悪役令嬢は隣国の王を籠絡する【3】
目の前にいるのは、まだ幼さの残る十代の女性であり、深窓の令嬢である。しかしその瞳に宿る慈しみは決して浅はかな情に流されただけのものでない。若い時を過ぎた者の持つ、悲哀と達観を内に秘めた冷ややかな熱っぽさがあった。
ローランドはその違和感に、訝しみ、首をひねりながらも、クラウディアから目が離せない。
「これをアン王女の名で書き残すのは、政治的な理由で憚られたのでしょう。ラインベルグの国民はきっと、アン王女に肩入れしている分だけ彼女に同情し過ぎて、リンドブルムを憎んでしまう。それはアン王女が最も懸念していた部分。でも、別名義で、たんなる創作物、主に女性の目にしか触れない軽い読み物としてなら安全に書いて残せる。もしかしたら、いつか、離れて暮らす息子にも届くかもしれないと淡い期待を持って書いたのだと思うのです」
机の上に置かれた三冊の書籍を、ずいと手で押してローランドへ差し出す。
「例え本人でなかったとしても、この小説はアン王女と同じ国に生まれ、同じ文化の中で生きる貴族女性たちに読まれ、『アン王女はこのような思いであったろう』と共感と支持を得た。そういうものです。私はラインベルグの女として、この手紙をフィリップ様に届けに参りました」
「これは…… 私も読んで良いものだろうか」
リンドブルムに不都合の無い内容であるかを確認したかったのだが、思わず許可を請うたのは、「手紙」という言葉に反応してのことだった。出版され、世に出て公に読まれたものだというのに、ローランドはこれが弟フィリップの為に書かれた私的な文書のように思えて、部外者の自分が弟より先に、弟の許可無く読むのは気が引けた。
そして、クラウディアの返答は、
「これを読めば、リンドブルムでアン王女が抱え込んでしまったものが見えるでしょう。つまりは文化の違いということですが。しかし、第一王子を殺されかけたリンドブルムの国民からすれば、罪人の言い訳でしかないかもしれない。とくに、陛下は当事者ですので…… 読むのは、フィリップ様だけであった方が良いかも知れません」
「そうか。……そうだな。これはこのままフィリップに渡そう」
リンドブルムに対する恨みがしたためられているかもしれない、と案ずる思いもあったが、クラウディアが「文化の違い」の一言で落としてしまった。これでは、受け入れねば狭量というものだ。
「こういった理由ですのでラインベルグの女性方、つまり世論は片が付きました。残る問題は、男性方つまり政治的な落とし所についてですが、こちらは感傷的な方向での解決は望めません。リンドブルムに多少の犠牲を払っていただかねばなりません」
「先程言い掛けていたことだな。何か提案があるのだろう?」
「あちらが望むのは、国境の森の明け渡し。国境線を森のこちら側に、正式に定めることです」
ラインベルグの使者が、ラインベルグをあちら、リンドブルムをこちらと言い切る。
議題が移り、二国の代表者は一つの問題に共に対峙する仲間となっていた。この部屋に入った時には存在した敵対の関係が崩されたことに、ローランドは気付いていない。
「それは……!」
「ええ。そんなこと、できません。リンドブルムの武器庫と呼ばれる町は、あの森とは目と鼻の先の距離。森に軍を潜ませて一気に攻め入られ、武器庫を押さえられては、争う前に勝敗が決してしまう」
交流の無い他国の地理に詳しい事情も、もはや気にはならない。
「その通りだ。しかし、ラインベルグの懸念もそこにあるのはわかる。武器庫の近くに森があるからこそ、戦争を企てているのではと危ぶんでいるのであろう」
「ええ」
「無論、そうではない。リンドブルムの敵は他にある。そちらに対する備えが必要なのだ」
「そうですね。隣接するのはラインベルグだけでない。より不穏な動きを取る『北』に備えるのは必要です。だからこそ、ラインベルグとは親交をとのお考えでしたのでしょう? しかし、森を手放すことはできない」
北の隣国との関係性も知っている。ローランドの中ではクラウディアとの語らいは、既に国の参謀とのそれのように思えていた。
「一つ、策があります」
勿体ぶった物言いに、思わず前のめりになる。
「あんな所に森があるのがいけないのですわ。焼いてしまいましょう」
何でもないといった様子で言い切られ、呆気にとられる。
「更地にして、真ん中に真っ直ぐ線を引いて国境にしてしまえば良いのですわ。そして、友好の証として、国境線のあちら側とこちら側とで交易に特化した関所の町を作りましょう。『ここに来ればリンドブルムの、ラインベルグの、特産品が買える!』という町です。国境を守るための防衛費もケチれますし、交易がスムーズに始められます」
「いや、ちょっと、ちょっと待て。……焼き払う? それこそ戦争案件となろう。お互いが自国の領土と主張している土地だ。勝手なことはできぬし、話し合いで決するには時間が必要……」
「ええ。お互いの歴史や主張やプライドがありますから、話し合いでは決まらないでしょうね。だからこそ、今すべきなのです」
言われて気付く。全くその通りだ。クラウディアの言葉は、この場ではラインベルグ王の言葉なのである。
「ラインベルグ国王は愚かな小娘のせいで森を焼かれただけ。陛下は愚かな小娘の提案に乗っただけ。どちらにも落ち度はありません。責めを負うべきは私。政治的地位も無い、今後結婚でもしてしまえば表に出ることもない小娘。ラインベルグ国王が私のような者を派遣したのには、意味があるということですわ」
自らの進退に関わる悪いものを話すにはそぐわない令嬢の涼やかな笑顔に、背筋が凍る。
「私をご利用なさいませ」
ローランドは素直に白旗を上げた。