三八三年 祝の十六日 ①
訓練最終日、今日は午前中の参加のテオと共に基礎訓練を終えた一行。
待機するジェットを見て、ロイヴェインはにっこり笑う。
「じゃあ恒例の英雄さんに打ち込みだよ」
言われるとわかっていたジェットは、了解と軽く返す。
「カートとフェイトはひとりずつ。あとは俺とナリスの二対六で」
「テオは講評よろしく。リックもよく見てて?」
ひとり地力の違うカートと、剣を扱い始めたばかりのフェイトを除いての打ち込みを指示するジェット。
指導に向かないダリューンとまだその力のないリックはひとまず待機だ。
前回ほど訓練に前向きではなかった分、まだ仕上がりが甘いとロイヴェインに聞いてはいた。
確かに、とは思うものの、見せる姿勢は前回の訓練生と何ら変わらず。
これならこの先も自主的に続けてくれるだろう。
最初こそゼクスたちにと頼んだ教官役だが、今となってはロイヴェインが中心となって上手く訓練生たちを引っ張ってくれている。
ギルド員ではないので剣の指導はできないが、それでも真剣に動きを見ているロイヴェイン。
勤勉なその態度に、意外と教える側が性に合うらしいとジェットは思った。
結局は今日も出ることになった訓練中、ギルド員ではないテオは打ち込みに参加できないので、少し離れてその様子を見ていた。
同じく離れて様子を窺うラウルを盗み見、心中嘆息する。
昨日の午後に何があったのかはわからないが、夕食の時はどこかおとなしく。いつもだったら自分たちがいることは気にせずククルに話しかけているのに、必要最低限の会話しかしていなかった。
時折どこか泣きそうにも見える瞳でククルを見つめては逸らし、刺さる視線に気付いて顔を上げると何やら睨まれている。
朝にはさらに顕著になって。明らかに沈むその様子に、大丈夫かとククルに心配されていた。
そして今、訓練を見ながらもふと考え込むように視線を落とし、溜息をついてかぶりを振る。
ここに来たときの熱に浮かされたような高揚感も想い人を前にする幸福感も鳴りを潜め、ただただ沈むラウルに。
もしかして、と、テオは思う。
色恋のことには疎すぎるククルがラウルの想いを拒絶したとは思えないが、ラウルのほうが諦めることを選んだのかもしれない。
そう考え、背筋が冷えた。
長年の想いを諦めるということ。
それに関してだけは、他人事ではなかった。
「ホントにたくさん作るのね」
アリヴェーラに感心したように呟かれ、ククルは苦笑を返すしかなかった。
午後のお茶に向けて今日も菓子を作っているのだが、確実にテオに呆れられる量であることはわかっていた。
明日は朝食を出すだけなので仕込みが少なくていいというのもあるのだが、どうにも色々考えているときは作りすぎてしまう傾向がある。
昨日ここへ話をしに来て以降、自分を避けるように距離を置くラウル。
好きだと伝えてくれた相手にその感情がわからないなどと失礼なことを言ってしまったので、呆れられて避けられるのは仕方ないかとも思う。
ただ時々辛そうな顔をしていることが気になって、大丈夫かと声をかけてみたのだが何でもないと返された。
自分の不用意な質問で彼のここでの居心地を悪くしてしまったことを、本当に申し訳なく思う。
明日の朝まであの状態で過ごさせるのは心苦しいが、しかし自分にできるのは謝ることくらいだ。
とにかく昼食に来てくれたときに謝ってみようと決め、ククルは昼食の準備に取りかかった。
訓練生たちが宿へ戻ってきたのを確認し、ラウルはニースと共に食堂に向かう。
昨日、もう自分は諦めるしかないんだと思った。
恋を知らない彼女。彼女がそれに気付く前に割り込まなければ希望はなく。しかし割り込めるだけの時間が自分にはなく。
どうしようもない状況に仕方ないと思おうとしても、理性と感情は別物で。
夕食を食べに店に行っても、姿を見てはかわいいと思い、声を聞いては聞き入る始末。
こんな調子で諦められるのかと無様な自分に落ち込んで、隣のテオを羨んで。
一晩かかっても割り切れない自分に疲れ果て、ククルにまで心配をかけてしまった。
こうありたいと、こうするしかない。矛盾するその狭間で身動きがとれない。
せめてこれ以上ククルに心配をかけないようにと思いながら、食堂に入った。
「お疲れ様です」
かけられた柔らかな声に、ふっと胸が温かくなる。
たかがひとこと。でも今の自分には、それでも大事で。
やっぱり好きなんだと、思わず呟きそうになる。
「お昼、食べに来ました」
何とか呑み込みそう告げると、ククルが意を決したようにカウンターから出てきた。
突然目の前に来たククルに、座ろうとしていたラウルは動きを止める。
そんなラウルに申し訳無さそうな眼差しを向けて、ククルは頭を下げた。
「ラウルさん、昨日は失礼なことを言ってすみませんでした」
何を言われたのかわからなかった。
呆然と突っ立ち、ただククルを見返す。
顔を上げたククルは、反応のないラウルに瞳を伏せた。
「気を悪くさせてしまったなら謝ります。私がいると寛げないなら席を外します。ですから―――」
「ま、待ってククルさん、さっきから何を?」
慌てて言葉を遮ると、困ったように見上げられる。
どうにも話がわからない。
うろたえるラウルと困惑するククルに、カウンターの中のテオが溜息をついた。
誤解があるのだろうとテオに指摘され、ククルの話を聞いて。ラウルは愕然とした。
「ククルさん、どうしてそんなことになってるの??」
「すみません…」
しょんぼりと視線を落とすククル。
「どうして僕が君を避けるとか…」
言いかけ、己の態度を思い出す。
昨日まで好きだと言い寄っていた自分が急に距離を取れば、そう思われても仕方がない。
「…ごめん、僕のせいだね」
嘆息と共にそう告げて、ラウルは改めてククルを見た。
「僕は―――」
カラン、とドアベルが鳴る。
入り口を見ると、ロイヴェインたちが立っていた。
「お疲れ様」
ちらりとラウルを一瞥してから、ロイヴェインは落ち着いた声でククルに声をかける。
「お疲れ様です。今、食事を―――」
カウンターに戻りかけたククルの手を、ラウルが掴んだ。
「話、途中なので。少し借ります」
「ラウルさん?」
ラウルはそのままククルの手を引き、ロイヴェインたちの横を通って店を出ていく。
すれ違う瞬間交錯する視線。
無言の圧力に、わかっていると心中答える。
店からまっすぐ、開いたままの入口から見える位置でラウルは止まった。
「ごめんねククルさん。すぐだから、確認させて?」
「は、はい」
「僕は君を避けてなんかない。ただ、諦めないとと思ってたから、距離を置こうとしただけなんだ」
握ったままの手に力が籠る。
うろたえる紫の瞳。こんな様子までかわいいと思う。
「でも諦められなくて。…やっぱり、君が好きだ」
ロイヴェインが止めに来るのがわかっているから、抱きしめたいのは何とか堪えて。
代わりにまっすぐ、ククルを見つめて。
「だから明日帰るまで。もう少し、君を好きでいさせて」




