三八三年 明の四日
昼過ぎ、珍しくテオが厨房ではなくテーブル席にいた。入口左手、ジェットの定位置だ。
「…確かに、頼んだのは俺なんだけどさ……」
「悪かったって」
言葉と声音が一致しないジェットに、テーブルに突っ伏すテオは半眼で見上げる。
「疲れも取れてると思うんだけどさ…」
「だから悪かったって」
同じ調子で返すジェットから、隣のダリューンへと視線を移す。
「ダンも」
「すまない。いい動きをしていたものだから、つい」
「ダンが止めなかったら誰が止めるんだよ…」
ぼやくテオに、ジェットとダリューンが顔を見合わせる。
「ダンは俺のこと止めないよな?」
「そうだな。ナリスなら…」
「ナリスいないだろ…」
疲れた声でツッコむテオにくすりと笑って、ククルは三人にお茶を出す。
「絞られたみたいね」
前回できなかった手合わせをしたいからと、午前中に少し時間がほしいと言い出したテオ。小一時間の間に、ジェットとダリューンにみっちり付き合わされたようだ。
ちらりとククルを見上げ、違う、と呟く。
「俺、手合わせしてくれって言っただけなんだけど…」
「手合わせしただろ?」
「だけじゃないだろ…」
見た目より体力のあるテオがここまで疲れた様子を見せるのは本当に珍しい。
「…エト兄さん」
「いや…鍛えがいがあるもんだから…」
ククルの冷えた声にごにょごにょと返し、ジェットはそろりと視線を逸らす。
仕方なさそうな苦笑を消して、ククルはテオを覗き込んだ。
「お客さんもいないし、しばらく休んでてね?」
「ごめん、そうする…」
はぁ、と溜息をつくテオに。
あとで何か疲れの取れるものでも出そうかと、ククルは思った。
夕方にナリスがやってきた頃にはテオもそれなりに調子を戻していた。
「俺のいない間にそんな面白いことしてたんだ?」
話を聞いてケラケラ笑うナリス。故郷にいても暇だからと、一晩泊まっただけで戻ってきたそうだ。レムとお揃いで、海のあるシューゼ地区ならではの珊瑚のブローチをお土産にもらった。
賑やかな年始になり、ククルは内心嬉しく思う。
両親のいない年始。この時期客は多くないのに、こんなに楽しく過ごせている。
思えばあの事故以来、色々なことがあった。今まで以上にたくさんの人が来てくれた。
自分の周りの人たち。訪れてくれる人たち。そんな皆に支えられて、自分はこうして店を続けることができているのだ。
―――ふと、ディアレスがここを去るときに言っていた言葉を思い出した。
自分たちふたりに何も返せない代わりに、誰かを助けていけたらと。
同じように、自分も。
直接は何も返せなくても、誰かに何かをすることで皆の役に立てればいいのに。
そう、思った。
その日の夜。店にはククルとテオ、そしてジェットとアレックがいた。
テーブルの上にはグラスが四つ。アレックが選んだ酒と、簡単なつまみが並んでいた。
「これも約束だったもんな」
嬉しそうに笑うジェットの隣で、アレックもいつもより和らいだ眼差しを向ける。
「…テオ、大丈夫?」
昼にあれだけ疲れ果てていたテオ。そんな体調で酒など飲んでいいのだろうかと心配するククルに、わかってると言いたげにテオは頷く。
「一杯だけにしとくって」
口には出さないがテオも楽しみにしていたのだろう。それ以上は言わず、ククルは頷くに留めた。
「そんなに強い酒じゃないが、一気に飲むんじゃないぞ?」
そう言いながらアレックが控えめに注いだのは白ワイン。
皆でグラスを持ち、顔を見合わせる。
「じゃ、ちょっと遅くなったけど。テオ、クゥ、成人おめでとう。まぁそんな肩書きがなくてもふたりは十分立派だけどな」
「おめでとう。本当に、自慢の息子と娘だよ」
突然面と向かってほめられて、ククルとテオは互いを見、はにかんで笑った。
ふたりで礼を言い、グラスを合わせる。
花のような香りだが、口に含んでもあまり甘さは感じない。飲んだときの僅かな喉の熱さと鼻を抜ける香りに、ククルは酒なんだなと当たり前のことを思った。




