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王都の二人 


   ◇



 暗い廊下をマリヤの案内で進む。父の経営するカフェの給仕をする傍ら、遂に動けなくなった祖父の世話もするマリヤであるが、仕事熱心な訳でも献身的な訳でもなく、ただ、偶にカフェ奥のサロンを訪れる思い人を漫然と待っているだけであった。それが分かっているだけに、カインの足は遠のいていた。


「待っていたんですよ。なかなか来て下さらないから、気落ちして弱ってしまったんじゃないかしら」


 祖父の言を装って自らの恨みを吐露しながらも、媚びを含ませた目で見上げてくる。マリヤの粘着質な視線を遮るように、カインはフェリックスを間に挟んで歩いた。

 この子爵家令息もまた、かつてはマリヤの思い人であったのだが、家格や容姿、或いはチェスの腕前や女癖を天秤にかけられた結果、カインに劣ると判断されて、勝手に見限られていた。


「こちらです。おじいちゃん、カイン様とフェリックス様がお見舞いにいらしてくださったわよ」


 部屋に通され、ベッドに横たわる老人の傍らに歩み寄る。ゆっくりと開けた瞼から出てきたのは光を映さない白濁した目であった。老人は、苦しそうにゼロゼロと喉から音をさせながらも微かに笑い、手を差し出した。


「来たな。最期に会えて良かった……」


 しかし、それに応える者は無く、震える手は誰にも取られないまま空を掻いてはたと力無く布団の上に落ちた。


「あたしは店に戻ってますね」


 老人への配慮はひとつ。孫娘がドアを閉めるのを待って話を始めることだけだ。


「本当に良かった。亡くなる前に問い質せます」

「二人一緒ということは、たどりついたのじゃな」

「昔から不思議でした。サロンでもカフェでも、出される水にはハーブが入っているのに、なぜオーナーのあなたはいつもただの水を飲んでいるのか。綺麗な水、とは、香との相乗効果で精神面に作用することのないただの水、という意味だったんですね」

「そこまで知ったか。……仕方なかろう。社会は新しい女神像を欲しておるのだよ。儂はそれを具現化する手伝いをしてやったに過ぎん」

「自分の主張を認めず排除した社会を見返してやるために、サリーを唆して、求められていない理想をでっち上げた。の、間違いでしょう?」


 老人の顔に張り付いていた笑顔の最後の砦、まだなんとか上がっていた口角が下がる。表情を失くした老人の荒い息遣いだけが部屋に響いていた。


「オーナー。あなたが全ての黒幕だ」


 言い切ったカインの後ろから、フェリックスが虚ろな目で老人を見つめる。フォーサイス邸からずっと大人しく付いて来たフェリックスであったが、表情も言葉も失ったままだ。そんな様子をちらりと振り返って確認し、続ける。


「オーナーの著書で禁書扱いになっている『女性の社会論』の中に、女性の社会進出を阻む、また、女性の社会進出を促すきっかけとなり得る状況などの例が列挙されていますね。この本が禁書とされる直接的な要因となったのは、戦争の推奨。男性の数を減らしての強制的な女性の意識改革をやたらと推しているから。……そして、それを実際に検証しようと企画したからですね」

「ようく分かったなぁ、カイン坊や。賢い、賢い」


 幼子に対するような言い方で、自分の上位を主張してくる。老人の狡猾さに苛立つ。


「サリーは彼女が幼い頃からあなたを慕う、あなたの一番弟子でしょう? なぜ……」

「おやおや、カイン坊やも女性を蔑視する傲慢な男なのかい? サリーは唆されたりしない。幼い頃から、あの子は自意識が強くてな。自分が他人の目にどう映っているかを気にして気にして、卑屈になって、身動きがとれんようになっておってな。競争相手のいない、まだ誰も進んでいない道を開拓して、自分が第一人者になってはどうかと提案してみただけ。後のことはあの子が自分で選び取った。そうじゃ、あの子は、我が道を選び、女性でも自分の道を選べるのだと示したのじゃよ」

「詭弁です」


 挑発からの、論理のすり替え。まともに取り合うのも馬鹿馬鹿しいと一蹴し、畳み掛ける。


「サリーを女王にするためにこのサロンはあり、サリーが不満を募らせるよう亭主関白なフォーサイス子爵に嫁ぐよう手引きし、サロンでは女王としての地位を保つために他者を陥れた。それから、クラウディアがサロンを訪れた時、サリーの劣等感も煽った。似たような主張に誰の手引きもなく自らでたどり着き、女性らしい思考の柔軟性や外見の美しさも備え、若く、王家からの縁談もくる家格と、そこに甘んじない社会性と男を投げ飛ばす勇ましさまでも持つクラウディアがサリーのテリトリーで男達の注目を集めたのだから。自意識過剰なサリーの目には脅威と映ったはず。懐柔するのは容易かったでしょうね。……クラウディアが何かを成すより早く、クラウディアより大きな変革を、と、急かしましたね」

「カイン坊やはあのお嬢さんに恋しておるからのう。好いた相手を手に掛けたサリーを許せないのも仕方がないが……」

「なぜ、手に掛けたと知っているのです?」

「それは……」

「クラウディアという餌に素直に食いつき嫉妬心にかられたサリーを、あなた()()()()過剰な自意識を宥めるために…… あなたが著した女性論という妄言を証明し、事実であるようにでっち上げるために体現させようとした。誰よりも自意識過剰で自尊心が高く、他人に自分を認めさせたかったのは、あなただ」

「儂は、女性の社会的地位の低さを憂いて……」

「女性の社会的地位を高めたい、ですか? 馬鹿な嘘を。本気でそう思っているなら、サリーを利用し、クラウディアを利用し、実孫のマリヤが()()である理由をどう説明します?」


 そこまで言って、ひとつ息をつく。


「マリヤは、『女性の甘え』を煮詰めたような人だ。あなたが著書で記し、サリーが絶やすべき敵として見下す種類の女性。しかしそれが、現在の社会に馴染み、顕在している、当たり前の女性の姿であり、()()()存在であるという事実を、あなたは理解し受け入れ、可愛い孫娘はそこに甘んじさせている」


 関係の無い他人を悪く言いたくはなかった。ここまで言わせるのか、と、目の前の老人に腹が立つ。


「あれは、あの子の本質なのじゃから。それもまた仕方のないこと」


 老人の声は既に掠れている。呼吸が苦しそうに乱れる。


「フォーサイス子爵は殺されました。サリーは死罪を免れないでしょう。……あとは、フェリックスと話してください」


 ベッドから離れ、後ろに立つフェリックスと入れ替わる。


「オーナー…… あなたを恨みます。愛する継母を傀儡にされたこと、その忌まわしい事態のために僕を働かせたこと、そしてアリシアまでも……」


 ベッドに近付くことなく淡々と話すフェリックスの言葉は、老人には届いていないようであった。


「カイン。個人的な恨み言で恥ずかしいから、二人にしてくれる?」


 そう言ったフェリックスの瞳に普段通りの光が戻っているのを確認したカインは、ひとつ頷いてその場を離れ、廊下に出た。




 カインが部屋を出てドアが閉まると、フェリックスはベッドの縁にそっと腰掛けた。そうして、老人の耳元に顔を近付け、囁く。


「聞こえてるんでしょう? おじいちゃん、目は濁ってるけど、耳はやたらと良かったもんね」

「ああ、聞こえているよ」

「やっぱりね。狸寝入り?」

「そうでもない。もう長くはない。が、まだ死なない」

「そう、良かった」


 それは、長年の付き合いから実の祖父と孫のような優しい語らいであった。しかし、


 ぷつっ


 老人の腕にぞくりとする痛みが走る。慌てて腕を動かすと、手首のあたりに何か邪魔な物が刺さっていると感じる。


「なんじゃ?」


 次の瞬間、何かが押し込まれるような感覚、そして、引き抜かれる。


「何を……」


 老人の口から、その先の言葉は出なかった。出るのは、苦しそうな喘ぎと、ゼロゼロと鳴る喉の音のみ。


「注射って言うんだって。留学先の国から持ってきたの。お土産。練習が必要だけど、薬を直接血管に入れられるんだよ」


 苦しむ老人の耳元でフェリックスがくすくす笑う。


「うまく息が出来ない? 大丈夫、()()()すぐ死ぬほどには酷くならないから」


 白い目玉が飛び出すほどに瞼を剥いて、喉を掻き毟る。


「実は、哺乳類ではまだ実験してないらしくて、どのくらいの量を使えばどのくらいの効果があるか、わからないんだ。だから、ちょっと多目にしておいた」


 少し息がつけるようになった様子を見下ろし、じっと観察するその目はどこまでも冷え切っているのだが、白濁した目にそれは映らない。


「もう慣れた? へえ。でも安心しないでね。次はここ、お腹。内臓が壊死するんだって。痛そうだね」


 老人は、声の出ない喉を鳴らし、尋ねるような、情けを求めるような目を声のする方へ向ける。


「許すわけないでしょう? これはアリシアが作った最凶の毒。最悪に苦しくて、死ぬまでに時間がかかる。作ったアリシア自身が怖がって僕に預けてきたんだ。まさか僕が使うとは思わなかっただろうね」


 フェリックスは身体を起こし、悠然と見下ろした。痛みからか、言葉を失くし涙を流す哀れな老人の姿に、心底から笑みが漏れる。


「おじいちゃん、その痛みはもっと酷くなって、死ぬまで続くよ。早く死ねると良いね」


 絶望の淵に沈んでいく老人を、フェリックスは満足するまで眺め続けた。




 

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