを見る。
「どうしたって?」
「何かあった?」
重ねて問うククル。テオはじっと見返したあと、観念したように息を吐いた。
「何かよくわからないけど。ふざけんなってキレられた」
「えっ?」
「レンの同期のあいつ。ったく、何なんだよ…」
「マジェスさんが?」
テオの強さに興味があるだけで、嫌っているようには思えなかった。そもそもロイヴェインに任せるという話ではなかったのか。
「何か話した?」
考えるククルに、テオが低く問い返す。
「あいつと。名呼びになってる」
「お互いに、となったのよ」
端的に事実を述べ、ククルは首を傾げた。
「理由もなくそんなことを言う人には見えなかったけど。何があったの?」
「俺が聞きたいよ…」
心底疲れた顔をして、テオはぼやいた。
テオが言葉を濁しているようには思えず、かと言ってマジェスの態度も腑に落ちず。
しかしその場を見ていない自分に言えることは何もなく、ククルは支度を済ませ調理にかかるテオを見る。
「ねぇ、テオ」
「何」
「マジェスさんと話してみたら?」
ククルを見ないまま、テオが首を振った。
「向こうがこっちの話を聞かないんだから。話しようがないだろ」
元来素直なテオも、一度こじれるとこうなるのかと。
ククルは内心溜息をつき、そうなのね、と答えた。
読んでいただいてありがとうございます!
アリヴェーラとナリスの初対面の時期を勘違いしていたことに気付き、数日前に『祝の十四日②』から少しだけ文章を削りました。
初対面は二回目の訓練時ではなく、レムがアリヴェーラとセレスティアに行った際、です。
本編に影響はありませんが、お詫びと訂正を。
お騒がせしてすみませんでした。




