代償は
テストで一番順位が低かった奴が告る。それも嘘の告白で。
他のゲーム参加者は、影からその様子をスマホで撮影する。
悪趣味だと罵ってくれて構わない。だけどあたしらからしてみれば、嘘告をされるだけのことを、アイツはしたんだから。
アイツ、あたしらがカンニングしたって先生にチクったんだもん。
カンニングなんて誰でもやってんじゃん。それなのにさあ、普通、チクる? 真面目君ですか? ウケないんですけど。
おかげでその教科のテストは途中退席になって、それ以上テストが受けられなくなったし。後から先生や親に怒られて、散々。学年順位だって下から数えた方が早いし、他の教科だってあれから先生たちに目をつけられて、カンニングできなかったし。
学生なんて楽しんでなんぼじゃない?
カンニングだって、先生や親だって成績のいい方がいいんだし、知られなければ、あたしらだって怒られないからいいじゃない。カンニングで皆ハッピーになるから、別にいいじゃない。
「あたしね、アンタに言われてそうだなって反省して」
長い髪の毛先を、クルクル指に絡めながら俯きながら言う。
「やっぱカンニングってよくないよね。真面目にやってる人らにも失礼だしさ。あたし、本当よくなかったなって思って。目、覚めた。スズキ、アンタが言ってくれたおかげ。ありがとうね」
ここで、ちらりと上目づかいで見る。
どうよ、これ。男受けいいってあたし、知ってんだ。プラス、少しモジモジした感じで、チラリとブラウスから胸の谷間が見えそうで見えない。そういう角度も大事。
真面目人間のコイツも、ほらね。顔が赤くなっちゃった。
勝利を確信し、ぎゅっ。スズキの手を握り、言う。まだ少し顔は伏せたまま。
「……多分ね、あたし。あたし……。あんたの側にいたら……。変われると思う。近くにいたら、ダメかなあ?」
やっとここで顔を上げ、少しだけ首を傾ける。
『あ……』とか『う……』とか、なんかよく分かんないこと言っているけれど、はい、オチた。
ニヤけそうになる顔を必死にこらえる。
「だからね……。もうっ、気づいてよ! あたしと付き合ってほしいの!」
うろたえるスズキは滑稽だ。
手を離すと、今度はスズキの指先を軽く自分の体に滑らせる。
「……いろんな場所、好きに触っていいんだよ……? 特別な人になら、触れられても大丈夫……」
「そ、それは……」
ゴクリ。スズキはノドを鳴らす。
ふふん、あたし胸は大きい方だしね。アンタだって年頃の男の子だし、ほらほら、触ってみたいでしょう?
顔だって自分で言うのもなんだけど、可愛い方だし。ナンパされるのも当たり前だし。あたしみたいな可愛い子が、アンタみたいな堅苦しい真面目なつまんない人間とつきあえるなんて、すごいチャンスだもんね。もちろん、断らないよね? スズキごときの分際で。
それなのに、なかなか返事をもらえないので焦れ、すい。両腕を奴の肩に滑らせる。
「キスだって、したいんだよ? 好きな人とキスって……。したくない?」
視線を逸らさず、顔を近づけ少し口をすぼめながら言う。
はい、顔超真っ赤。またノドが鳴った。
「それともあたしのこと、嫌い?」
不安そうに尋ねる。
「い、いや、それは……」
「じゃあ……。しよっか。キ、ス」
「あっ、まっ、ちょっ!」
あたしが顔の角度を変えれば、すごい慌ててながらも目を閉じてやんの。逃げないし。なんだ、やっぱあたしとキス、したいんじゃん。ウケる。
でもあたし、アンタとキス、したくないんだよね!
股間を蹴り上げる。
悲鳴をあげその場に倒れる奴を冷めた目で、見下ろす。
「迫真の演技、最高!」
わっと、隠れていた皆が飛び出してきた。
「マジでキスするかと思った!」
「まさか! タイプじゃないし、するわけないじゃん。寸止めよ、寸止め」
「うわ、鬼畜!」
そう言われるが、冗談だと分かっているので皆と一緒に笑う。
状況が呑みこめないスズキは、あたしらをせわしなく見ている。その様子に、誰かが吹き出す。
「ねえねえ、本当にキスされると思った? アンタみたいな奴が、本当に告白されてるとマジで思った?」
友だちの一人が、まだうずくまっているスズキの背中を蹴る。
「まさかあ。頭のいい誰かさんが、演技を見抜けない訳ないでしょう?」
「だよね。それより、バッチリ撮れたよん。股間もね。アンタ、興奮していたねー。見る?」
「それよりクラスの皆に送ろうよ。クラスで一番の真面目君が、嘘告で興奮するってね」
「な……っ」
スズキの顔が一瞬にして青くなる。その様子は見ていて実に愉快。
「止めようよお。送るなんて、イジメだよお。でもさあ……。アンタが興奮した動画、うちらが持っているって忘れないでね。恥だよねえ? こんなの、誰にも見られたくないよねえ?」
ぎりっ。
今度は悔しさに耐えるよう睨み上げてくるが、ちっとも怖くない。だって有利なのは、あたしらだもん。だけどさあ、アンタ、自分の状況分かってないね。
「……なあに、その顔」
「気に入らない、今すぐ流そうか」
「な……っ。や、止め……っ」
タンッ。
スズキの制止を無視し、タップ一つで映像は送られる。もちろん嘘告について理解ある奴ら限定だけど。だって、中には冗談が通じない子がいるんだよね、コイツとその友だちらみたいに。
嘘でもあたしみたいな可愛い子から告白されたんだよ? キスをせがまれたんだよ? いい思い出になったでしょ? 感謝してよね。
あたしらは笑いながら木曜日の放課後、そうして校舎裏に奴を残し帰路についた。
◇◇◇◇◇
金曜日の朝、クラスではクスクスと、あちこちで笑いがあがっていた。
もちろん好奇の対象は、スズキ。
サボると思ったけれど、やっぱり真面目君なだけあって、登校してきた。机に座ったまま俯き、机に乗せた両手はそれぞれ拳を作っている。
「お前ら、どういうつもりだよ!」
「はあ? なにが?」
スズキと仲のいい、正義感溢れる奴が教室へ入ってくるなり、真っ直ぐあたしらの所へ叫びながら向かってきた。
「あの動画だよ! なにが真面目君の意外な一面だ! あんな嘘の告白を隠し撮りして拡散して、恥ずかしくないのかよ!」
「恥ずかしいのは、興奮したスズキでしょ?」
友だちの返しに、ゲラゲラとあたしらは笑う。教室の複数でも、つられるように笑いが起こる。
「あたしがスズキを好きになるなんてこと、あると思う? ないよね? 普段接点ないし、カンニングをチクるような奴なのに」
昨晩塗ったマニキュアの出来を見るよう、手を少しかかげる。うん、ムラなし。バッチリ。
「そうよ。頭がいいんだから、ちょっと考えれば嘘だって分かるじゃん。それを本気にして面白いなって思ったから、皆にも教えただけだよ。スズキにも意外な一面があるってね」
「やっていいことと悪いことの区別もつかないのか?」
「やだぁ、なにマジになってんの? クラス内でちょっと画像流しただけじゃん。他のSNSで全世界配信よりマシだって分かんない?」
「……なに言ってんだよ、お前ら」
まるで宇宙人でも見ているような目。こいつらの、こういう目つきが気に入らないのよね。
「なあに? 友だちをかばう俺、かっけえとか思ってんの? ウケるー」
鏡を片手にビューラーを使いながら、棒読みで友だちの一人が言う。
「ダサいよ。冗談の区別もつかないなんて。うちら学生だよ? 毎日を楽しんでなにが悪いわけ?」
「冗談と、冗談じゃすまない区別がつかないのかって話だよ!」
「意味が分かんない。冗談は冗談じゃん。クラスの皆だって冗談だって分かってるから、笑ってるわけだし。お笑い番組のドッキリとなにが違うわけ? 動画配信でドッキリ大成功、ってアップすれば冗談で終わる話じゃん」
「そうそう、それらとなにが違うの?」
「お前ら……」
ビューラーでの下準備を終え、今度はマスカラを取り出す。
「あ、新作のマスカラじゃん」
「へっへー。買っちゃった」
「お前ら本当に、分からないのか……?」
「分かってないのは、アンタじゃん。さっきも言ったけどさあ、ドッキリ大成功となにが違うわけ? こうやって皆、楽しんでんだからいいじゃん」
「楽しんでるのは、お前らだけだろう? どうせカンニングを報告されたことの仕返しだろうが!」
チッ。舌打ちするとマスカラを置き、はあ。わざと友だちがため息を吐く。
「仕返しじゃないし。それに本当に悪いことなら、それってダメなことでしょ? って、誰か言ってくるはず。だけど、誰も注意してこない。つまり皆、これを受け入れているってことなんだよ」
「そうそう。アンタだけよ、冗談が分からず熱くなってんの」
クラスの誰も、さっきから口を挟もうとしない。ただあたしらのやり取りを聞いているだけ。
事情を知らないクラスメイトには、コイツが騒いでいる原因となった動画が見せられ、どんどん広まっている。結局動画を送らなかった奴らにも、コイツの正義感で動画を見せることになった。これって、アンタのせいだよね。
「……ねえ、気がついてる? アンタが騒ぐから、動画がますます拡散してんだよ」
スマホを見る多くのクラスメイトに気がつき、目の前の男の顔色がクルクル変わる。やっと状況を理解したようだ。
「正義の味方のつもりが、ますます友だちを追いこんでまちゅねー」
一人の赤ちゃん言葉に、皆でゲラゲラと笑う。
「……分かった、もういい!」
スズキの元へ向かったアイツの動きに合わせ、クラス中の視線が動く。
「……すごいかばうねー。友情? っていうか、愛情?」
「あー、なるほどね。ボーイズラブってヤツですか。あたしら偏見ないから、そういうのも有りって分かってるよ? 真面目同士でお似合いじゃん。でもさあ、いいの? 守っているつもりで、ますます追いつめる奴なんかが相手で。スズキ、趣味がわるーい」
「それに女に反応する奴が相手でいいの? 浮気に気をつけてねー」
笑っていると、それまで黙っていたアイツらと仲のいい一人の男子が動く。こいつは真面目な部類だけど、三人の中では、まだおちゃらけた一面を持っている奴だ。
「じゃ、じゃあ、お、俺も入れて、三角関係だな!」
「は?」
だけど声が震えているし。唐突すぎるし。無理に笑って二人の肩を後ろから抱いているし。なんか、キモっ。
「お、お、お前ら、お、俺らの仲がいいからって、うらやましがるなよなっ」
「はあ? 別にうらやましくないし」
「ね? あたしらだって仲いいし」
「へえ? だったら、そっちはガールズラブってやつですか。お互い、何股かけているわけ?」
味方を得たからか、正義感君が言ってくる。これにはカチンときた。
「ふざけ……っ」
「なに騒いでいる、お前ら」
気がつけばホームルームの時間間近となり、担任が姿を現すとチャイムが鳴り、各々自分の席に戻ろうと動く。
「スズキの顔色が悪いな。おい、お前ら二人で保健室に連れて行け」
真面目三人組は、スズキを真ん中に教室を出て行く。グスリ。スズキが涙を拭った姿が見えたけど、泣くくらいなら学校来るなよ。
「あー、少し聞こえたが、嘘告って言うのか? 今学校で、そういうのが流行っているのか? 恋愛の情を利用するなんて、よくない遊びが流行ってんだな」
それを聞き、あたしの心は不機嫌になり足と腕を組む。よくないってなによ。遊びは遊び、冗談じゃん。
「でもなあ……。嘘告って遊びがあるなら、嘘発言遊びってのもあるんだろうなあ。例えば、友だちだよ。とか、友だちのふり遊びとか。自分はあんたの味方だよ。とか、味方のふり遊びとか。疑えば、きりがないよなあ」
その言葉にハッとし、なんとなく、いつも一緒にいる面子を見る。
あたしだけじゃない。クラスのほぼ全員が、チラチラと様々な人を見ている。
担任はとんだ芽をあたしらに植えつけた。疑うという芽だ。
確かに誰かがいない時、そいつの悪口で盛り上がることがある。でもそれって、あたしがいない時、あたしの悪口で盛り上がっている可能性もあるってこと。本当にあいつら、あたしの悪口言ってない?
あたしらは同じグループで仲良しだけど、さっきの新作マスカラはどう? 後で誰かがアイツのいない時に、どうせまたいつもの見せびらかしだと言い、皆でグチるはず。でもどんなに仲がよくても、イラつく時くらいあるじゃない。なんでも受け入れられる聖人君子なんて存在するわけないし。
今回の遊びだって言い出したのは他の奴だけど、告白したのはあたしだ。これって後々、あたしだけが悪者にされない?
他のグループもそうだ。誰かがいない時に、その誰かについて不満とか話している。よほどの信頼か、おめでたい頭でないかぎり、植えつけられた猜疑心は根から抜けない。
結局あの三人組は授業が始まっても、帰ってこなかった。
おちゃらけたタイプの奴が、他の二人のカバンも取りに昼休憩顔を覗かせたが、なにも言わずカバンだけ持って教室を出て行った。誰もアイツに声をかけないし、アイツも黙ったまま。
その様子を机をくっつけながら、ただ眺めていた。座り弁当箱を開けながら、一人が口火を切る。
「あれからずっとあの三人、保健室にいるよね。サボりじゃん」
「普段成績がいいって有利だよね。うちらがそんなことしたら、すぐサボりだって言われて怒られるのに」
「ねー」
普段と変わらない会話のはずが、どこか距離を感じる。
「あ、そうだ。あの動画、他のクラスの人らには黙っていてくれるよね?」
まだ教室に人がいる間、念をこめて大声で確認するよう質問する。
「だってさあ、遊びだったとはいえ、あんな動画があるって他のクラスの人らに知られたら、スズキも嫌だろうし。黙っていてくれるよね?」
何人かは頷くが、クラスでも真面目な部類な奴らは曖昧な笑みだったり無視したり、きちんと返事をしてくれなかった。
こんなはずじゃなかったのに。
今日はあの動画をネタに、皆で笑って楽しむ昼休憩を送るはずだったのに。担任のせいで、どこか話題にできず楽しもうとする雰囲気になれない。一部男子は笑っているけれど、その輪に入れてくれと言いにくい。
あたしらが撮った動画なのに。
明日、明後日は土日で学校が休みなのは良かったかもしれない。月曜になったら、仕切り直せばいい。そんなことを思いながら、紙パックのジュースを飲み干した。
◇◇◇◇◇
土日はいつもと違い誰からも連絡がなかったし、あたしも連絡をしなかった。なんかダルイ。
だけどこうしている間にも、あたしの知らないチャットルームが出来ていて、あたしの悪口で盛り上がっているのかもしれない。そう考えると、モヤモヤする。
「いや、ないない。あたしら仲いいもん」
頭を振り、自分の手を見る。
新色のネイル。
塗った直後は満足し、輝いて見えた。だけど今はくすんで見える。別の色に塗り替えるかと、リムーバーを手にした。
月曜日。あの三人は固まって、木曜日の朝と同じように過ごしている。
「……なんかあ、思ったよりダメージなかったみたいだね」
「まあ土日もあったしねー」
誰も上手く仕返しできなかったことに、不満を示さない。まあ、これでいいか。そんな空気になっている。
そんな中、一部の男子が動画を見せからかうと、スズキが笑う。
「しょうがないだろ。サトウさん、可愛いし。あんな風に迫られて君、平静でいられる? まあ君はモテるから、僕みたいに動揺しないかもしれないけれど。だけどあんなに可愛い子に嘘でも迫られたら、誰だって興奮するよ」
まるで当然、なんでもない態度で返している。これには毒気を抜かれたのか、自分たちで話しかけておきながら、そそくさとスズキから離れた。
可愛いと言われたら、いつもは喜ぶ。だけど今は、なぜか嬉しいと思えない。
モヤモヤした気持ちのまま、紙パックのジュースを飲む。
ホームルームになると担任ではなく、別の先生がやって来た。
「担任だったイトウ先生だが、お父さんが倒れられ、急だが看病のため学校を退職された。新しい担任が決まるまでは、空いている先生たちが持ち回るのでよろしく」
イトウが?
教室がざわめく。
挨拶もなく消えたイトウ。だけど、スズキたちだけは知っていたかのよう、驚きを見せなかった。
イトウが消えて数日。教室のあちこちで、まるで確かめるように「友だちだよね?」、「友だちじゃない」というような言葉が飛び交っている。そんな質問をしないのは、スズキたち一部のグループだけだ。
「……あの動画さあ、消した方がいいかな」
「今さら消しても意味ないじゃん。うちらが流したって、皆が証言するよ」
「問題になってないから、消す必要ないと思う。あたしらがそんなことしたら、悪いことしたって認めるようなもんじゃん。あたしらはただアイツを使って、皆を笑わすつもりだっただけだし」
新しく塗ったネイルを確認しながら答えれば、一人、真顔で問いかけてきた。
「笑わすつもりって、本当に?」
「は? アンタ、なにが言いたいの?」
空気が張り詰める。
「笑わすより、チクられた仕返しだけだと思ってた」
「そう考えてたのは、あんただけでしょ。うち、そんなつもりなかったし」
「あたしも」
「うん、あたしもそう」
この瞬間、壁が出来た。
それを感じ取ったのか、壁を作られた本人が慌てる。
「だよね! それを確かめたかっただけなんだ! だってほら、あたしら友だちだし! ヘンに裏切ろうとする奴がでても嫌じゃん?」
「は? だから、裏切るとかどういう意味?」
だけど効果は逆。むしろあたしらを怒らせるものになった。
「あ……。いや、深い意味はないんだ。うん、本当」
曖昧な笑みを浮かべ、慌ててとりつくろうとするけれど、もう遅い。
壁はグループから抜けろ。いてもいいけれど、空気として扱う。そんな無言の決まりがある。こいつは、これからどうするんだろう。実質、グループが一人欠けた。
もうすぐ修学旅行も控えているのに。
楽しみだったはずなのに、こんな空気で就学旅行なんて最大イベント、なんか憂鬱。面白くない。
「おっ、イトウちゃん星5のキャラ出たって!」
「課金⁉ 課金か⁉ 大人の財布、ズルいだろ!」
「バカ、イトウ先生は今、お父さんとお母さんの介護でろくにお金が使えないって言ってただろ。空き時間、無課金で頑張って貯めた石で回したんだよ、知っているだろ」
「冗談だよ」
一人でトイレに行くことが増えた修学旅行を目前にしたある日、スズキたちの会話がドア向こうから聞こえてきた。
イトウ? スズキたち、イトウと連絡を取ってんの?
「修学旅行先、イトウ先生の実家が近くでラッキーだったよな。自由時間、会えそうだって」
は?
「あの日、イトウ先生には助けられたよ。あのまま教室に、いたくなかった。お前らもありがとうな」
「なに言ってんだよ。もともとお前は被害者じゃないか。サトウたち、見た目はいいんだけどな。人間として大事な所が欠落しているよな。話が通じない」
「クラスの女子の中にも、すぐイトウちゃんに報告してくれた奴がいるってよ」
ホームルームのチャイム前、イトウが来たのは、誰かが呼びに行ったから?
……イトウ、わざと? わざとあんなことを、ホームルームであたしらに言ったの? 猜疑心を植えつけ、クラスをめちゃくちゃにして……。それでも教師?
「本当は最後の挨拶をしたかったけれど、あんな最終日になって残念がっていたな」
「改心するかは本人たち次第と言っていたけれど……。無理だろうな」
「そうそう。イトウちゃんに会うって言ったら、自分たちも会いたいって女子から言われたんだけど」
「誰?」
スズキたちの声が遠くなっていく。
きい……。
トイレのドアを開け、遠ざかったスズキたち三人の背中を見つめる。
あの三人はイトウの言葉を聞いていない。だから互いを疑っていないし、前と変わらぬ関係を続けている。今ではクラスの大半のグループがギクシャクとしているのに。
だけどイトウに会いたいって言った女子のグループは、あたしらと違い、スズキたちのように以前と変わらない。
……羨ましくない。
羨ましくない、羨ましくなんかない!
あんな風に、冗談も通じない連中なんて羨ましくなんて……!
しばらくスズキたちの背中を見つめると、あたしは振り返り、睨むように前を見ながら反対方向へ歩き出した。