三八三年 明の四十一日
朝食後もしばらく店にいたウィルバートは、ユアンから様子を見てくるよう頼まれていると言ってリオルの下へと行った。
休みをもらったと言う割には仕事をしているウィルバート。大変だと思うと同時に、引き受ける彼の優しさに気付く。
そんなウィルバートを見送り、ひとりになった店内でククルは吐息をつく。
レザンで改めて、好きだと言われた。
返事はいらない。覚えておいてくれるだけでいいと言われたが。それもおそらく、彼の優しさからの言葉で。
いつまでも甘えることしかできない自分が情けなく。
いつまでも考えることのできない自分が不甲斐なかった。
「ククル、また…」
午前中だというのに既に甘い香りの店内に、戻ってきたテオは苦笑する。
「ごめんなさい…」
しゅんとして素直に謝るククル。大方考え事でもしながら作っていたのだろうと思いながら、テオは作業部屋を覗く。
今焼いているのは土産用のパウンドケーキだろうか。焼成待ちのタルト皮と見慣れたパイに、テオは少し表情を緩めた。
「まぁ、ウィルの土産分もあるんだし。仕方ないか」
そう言うとありがとうと返されるが、瞳はまだ伏せがちで。
その様子に、戻ってきてよかったとテオは内心ほっとする。
そのまま考え込んでいたら、またあのときのような状態になりかねなかった。
しょんぼりした様子のククルに、テオは伸ばしかけた手を下ろし、わざと仕方なさそうな笑みを見せる。
「いいよ。こっち俺がやっとくから」
「テオ…」
「俺たちの分も作ってくれてるんだろ?」
そう言うと、ようやくその瞳の影が薄れた。
「うん。ありがとう」
微笑み返すククルに今度は自然に瞳を細め、テオは笑った。
昼を過ぎ、戻ってきたウィルバート。
カウンター席の中央で、少し遅めの昼食を取る。
これで今回の予定はすべて終了。あとはここでの時間を楽しむだけだ。
本当ならレザンにも寄らなければならないが、ランスロットからの手紙にはほかへの礼を優先させろと書かれていた。
なのでそれを素直に受け取り、今回はライナスに来ることにしたのだ。
視線を上げると、カウンター内には穏やかに微笑むククル。
テオと並び仕込みをする姿は少々妬けもするが、それでもこの時間は嬉しかった。
「そういえば。訓練のことはまだ決まってないんだ?」
思い出したように尋ねるテオに、ウィルバートは頷く。
「祝の月の間に二回行うつもりだから、十日頃かと思うけど、詳しくはまだ。人数は、もしかしたら増えるかもしれない」
「ディーの次に誰が来るかは?」
続けられた問いにテオを見返す。
間違いなく本題はこちらなのだろうが―――。
答えを待つテオに、ウィルバートはふっと笑った。
「伏せておくよう言われています」
わざわざ口調を変えて答えたウィルバートを、テオが半眼で睨む。
「誰にだよ」
「ジェットです。楽しみにしてろ、ということらしいですよ」
「何だよそれ…」
気の抜けたようにがくりと肩を落とすテオと、大人げないジェットに苦笑するククル。
ふたりを眺め、ウィルバートは和らいだ笑みを浮かべた。
もうすることはないので食堂に居座るつもりのウィルバート。まだ少し葛藤の残る顔であとを任せると告げて、テオは宿へと戻った。
いつもの店番にはまだ早いので、中央の席に座った。どうぞと笑ってククルがお茶とタルトを出してくれる。
「ありがとう」
礼を言うと、瞳を細めていいえと返された。
手を休める様子のないククルを遠慮なく眺めていると、視線に気付いたククルが少し恥ずかしそうにこちらを見る。
「あの、ウィル? 何か…?」
「見てるだけだから気にしないで」
「そう言われても…」
困ったように呟くククルにごめんと笑う。
自分の想いへの返答を待つ代わりに得た、この時間。
もちろん応えてもらいたい気持ちはあるが、今、結論を迫れば断られるとわかっている。
だから今はまだ。戸惑う彼女につけ込むような行為だが、曖昧なままでもよかった。
「聞こうと思ってたんだけど、誕生日プレゼントのお返しは何がいい?」
気を逸らそうと思い尋ねると、何もいらないと首を振られる。
「私もプレゼントをもらったので」
そう返されることはわかっていたので、本当なら聞かずに贈るのが一番だったのだが。
咄嗟に口にしてしまった以上、どうにか手を打つ必要があった。
「でも俺はお菓子を作ってもらった」
「あれはお土産です」
「そうか、お土産もいつももらってばかりだっけ」
「ウィル?」
「じゃあその分もかな」
「ウィル!」
慌てるククルに笑い、ウィルバートは立ち上がる。
「贈らせて?」
カウンター越しに手を伸ばし、髪を撫で。
「俺が、贈りたいんだ」
少しだけ頬に触れ、手を離す。
硬直するククルが赤くなるのを嬉しそうに見つめて、ウィルバートは再び座った。




