三八三年 明の三十二日
昼食の客が一段落した頃だった。
「お兄ちゃん、ククル、ただいま!」
ガラン、と大きめのドアベルの音と共に、レムが店に入ってくる。
「おかえり」
「おかえり、レム」
そう応えてから、うしろに続くのがアリヴェーラではなくナリスであることに気付いた。
「ナリスが一緒に来たんだ?」
「ジェットも来てるよ。ちょっとミルドレッドに寄ってる」
テオの言葉にそう返し、またあとで来ると言ってレムとナリスは出ていった。どうやら宿に帰るより先に顔を見せに来てくれたらしい。
元気そうなレムにはほっとしたが、もちろん気になることはある。
「どうしてエト兄さんたちが…?」
予定ではアリヴェーラがもう一度送ってきてくれることになっていたのだが、何かあったのだろうか。
「レムのあの様子なら、来れなくなったとかじゃなさそうだけど…」
顔を見合わせ、ふたりは首を傾げた。
夕方になって到着したジェット。詳細を聞くふたりに、ああ、と笑う。
「こっちに来てくれてたっていうアリーに礼を言おうと思って。着いてるかなって日に家に行ったら、レムがいて」
「エト兄さん、アリーのこと知ってたの?」
「いや、ゼクスさんから話聞いてただけ。ホント、ロイに似てるのな」
驚いた、と苦笑いするジェット。
「また往復させるのも悪いし、俺もこっちに用事があったから。来たがってたけど代わってもらった」
「そうだったの…」
アリヴェーラが怪我などをしたわけではないとわかり、ククルは安堵する。
「また行くからって言ってた。ロイも訓練でって」
ふたりからの伝言に微笑んで。
「ありがとう、エト兄さん」
また会える日を楽しみに待とうと、ククルは思った。
そのあと、レザンに警邏隊の巡回が入ることや、ギルド内での落着を伝えたジェット。
「ウィルも仕事が落ち着くまでもう少しかかるだろうけど、訓練までに来るつもりだろうから」
そう言い、テオを見る。
「アルドさんと、テオに。直接礼を言えてないからって」
「礼なんていいんだけど…」
困惑気味のその口振りに、ククルとジェットは笑う。
「いいから。受け取ってやってくれって」
宥めるようにそう告げてから、ジェットは息をついた。
「…こっちの警邏隊のことはわからないままだ。悪いがまだ気をつけるんだぞ」
「わかってるわ」
「あれからは来てないってアリーも言ってた。俺が戻ってからも見てない」
ふたりの言葉に頷き、それと、と続ける。
「クゥのことが何か広まってるみたいでな。もしかしたらギルド員から声かけられたりするかもしれない」
「声かけられるって?」
慌てたテオの声に、違うと首を振る。
「訓練生からメシが美味かったって話が出てて。ここに泊まったことある奴らが、そういえばってなって。で、クゥが俺の姪だってとこまで広まった」
「ジェット、それ…」
「だからアレック兄さんのことも広めといた」
大丈夫かと問うテオに、にやりと笑ってジェットがつけ足す。
「英雄よりおっかない宿の店主の娘同然だってな」
「エト兄さん…」
それでいいのかと呟くククルに。
「ずっと誰かに来てもらうわけにはいかないからな。いざってときは盾に使っていいってアレック兄さんにも言われてる」
向ける笑みに一瞬の影。ジェットは手を伸ばし、頭を撫でる。
「ごめんな」
「エト兄さんが謝ることじゃないでしょ?」
謝るジェットに、ククルは微笑んで。
「そんなふうに言われてるんだったら、期待はずれって思われないようにがんばらないとね」
そう宣言すると、ジェットとテオはククルを凝視し、それから顔を見合わせる。
「もう十分だろ?」
「むしろ力抜いて。作りすぎるんだから」
嘆息しながらの言葉に返せるそれはククルにはなく。
しかし素直に呑み込むことはできずに、不服の意を眼差しに乗せた。
明日の早朝に出るとククルに告げ、ジェットは自室に戻る。
留守にしているほうが多い部屋ではあるが、いつ来ても使えるようにククルが調えてくれていた。
クライヴがこの家を建てたときから既に自分の部屋は用意されていた。ほとんど帰らない自分には必要ないと言ったこともあるが、それでもここはお前の家だからと言われた。
町にあった生家はもうない。だからこそ兄は、ここに自分の帰る場所を用意してくれたのだろう。
そして、兄たちがいなくなった今もそれは変わらず。帰る度に、当然のように迎え入れてもらっている。
椅子に座り、息をつく。
ミルドレッドでミランに話をしてはきたが、基本ギルドが警邏隊の行動に干渉することはできない。
魔物を相手とするギルドとは違い、警邏隊は人を相手とする。ギルド内での揉め事なら内々に処罰できるが、一般人が絡むと警邏隊の範疇だ。
ウィルバートの一件も、ウィルバートに対する脅迫はギルドでの処罰対象だが、レザン村を狙った件は警邏隊で裁かれることになる。
厄介事を持ち込んだ自分に、ミランはそれでも嫌な顔ひとつせず、もしライナスに何かあれば頼るように伝えてくれと言ってくれた。
そして警邏隊の支部隊長は顔見知りだからと、でき得る範囲で探りを入れるとも言い出したが、そこまで危ない橋を渡らせることはできないので必死に止めた。
これで、咄嗟に頼れる先はできた。
自分が駆けつけられれば一番なのだがと、そうは思うが。
それができないもどかしさと、だからこそ借りることのできる助力と。
「…俺の力、か」
自分の大切なものを守る為。
あと、自分にできることは何があるだろうかと。
ひとりの部屋で、ジェットは独りごちた。




