三八三年 祝の三十六日 ②
滞りなく顔合わせを済ませたあと、レムに宿でお茶淹れてもらえるように頼み、一旦店に戻ってきたククル。
「じゃああとよろしくね」
「わかった。気を付けてな?」
用意しておいた菓子と共に宿に行くと、ロビーに既にロイヴェインが待っていた。
「手伝うよ」
「ありがとうございます」
礼を言い、厨房に向かう途中。
「そうだククル。訓練中は何もしないから」
厨房への細い廊下を歩きながら、ロイヴェインが呟いた。
「見つめるだけにしとくよ」
礼を言うのも何か違う、と。
応えられないククルを、くすくす笑って嬉しそうに眺めるロイヴェイン。
困ったように一度見返し、ククルは目を逸らした。
厨房でレムから受け取ったお茶を、二階から順番に渡していく。
最後に三階の大部屋へ持っていくと、レンディットがククルを呼び止めた。
「マジェスが話したいって言ってるんだけど、いいかなぁ?」
「構いませんが…」
ついさっき、嫌いな食材の話を全員としたときには何も言われなかったのだが、何か思いついたものでもあったのかもしれない。
ククルの前に出たマジェスは、ペコリと頭を下げた。
「エルフィンさん」
「叔父もいるので。ククルと呼んでください」
そう言うと、さらに小さな声でククルさんと呼ばれる。
「俺と勝負をするようにと、テオ・カスケードを説得してほしい」
「テオを?」
頷いたマジェスはレンディットを振り返った。
「レンには断られたもので…」
「だって! 怒ってるテオ怖かったんだって」
確かにあのときのテオは珍しく怒って―――否、呆れていたなと思いながら。
どうやら無自覚らしいマジェスを見る。
今のこの様子からは、あの尊大な態度は考えられず。
やはり悪気があったわけではないのだと、ククルは理解する。
「ガムラさん」
「いや、俺だけ名呼びするわけにはいかないので…」
途切れた言葉の先は容易に想像できたので、わかりましたとククルは頷いた。
「マジェスさん。いくら直接テオに言っても、テオは受けないと思います」
「何故?」
榛色の瞳をまっすぐ向けて、問い返すマジェスに。
「テオはギルド員ではないので。ギルド員のマジェスさんのほうが強くて当然だと思っているかと」
ククルはそう言い切った。
テオは訓練に出るようになってからも、自分はギルド員ではないからと口にする。
ゼクスたちにはそれなりに評価されているようなのだが、本人はまったくそう思っていないようで、ほめてくれる訓練生たちの声も鵜呑みにしない。
テオにとって一番身近なギルド員はジェット。どうしても基準は彼になるのだ。
驚いたように自分を見るマジェス。うしろのレンディットも同じ表情だ。
「テオの強さは私にはわかりませんが…」
ロイヴェインを見ると、肩をすくめてそうだね、と答える。
「今回の訓練生たちの実力はまだ知らないけど。単純に一対一ならテオのほうが強いんじゃないかな」
マジェスだけでなく、部屋内の訓練生たちにもざわめきが奔った。
「テオは自己評価が低いっていうか、基準が高いんだよね。で、それがギルド員全員の基本だと思ってる」
一緒に訓練を受けたことのあるレンディットとセラムが、思い当たることがあったのか顔を見合わせる。
「基礎体力測ったときも、一緒に測ったのが俺と同程度の実力の奴とだし。ほかの結果は知らないし。周りは英雄並みの実力者ばかりだし。仕方ないのかもしれないけどね」
そうまとめたロイヴェインを、一同は声もなく眺め。
その視線を受けながら、ロイヴェインはマジェスを見る。
「訓練中にはジェットと戦う機会もあるし、強い相手には事欠かない。でもどうしてもテオとやりたいなら、訓練中に手合わせさせようか?」
にぃ、とその口角が上がる。
「負けてもいいなら、だけど」
厨房へと戻りながら、ククルはロイヴェインの話を考えていた。
実際にテオが誰かと戦う様子を見たのは、アリヴェーラとの手合わせだけ。しかもそれを見ても自分にはふたりともすごいと感じるだけだった。
確かに今までの訓練生たちはテオを評価していたが、それ程までとは知らなかった。
あのあとマジェスは、負けてもいいから手合わせしたいと願い出た。
理由を問うロイヴェインに、話を聞いて益々興味が湧いたこと、そして、ギルド員でないテオが強くなった理由を知りたくなったと答えた。
テオには黙っているようククルに頼んでから、訓練中に必ずと約束したロイヴェイン。実際の訓練内容を決めているのは彼なので、間違いなく実現されるだろう。
「ククル」
名を呼ばれ、顔を上げると。
ロイヴェインが足を止め、自分を見ていた。
「雨の月、入ってから。また来ていい?」
「ロイ?」
「ククルにとっては悲しいこと思い出す月かもしれないけど…」
言葉を濁すロイヴェインに、ククルは首を振る。
「ロイは誕生月ですね。覚えていますよ」
雨の三日が誕生日だと、以前に聞いていた。
「私がお祝いに行くことは難しいですが。来てもらえたら目一杯お祝いしますよ」
「ホントに?」
嬉しそうなロイヴェインに、ククルも笑みを見せる。
「はい。アリーとふたりで来てください」
返された言葉に、ロイヴェインは動きを止めた。
「俺だけじゃないの?」
「同じ日ですから。アリーもお祝いしますよ」
何の含みも悪気もなく告げたククルに、少し呆けて見返してから。
「…ま、いっか」
甘やかに微笑み、ありがと、と呟く。
「楽しみにしてる」
ぱちんと片目を瞑り、ロイヴェインは再び歩き出した。
相変わらずのその様子に息をつき、ククルも続いた。