悪役令嬢は隣国の王を籠絡する【1】
リンドブルム王ローランド・ロイドにとって、国を股に掛けて商い行う商人こそが国交を断絶している隣国の情報を得る殆ど唯一の手段であった。とくに、ラインベルグ国の王都に大きく宝飾品の店を構えるマルクス・ウェーバーは、このところ関係が複雑化しているラインベルグ国の生きた情報を届けてくれるので大変重宝していた。
複雑化した原因、隣国の政治に密かに介入し攻め入る算段をつけていたらしい弟を、ローランドは捕らえられずにいた。正直、弟を持て余していないわけではない。しかし、不遇な人なのである。
母があり、母が国内の有力貴族であったために後ろ盾があり、何より跡目を継ぐと約束された第一子という立場のあったローランドは、一つ下の弟に申し訳ない気持ちがあった。それは幼い頃に刷り込まれた感情であったが、事実、隣国の王女という高い地位の母を持ちながら、母と引き離され、後ろ盾も無く、兄が死なない限り跡目も継げない弟である。付き人も無く一人で庭を歩く姿などを見かけるたび、「なぜ父は弟を母親と一緒に行かせず、この国に残したのだろう」と訝しんだ。後にそれは、リンドブルムの王位継承権を持つ王子を隣国に渡すと後の火種になりかねないという懸念からであったと理解はしたが、しかしそれでも、国交を断絶する羽目になったことを考えると弟を返さない選択が正確だったとは思えなかった。なにより、弟はリンドブルム城にあって、一時たりとも幸福そうでなかった。それを思うと、後ろめたかった。
決定的な証拠も無いのに捕らえて尋問するわけにはいかない。隣国に要請されても引き渡すわけにはいかない。今こそ弟を守り、幼い頃から強いた酷な人生の償いをしなくてはいけないのだ。
後ろめたさは隣国に対してもあった。王女の子を強引に引き取っただけでも、国交を断たれるに足る。先代の王の所行ではあるが、断たれたものを再び結ぶには頭を垂れて平謝る覚悟があった。多少の犠牲は払う覚悟があった。
しかしそれも、弟のしでかしたことが発覚するまでである。一旦こうなってしまうと、最早下手には出られない。弟を引き渡せと言われたら、要求を受け入れず突っぱねるしかないのだ。
(余計なことをしてくれたものだ……)
そうは思いながらも、見放せない。思案に暮れるローランドのもとに、件の貿易商マルクス・ウェーバーの船が港に入ったとの報告が入った。今はどんな情報でも良い、隣国の動向が知りたい。城に参じるよう伝えを出そうとすると、それより先にマルクスが謁見を申し込んでいると伝えられた。
「ラインベルグ国からの勅使を連れている、とのことでございます」
驚き以上に、来るときが来た、と肝が据わった。ローランドは俯き、溜め息を一つ吐いて、顔を上げた。
◇
正式な謁見の場に現れた人物を、居合わせた皆が呆気に取られてぽかんと、或いは、うっとりと眺めていた。
「ラインベルグ王より勅旨を賜って参りました。こちらの名刺をお控えください」
隣で礼を取るマルクスの一歩前に立つのは、問題が山積した間柄の敵国への勅使というには不釣り合いな、茶会にでも呼ばれて来たような、輝くような身なりと所作をした妙齢の令嬢であった。
国の今後を左右するの訪問者を重々しく待ち構えていたローランドもまた、ラインベルグ国王の意図が掴めず言葉を失っていた。が、受け取った紙片に視線を落とし、そこにある名を見て理解した。
『ギョー公爵子女 クラウディア』
他にも細々とした肩書きがびっしりと連ねてあるが、その名だけで十分であった上に、裏にはラインベルグ国王直筆の署名、王印と共に「この者の言葉は我が言葉である」とあった。
今一度、使者殿へ視線を戻す。
この国を訪れる貿易商達の多くが口にする名。ラインベルグとの交易を行うということは、「海王」ギョー公爵と交易を行うということだ。そして、その子女クラウディアは、実際に会った人物に言わせれば、「高そうな令嬢」なのだという。その言葉を思い出して、改めて目の前の娘を見る。
くすみの無い陶器のような白い肌、真珠の髪飾りで結い上げられた白金の髪、もの言いたげに開きかけた薔薇の蕾のような唇、ドレスには稀少であるはずの真珠がこれでもかと縫い付けられ、磨き上げられた大粒の宝石のような瞳は、臆することなく正面から敵国の王を見据えている。
クラウディアの斜め後ろに控えるマルクスに尋ねるよう視線を投げると、顔を上げずに頷いて返される。マルクスもまた、この令嬢を高そうと評した商人の一人だった。
これを「高そう」とは如何にも商人らしい感想だと、苦笑いするしかなかった。
「そなたを寄越すとは、ラインベルグ王は本気のようだな」
肯定の意味であろう、無言で目元を綻ばした令嬢の次の一言に、場が凍りついた。
「恐れながら、お人払いを願います」