三八三年 祝の十四日 ①
「ごめんな、ククル」
ウィルバート以外の朝食を終えた店内。テオがエプロンを外しながら告げる。
「早めに戻るつもりだけど…」
「テオが朝からがんばってくれたから、こっち大丈夫よ。気にしないで行ってきて」
気にしてるのはそれだけじゃないんだけど、と、テオは内心苦笑する。
昨夜訓練生が夜食を食べに来たときに、アリヴェーラと自分がどのくらい動けるのかという話になった。
本気で遠慮したのだが押し切られ、今から測られることになっている。
「…アリーと同時に測るとか、ホントやめてほしい……」
「何よ、だらしないわね」
同じくエプロンを外しながらのアリヴェーラの言葉に、テオはジト目で見る。
「だらしないとかじゃなくて。そもそもの出来が違うから」
「そうねぇ。テオに負けるのは体力と力くらいかしら」
「わかってるなら測らなくていいだろ…」
ぼやくテオに笑い、アリヴェーラは畳んだエプロンを置いた。
「テオ、着替えてから行くから先に行ってて」
「わかった。ククル、行ってくるな」
「いってらっしゃい」
テオを見送り、ククルはアリヴェーラを見る。
「動きやすい服にでも着替えるの?」
尋ねたククルに、アリヴェーラは楽しそうに口角を上げる。
「そう。せっかくだから、ね」
そう言って二階に上がったアリヴェーラ。しばらくして降りてきた彼女の姿に、確かに動きやすそうではあるけれど、とククルは苦笑する。
怒るロイヴェインの姿が目に浮かぶ。
今日の訓練も違う意味で大変になりそうだと、ククルは上機嫌のアリヴェーラを見送りながら思った。
アリヴェーラと入れ違いで店にやってきたウィルバート。
ククルがひとりになるからと、昨日の夜にテオから頼まれていた。
「おはようございます」
「おはよう」
ふたりだということがわかっているので、久し振りに語調を崩す。
「今回は人数が多いけど、ククルは疲れてない?」
席に着きながら尋ねると、大丈夫だと微笑まれた。
「アリーが来てくれたから助かってるわ」
「ああ、あの…」
初対面からからかわれたことを思い出し、ウィルバートは苦笑する。
その顔から何をされたのかは見当がついたのだろう、ククルはくすりと笑って頷いた。
「ちょっといたずら好きだけど。いい人よ」
「…ちょっと、なのかな」
どうやら自分のほうが辛口の評価らしいとウィルバートは思った。
そうこうするうちにできあがった食事を出され、ククルは続けますねと断って仕込みを再開する。
静かな店内、ククルが仕込みをする音と、自分が食べる音。
自分がまだククルへの想いを自覚する前。あの朝も、こうした心地いい静寂の中食事をした。
今も変わらず穏やかな気持ちで、こうしてここに座れることを嬉しく思う。
そして、今はさらに。
「ククル」
名を呼ぶと視線を上げる彼女に微笑みかけて。
「今日も美味しい」
そう告げると、照れながら礼を言われる。
あぁもう、と心中呟き。
瞳を細め、ウィルバートはククルを見つめる。
他愛もない、しかしだからこそ幸せな会話をしながら食事を終えると、すぐお茶を出された。
普段は甘味の皿が置かれるが、訓練中にそれはなく、代わりに蜂蜜を出されるのだが。
「今日はこれを入れてみる?」
そう言って前に並べられたのは、自分が贈ったジャムだった。
礼状ももらい、ここへ来てからも直接礼を言われた。セレスティアで見かけたときに彼女が好きそうだと思ったのだが、どうやら気に入ってもらえたことは楽しそうなその表情でわかる。
ククルにはもらい過ぎだと恐縮されたが、やはり全種詰めてもらって正解だったと思う。
「お茶に合いそうなのはこんな感じかしら…」
嬉しそうに次々並べていくククルに笑みが隠せなかった。
くつくつ笑うウィルバートに気付き、ククルは顔を赤らめる。
「…ウィル……」
「ごめん。かわいくて」
「ウィル??」
さらりと言われさらに赤くなるククルに、もう一度ごめんと笑いながら。
「ククルはどれがおすすめ?」
尋ねると、少しむくれた表情をしていたククルがふっと笑う。
「香りがいいから、これとか…」
細い指が瓶をつまみ、自分の前に置いていく。
その手を取りたい衝動を抑えながら、ウィルバートはククルを見上げてふと疑問を口にした。
「全部味見したんだ?」
一瞬手を止めて。恥ずかしそうに視線を逸らすククル。
恥じらうその姿に笑みが止まらず。
「気に入ってもらえて本当によかった」
浮かれる己をごまかしながら、ウィルバートは幸せそうに呟いた。
気疲れした様子のテオが帰ってきてしばらく。昼食を食べに来た訓練生たちは、いつもより少し興奮したような落ち着きのなさだった。
「どうしたの?」
尋ねるククルに、テオは疲れた笑みを返す。
「アリーだよ」
「アリー?」
そのまま名を呟き返すククル。
「誰も敵わなかったロイに勝つから。皆感激して」
あんな感じ、と苦笑う。
「なぁに? 私のこと?」
にゅっと奥から顔を出したアリヴェーラに、訓練生たちが一斉に立ち上がる。
「お疲れ様ですっ」
「皆もお疲れ様」
ふふっと笑うアリヴェーラ。
「着替えてくるわね」
ククルに向かってそう告げて、奥に戻っていった。
ぽやんとアリヴェーラを見送っていた数人の訓練生たちが、我に返り座り直す。
「…あの調子なんだよ」
「……そう」
純粋に強さで慕われている面もあるようだが。妖艶な美人というのはどうにも罪作りな存在であると、ククルは思った。
案の定、訓練生と入れ替わりでやってきたロイヴェインの機嫌はすこぶる悪かった。
「聞いてよククル! アリーホントにひどいんだから」
「何よ、ククルに泣きつく気?」
入るなりのロイヴェインの言葉を、即座に切り捨てるアリヴェーラ。
「汚れてもいい服を着ていっただけじゃない」
「だから何でそれが俺の服なんだって!」
ここへ来たときに着ていた服で訓練に出たアリヴェーラ。やはりロイヴェインのものだったようだ。
「馬に乗るのにって言うから貸したのに。紛らわしいからホントやめてって、俺何度も言ったよね?」
「大丈夫よ。私のほうが強いんだから、皆間違えたりしないわよ」
「それはそれでムカつくんだけど?」
「それぐらいにしておけ、騒がしい」
しばらく成り行きを見守って―――否、見ない振りをしていたゼクスが、呆れ果てて口を挟んだ。
「ロイヴェイン。動揺が過ぎる。お前は教官だろう」
「…はい」
一喝され、さすがにおとなしく頷くロイヴェインと。
「アリヴェーラ。ふざけ過ぎだ。仕事で来ているのではないのだから、お前だけ帰らせてもいいんだぞ」
「…わかったわよ」
不承不承頷くアリヴェーラ。
双方自然体だからこその遠慮のない言い合いをねじ伏せたゼクスは、深い溜息をついてから顔を上げた。
「騒がせたな、ククルちゃん、テオ」
「いえ…」
手慣れたゼクスに、普段のふたりの様子が垣間見えた気がした。




