三八三年 祝の十二日 ②
前回の訓練同様、初日を終えた訓練生は皆疲れ果てた様子だった。
「あー…全然ついていけなかった…」
背もたれに身体を預け、そっくり返るように天井を眺めるフェイト。
「ギルド入ったばかりなのに、話せるだけすごいと思うけど?」
「うん、俺らもやっとってとこなのに」
訓練生のうちのふたりはリックたちより一年先輩の三年目で、まだ話す余力があった。残る四人、リックの同期の二年目の訓練生は、ぐったりしながら何とか食事を口に運んでいるだけだった。
「体力だけはあるんだけど、それだけなんだよな…」
起き上がり、はぁ、と息をつく。
「カートさん! 俺、何が足りませんか?」
「えっ、俺に聞くの?」
急に振られたカートは、少し考えて。
「俺たち、最初にここで、よく見て先を考えろって言われてて。フェイトさんはよく見えてるみたいだし、動きのいい人をよく見れば…」
「ありがとうございます! 新人なんで呼び捨てでお願いします!」
「俺も呼び捨てで。普通にしてもらえたら」
そう笑って、カートがテオを見る。
「まぁ、今この中で一番目がいいのはギルド員でもないあいつなんだけどな…」
「テオ?」
「あれ? 知り合いじゃなかったっけ?」
知らなかったのか、と呟いて。
「テオ、やばいんだよ」
「何言ってんだって」
カウンターの中、テオか苦笑する。
「今、この中なら。一番は間違いなくアリーだよ」
「え?」
全員の視線がアリヴェーラに向いたが、本人は気にした様子もなく笑みを浮かべたままだった。
しばらくアリヴェーラを見ていたカートは、ロイヴェインさんの姉だもんな、とひとり納得する。
「ところでさ。ディーが言ってたけど、また訓練参加してたんだろ? 今回も来るよな?」
「いや、今回は…」
「え? 俺見たい。ていうか、何で教えてくれなかったんだよ?」
言葉を遮るフェイトに、苦笑のままだってと返す。
「ジェットにって言われたから。だから父さんに…」
「アレックさん? もしかしてあの噂…」
「冗談でも誇張でもないよ。ホントに強いから」
ジェットが故意に流した噂も順調に広まっているようだと思いながら、テオはにこやかに様子を見ているククルに視線を向ける。
今のところ、ラウル以外のギルド員が妙なことをしてくる様子もなく。
できればこのまま何事もなく済めばいい。
心の底から、そう願った。
訓練生たちが夕食を食べ終え、しばらく。
ドアベルの音と共に、ロイヴェインが入ってきた。
「カート! 追加やるなら行くよ?」
「お願いします!」
立ち上がるカートに、フェイトと三年目のふたりが自分たちもと願い出る。
「見学でもいいけど?」
残る四人にロイヴェインが声をかけるが、皆困ったように顔を見合わせて。
「…やめておきます」
ポツリと呟いたひとりの言葉に、あとの三人も次々に同意した。
全員を一瞥ずつしたロイヴェインは、わかった、と笑みを見せる。
「ククル。終わってから俺の夕食と、例のアレ。よろしくね」
「わかりました」
じゃあ行くよ、と、ロイヴェインはトレイを返した四人と共に出ていく。
残る四人は無言で見送り、静かにトレイを返して店を出た。
ロイヴェインが追加訓練をしている間に、ゼクスたちとウィルバート、そして見学者の三人が夕食に来た。
互いに初日の感想と意見を交換し、それを元に明日の内容を考えているようだ。
食事を終え、あとは部屋でと一行が立ち上がる中、ラウルとニースは腰を上げなかった。
どうしたのかと問うゼクスに、ラウルはにっこり微笑む。
「ククルさんに、僕の話を聞いてもらいたくて」
ウィルバートが動きを止めた。
「まだそんな―――」
「ニースにもいてもらうし、ウィルバートさん、何ならあなたも残ればいいじゃないですか」
向けられる笑みは、確実に。
「話すことすら『手を出した』ことになるだなんて。言いませんよね?」
同類だろうと、見透かすそれで。
何も言えなくなったウィルバートから、アリヴェーラ、テオ、そしてククルへと視線を移す。
「僕は前から君を知ってるけど、君は違う。僕の気持ちを疑うのも当たり前だよ」
照れることもなく、まっすぐククルを見つめるラウル。
「だから。僕がどうして君を好きになったのか、聞いてほしいんだ」
もう見守ることしかできないウィルバートにも、ククルの返事はわかっていた。
向けられる真摯な眼差しに、ククルは頷く。
「わかりました」
カウンター席に移動したラウルとニース。場に残ったウィルバートは、ラウルからひとつ空け、右端に座る。
全員に改めてお茶を出し、テオとアリヴェーラに左右を挟まれながら、ククルがラウルを見た。
準備が整ったことを受け、ラウルはククルを見返して微笑む。
「僕が初めてここに来たのは七年前…十四のときだった」
「そんなに前だったんですか?」
思わず声を上げてから、割り込んでしまったことに謝るククルに、そうなんだよと頷き返す。
「その頃ちょっと悩んでて。ギルド員をやめようかって考えてたんだ」
最初の師匠には、とにかく身体を鍛えろと言われた。自分は背もさほど高くもなく、力もなかったが、それでも成長すればと一年必死に努力した。しかし、思うように筋力も上がらないままで。
どうやっても自分は師匠のようにはなれないのだと、落ち込んでいた。
そんなときに訪れた、名前も知らない小さな町。
「夕食に入ったここで。楽しそうに手伝う君を見た」
いらっしゃいませと微笑む、金茶の髪に紫の瞳の少女。
明らかに自分よりも幼いその少女は、楽しそうに料理を運び、ありがとうと言われては微笑んで。美味しかったと聞けば自分のことのように誇らしげで、また来ると手を振られては嬉しそうにお辞儀をする。
ここが―――この仕事が好きなんだと、全身で表すように。幸せそうに働く少女。
食事を持ってきてくれた少女に、昼間は学校なのかと聞いてみると、終わってから夜まで手伝っていると答えてくれた。
大変じゃないのかと尋ねた自分に、少女は本当に不思議そうな顔をして。
学校が終わってから遊びもせずに働いていても。
トレイを抱える、この年頃にしては荒れた手も。
何もいとわず、嬉しそうに。
ここが好きだから平気だと、少女は答えた。
自分より小さな少女にきっぱりと言い切られ、驚くと同時に自分が恥ずかしくなった。
自分はこの少女のように、胸を張ってこの仕事が好きだとは言えない。
ギルド員は、自分が憧れ、選んだ仕事なのに。
それを好きにもなれないまま、たった一年で諦めるのか?
「僕はね、あのとき名前も知らない君に勇気をもらったんだ」
その後師匠に正直に悩みを伝え、気付かなくてすまなかったと謝られた。
それから自分に合う方法を模索し、ギルド員として立てるように成長できた。
そんな日々の中、思い出す少女の姿。
初めはもちろん恋慕という程の気持ちではなかった。しかしそれでも、少女との邂逅は自分の日々を支え続けてくれて。
「町の名を覚えていなくて、それからずっとここに来ることができなかった。しまいには夢だったのかもとまで思ったりもしたよ」
会えぬ面影を求めるうちに、自分にはきっと、想いの根幹が育っていたのだろう。
「十九になってからここに来たとき。町の門を抜けた瞬間、ここだったんだって気付いた」
ニースのパーティーに移ってすぐ、今までは滅多に来ることのなかった南の仕事の帰り。
朧気だった風景が一気に色を取り戻した。逸る気持ちで食堂に入ると、記憶の中より成長した、あの少女の姿。
しかし変わらぬ紫の瞳を細め、いらっしゃいませと告げられた。
「夢じゃなかったことと、君が変わらず幸せそうに働いてるのが嬉しくて」
すっかり年頃になっていたあのときの少女は、それでも面影の残る笑みを絶やさず、相変わらず嬉しそうに働いて。
両親だろう男女や慣れた様子の客たちが呼ぶのを聞き、名を知った。
ずっと自分を支えてくれたあの少女が。
夢ではなく現実にいて、こんなに愛らしく成長していた。
締めつけるような胸の痛み。
今知った名を、心の中で呼んでみて。
自分は彼女が好きなのだと自覚した。
「そのときは嬉しいばっかりで、結局何も言えなかった」
町もわかったので、これでいつでも来られると思っていた。
しかし、実際はそう甘くもなく。
「次にここに来られたのが、去年、動の月になってから」
場所がわかったのに来られないもどかしさは、恋心に拍車をかけて。
やっと来られたと。そう思いながら開けた扉の向こう。
変わらぬ彼女は、男とふたりで店にいた。
「本当に、絶望したよ」
両親もおらず、男とふたり。会話はとても自然で、仲がいいのはすぐにわかった。
結婚して店を継いだのだとしか思えないその光景。
失意の中、正直店内でのことはあまり覚えていない。
夜、酒を飲みに行くかと誘われたが、もう店に行く気にならなかった。
朝食は仕方なく店に行くと、やはり男とふたりで。
味などしない食事を腹に収め、町を出ることになった。
もうここへは来なくて済むことを願いながら丘を降りていたら、気丈だな、と、ニースが小さく呟くのが聞こえた。
問い質すと、食堂の夫婦が亡くなり、娘がひとりで店を継いだのだと。
「全部僕の勘違いだってわかって。引き返そうとして止められた」
あの男が誰だとか、そんなことはもうどうでもいい。
彼女はまだ、誰かのものと決まったわけではないのだから。
「だから次会えたら。今度こそ言おうと思ってたんだ」
山吹色の瞳を細め。ラウルはククルを見つめる。
「僕は君が思ってるよりずっと前から。君のことが、好きなんだって」
返事のないククルを見つめたまま、ラウルはそれから、と続ける。
「次にいつ行けるかと思ううちに、ジェットさんのことがあって。年末には君の話が出るようになった」
そこで初めてククルがジェットの姪であることを知り、同時にニースがククルの両親が亡くなったことを知っていた理由に気付いた。
「ジェットさんは気さくな人だけど、何の接点もない僕たちから声をかけるのは、やっぱりちょっと気が引けて。でも、ここで君と関われば。仲良くなれれば、その距離は縮む」
ギルドで洩れ聞く下衆な会話をククルの耳に入れるつもりはないが、おそらくふたつ隣の事務長補佐は、知れば顔色を変えるだろう。
「今は二年目と三年目だけだけど。ホントはもっと色んな人が君との接点を望んでる」
英雄の姪。その肩書に群がるように。
「気を付けて」
声音が変わったことに気付き、ククルは少し表情を強張らせて頷いた。
真剣なククルに辞色を和らげ、本当に、とラウル。
「それも伝えておきたかったんだ。早めにここへ来られてよかった」
ジェットに近い者の前では決してされない会話の内容。今まで関わりのなかった自分だからこそ知ることのできたそれを。
ようやく、話すことができた。
少し安堵したように、ラウルはそっと息をつき、笑った。
話し終え、張り詰めていたものが少し緩んだように息をつくラウル。
自分を見て微笑む彼の語った言葉に、ククルは驚きを隠せなかった。
まさか七年も前から自分のことを知っていて、今はこんな心配をしていてくれたなど。昨日は思いもしなかった。
「あの、アルディーズさん」
「ラウルで。お願い」
微笑んだまま懇願される。
わかりましたと頷いて。
「ラウルさん。色々と心配していただいてありがとうございます」
ふるふるとラウルは首を振る。
「好きな人を心配するのは当然だから」
自分を見つめる眼差しは、焦がれる者を見るそれで。
いたたまらなさと申し訳なさで、ククルは視線を伏せる。
「すみません、ラウルさん。私…」
「待って。言わないで」
慌ててラウルが立ち上がった。
「僕こそごめん。昨日、返事がほしいなんて言って。自分のことを何も話してないのに、返事なんてできるわけないよね」
視線を上げたククルに、ふっと微笑む。
「まだあと五日。その間にもっと話をして、もっと僕のことを知って?」
乗り出しかけたラウルの身体を、隣のニースが肩を掴んで止める。
ごめんねと笑い、ラウルはおとなしく椅子に座った。
「ククルさん」
しかし眼差しは変わらない。
ほかの誰も視界に入っていないかのように、ククルだけを見つめる。
「僕ももっと、君のことが知りたいんだ」
紡がれる言葉は柔らかくも強く。
否と言わせぬ響きをもって、ククルに渡された。
追加訓練を終えたロイヴェイン。妙な緊張感の残る店内に、何があったのかとアリヴェーラを見る。
「お疲れ様です」
「あ、うん。ククルもお疲れ様」
アリヴェーラが動く前にククルに声をかけられ、ロイヴェインは夕食を頼んでカウンター席に座った。
一緒に来たカートたちはテーブル席につき、疲れた、と笑っている。
作業を始めたククルを一瞥してから再びアリヴェーラを見るが、あからさまに視線を逸らされた。
テオを見ると、疲れた表情で仕方なさそうに溜息をつかれる。
何かあったのは明白だが、訓練生たちがいる手前、余計なことは聞けない。
募るもどかしさ。ここへ来てから、まだククルとふたりで話せていなかった。
夜食を前にはしゃぐ訓練生と、ククルたちと。話しながらの夕食を、心境はさておき楽しく終えたロイヴェイン。
揃って店を出て、宿に戻る途中。叩きつけられた殺気に苦笑してひとり離れる。
「何?」
宿と食堂の間。暗闇に紛れるアリヴェーラに声をかけると、馬鹿にしたように鼻で笑われた。
「あとのふたりは知ってるから。呑気なあんたにも教えてあげようと思って」
感謝しなさいよ、と前置いて。追加訓練の間に店であった出来事を淡々と話すアリヴェーラ。
立ち尽くすロイヴェインに、嘲るような視線を向ける。
「ねぇ。あんたはホントにどうしたいの?」
そう残し、アリヴェーラは店に戻り。
ひとり立ち尽くしたままのロイヴェインは、ぐっと拳を握りしめ。
「…俺は……」
うなだれ、呟いた。




