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悪役令嬢は罪人を籠絡する

 

   ◇



 数日前、クリスが毒を盛られた直後に話は戻る。


 焼けるような身体の痛みが治まると、クリスは寝転がったまま、自分の身に何が起きたのか思い出し、整理した。ギョー邸でクラウディアと話していた。アンジェリカを動かし、国家転覆を成すための人材を集めていたのが「ルーク」なる人物であること、ルークがサリー・フォーサイスであることなどを聞かされた。紅茶を飲んだ。ふと、入れた砂糖の量に対して甘さが薄過ぎると気付いたときには、既に身体に変調をきたしていた。倒れた時の様子から、すぐに毒だと察したクラウディアは必死に吐かせてくれた。部屋にいた侍女はおろおろしていたように思うが、定かでない。


(どのくらい寝ていた? クラウディアは?)


 起き上がって、人を呼ぶ。幸い、寝ていたのは数時間だったが、既に嫌疑をかけられたクラウディアが捕らえられて地下牢に入れられたと聞かされた。王に事情を話しに行かなければとも思ったが、その前にクラウディアの様子だけでも確認しておきたかった。酷い仕打ちを受けていたらと想像すると、ただでさえ毒のせいで重い身体が、縫いつけられたように動かなくなった。

 それでもなんとか立ち上がり、止めようとする者たちを睨みつけ、城の奥深く、暗い石の階段を降りていく。五つある独房の最深部にはビューラーがいる。手前四つの内のどれかにクラウディアは閉じ込められているはずだ。可哀想にも、暗く冷たい石の床の上に。

 クリスは、クラウディアに対する申し訳なさと、守れなかった不甲斐なさとで歯噛みしながら、たどり着いた地下牢へのドアを開く。


(牢屋番はどこだ?)


 ドアを開ければすぐにいるはずの牢屋番がいない。訝しく思いながら通路の奥に目をやると、奥から二つ目の独房の前で誰かが座り込んで、中の相手と話していた。足音を立てずに忍び寄り、聞き耳を立てる。


「それは、奥様も怒るに決まってるわ!」

「だってよお、お貴族様同士のちゃらちゃらふわふわした恋愛話なんてよお。折角、字を教えてやろうってのに、読みたいのがそれってなあ……」

「あのねぇ。恋愛がテーマの小説だからって馬鹿にしないで。それに、自分の楽しみを目的に学習するって、悪いことじゃないはずよ。楽しむために頑張ってなにが悪いの? 学習に誰もが崇高な目標を掲げる必要なんか無い。そんなことは、それこそ、お貴族様がすれば良いんだわ」


 牢屋番が驚いたように絶句してクラウディアを見つめる。


「民は臣のために、臣は王のために、王は民のためにあるのだから、王の権限でもっと民が楽しめる施設を作るなり学習を促すなりしても良いはずよね」


 無責任なことを言っているのだが、一理あるようにも思え、襟を正されるクリスである。


「まぁ、あなたの言うこともわかる。既存の恋愛小説っていうのは、貴族の豪奢な生活や、高貴で見目麗しい男性との恋愛を疑似体験するようなものが多いわけで、そのリアリティの無さ、夢物語感が、『女性小説』とか言われて蔑まれてるのは事実よね。女性という単語を『拙い』『幼い』『足りない』みたいな意味で使われるのを許している代表例と思うと腹立たしいわ。確かに、もっと現実的な視点、例えば平民の女性の自由な恋愛や穏やかな愛情をしみじみと実感させてくれるような恋愛小説を女性が書いても良いわよね」


 お淑やかなはずの令嬢に一息でそこまで畳みかけられ、牢屋番が呆気に取られる。


「あんまり小難しい話はわからねえですけど。そんな地味なもん、誰が読むんです?」

「知識層の男性を唸らせたい。けど、恋愛小説でそれは難しいかしら。どうも、男性と女性とではロマンを感じる部分が違うようだって、最近気付いたの」

「なんかあったんですかい?」


 牢屋番がニヤニヤと笑う。しかしそこにいやらしさは無く、ただ、この一風変わった令嬢を面白がっている様子が伺える。


「私のことは良いの」

「私はそちらの番人殿に一票入れさせてもらうよ。恋愛小説というのは、読み手をうっとりさせねば本末転倒なのではないかね? 平民の粗末な生活や恋に憧れますかな?」


 ひとつ奥の独房で聞いていたビューラーまでもが、隣の房に身を寄せて会話にまざってくる。


「裕福な商人や農場主の娘と若い美男の実業家ならどうですかい?」

「それじゃぁ、貴族の恋を描くのと変わらないわ。もっとこう…… 貧しい町娘と、時々来る行商の息子の甘酸っぱい初恋をリアルな心理描写と情景描写で描いたり」

「普通すぎねえか?」

「ううむ。……男性を唸らせたいのであれば、恋愛じゃない小説の方が良いのではないですかな」

「まあね。でもそこは、恋愛小説でねじ伏せて、ぎゃふんと言わせたいじゃない? ストーリーじゃなく文章力で、平民女性が文壇に殴り込むの!」

「平民女子の必要はありますかな?」

「あるわ。貴族の女性が書いたんじゃリアリティに欠けるもの。今現在恋愛小説を書いているのは、ほぼ、貴族の女性。その中でも、夫に先立たれたとか離縁されたとかで後家になっている人。読んでいるのは、貴族の女性と、娘を学校にいかせられるくらい裕福な平民。でもここは、裕福じゃない平民女子に書いてもらいたいの。もっと野性的という意味で洗練されていない、素朴で、切なさで魂を揺さぶられるようなものが読みたいのよ。私は」

「私は、ね。本音がでましたな。では、平民女性の識字率を上げなくてはなりませんね」

「そうなんです。女性がより楽しめるコンテンツを増やすためには、女性に社会進出してもらって、自分たちが良いと思うとものや楽しめるものをどんどん創造して、輝いてもらわなくてはいけないと思うのです」

「ははは、サリーがあなたを疎んじるわけが分かった。……合わないんですな」

「サリーさんは、男性の数を減らして、『男性に代わる働き手』として強制的に女性を社会進出させようという考えですものね」

「おや、そこまで知っておいでか」

「ええ。サリーさんの政治理念や理想などは直接聞きましたから。国家を転覆させようなんて、そこまで思っていないのでしょ? はっきりとそうは言いませんが、戦争を起こすこと…… 戦争に男性を駆り出して、戦死させることが、目的なのでしょ?」

「ははは。本当に知っているのか。では、そもそも、あれがなぜそのような考えに取り付かれたのかもご存知かな?」

「守られる幸福を無意識的に甘受する女性達に『ノー』を突きつけるためかと……」

「それだけではない。あれは復讐だ」

「どういうことです?」

「今捕まっている連中に聞いてみればわかる。サリーと付き合いがあったという男は何人もいるはず。しかし、皆、他の女を選んで結婚したり、或いは、もっと他の…… 例えば…… 幼い少女を愛でる趣味を優先させたりで、サリーを選ばなかったわけだ。その、自分を選ばなかった男たちの粛清と、選ばれた女たちへのいやがらせ。戦場に立つのは男、……というより誰かの夫だ。惨めな過去を清算すると共に、女達から夫の庇護を奪い、夫の助け無しで強く生きる女性の第一人者になろうというわけだよ」

「あら、私怨ですのね。ところで、そんなこと話して大丈夫なのですか?」

「今日は久しぶりに笑わせてもらいましたからな。……牢の中から身の潔白を証明する令嬢など、あなたの他におりませんよ」

「途中からちょっと楽しくなってしまって。演技がかってたかしら?」

「謎は全て解けた!……ってやつは、俺もゾクゾクしたっけな」

「あれは、パロディなの。言ってから恥ずかしくなっちゃったわ」

「シュガーポットの中で砂糖と混じらないように一杯分だけ毒を仕込む方法など、よく知っていましたね」

「昔ね、よくそれで悪戯したの。私がやったのは、毒の粉の代わりに砂糖、砂糖の代わりに塩だったけれどね」

「本当にそんなにうまくいくんですかい?」

「いくわよ。やってみて。空のシュガーポットに砂糖をのせたスプーンを置いて、その砂糖が崩れないようにポットの中を塩で満たすのよ。最初の一杯はスプーンにのった砂糖がそのまま掬えるから、必ず自分が最初に砂糖を使ってね。残りの砂糖を使った人は皆、塩入り紅茶に顔をしかめるはずよ。普段澄ました紳士淑女の崩れる様が、楽しいんだから!」

「性悪お嬢だな……」

「勿論、今はやりませんわ。子供の頃の話です」

「はっはっはっ。そろそろ嫌疑も晴れて迎えがくるのではないですかな? いや、楽しい隣人でした」


 冤罪の令嬢、政治犯、牢屋番の三人が和気あいあいと談笑する様子に、クリスはひたすら呆気に取られていたが、どうやら大丈夫そうだと頷く。

 自分が取引を持ちかけても頑なに口を閉ざしていたビューラーが流れるように喋るのには無力感で愕然としたが、いっそ暫く放っておいた方が情報を引き出してくれそうだと判断し、そっとその場を離れた。





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