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逃亡者


 街道から逸れた道なき道を疾走する一頭の馬。その背には、小柄なアリシアと、それを覆うように後ろから手綱を握るラルフが乗っていた。


 アリシアは混乱していた。我が身に降りかかったことを、半ば理解しながらも受け入れられなかった。

 言われた通りアンジェリカを見張り、言われた通りアンジェリカを脅し、言われた通りアンジェリカに毒を売った。


「よくやったわね。大好きよ。あなたが一番可愛い、いい子だわ」


 そう言って、継母は頭を撫でてくれたではないか。子供の頃から、ずっと欲しかったもの。母親から与えられる甘い賛辞と肯定。手の温もり。目障りな兄がいなくなって、漸くそれを得られたと思ったのに。


(裏切られた? いや、迎えに来ることができなかっただけかもしれない。私を連れていけなくなって、心配しているかもしれない。それか、不安になっているかも……)


 それは違う、と理性が否定する。母はきっと最初から、アリシアが不要になれば切り捨てるつもりだったのだ。

 認めたくない事実だが、気付いてしまうと無視できない。アリシアは振り落とされないよう必死で鞍を掴みながら泣いた。


「打ちひしがれてるところ悪いんだけど、……見えたよ」


 後ろからラルフに耳元で囁かれ、顔を上げ前方に目を向ける。街道と合流しているあたりに、一台の見覚えのある馬車が見えた。それが、こちらとは別方向に街道を逸れて行く。


「うち、の、馬車……」

「知ってる。舌噛むから喋るな」


 素直に従ったのは、ぐんと速度が増したからだ。馬に乗り慣れていないアリシアが投げ出される恐怖を感じるスピードでぐんぐんと馬車に近付き、あっという間に併走していた。ちらりと目を向けた馬車の窓の中に、澄ました継母の横顔が見えた気がする。

 街道から外れると道は悪くなる。車輪のある馬車では、馬をまくことはできないと分かっているはずなのに止まらない。いつまで併走を続けるのかと焦れた頃、前方に黒い森が現れ、途端に馬車が速度を落とす。馬車などで入れる道の無い、国境の森である。

 ゆるゆると森に近付き、寸前で馬車が止まると、それに合わせたようにラルフも馬を制止させる。一拍置いて馬車の戸が開き、中からサリーが降りてくる。


「アリシア!」

「お継母さま……」


 両手を広げて待ち受けるサリーの姿、その心配そうな顔に、アリシアはさっきまでの涙も忘れ、縋りつこうと馬を降りようとした。


「おい」


 諫めようと言うのか、アリシアの肩を掴んだラルフを睨み、叩いて肩の手を避けさせる。


「触らないで」


 馬から降り、同じく馬から降りたラルフを半分振り返って睨みつけながら、継母のもとへゆっくり歩いていく。


「アリシア! 良かった!」


 目的地にたどり着き、継母の腕に引き寄せられ抱き締められる。胸の奥からじんわりと温かいものが染み出し、頭に霧がかかる。気がつけば、自分も継母の背中に腕を回し、泣きながら抱き締め返していた。


「良かった。あなたを残して行かなくてはいけなくて。心配していたの」


 そう言って自らも涙声になる継母にしがみついていると、先程ラルフの手を振り払ったはずの肩をもう一度、今度は強く後ろから掴まれ、ぐいと引っ張られて強引に母の身体から剥がされる。そのまま、反動で地面に投げ出され、したたかに尻を打った。


「痛たたた…… なにす……!」


 無様に尻餅をついたまま、抗議の悪態をつこうと視線を上げる。自分を守るように眼前に立つラルフの後ろ姿と、それと対峙する、ナイフを持つ継母の姿が映った。その切っ先から、新鮮そうな赤い液体が滴る。


(血? 誰の?)


 そう呟こうとして、鋭い首の痛みに気付いた。まさかと思いながらそっとその箇所をなぞった指が、ぬるりとしたものに触れる。目視で確認せずとも事態は飲み込めたが、心が追い付かない。


「信じられないね。部下を手にかけるとか」

「そこは、『娘』って言うところじゃない?」

「娘なんて思ってもいないんだろう?」


 ラルフの言葉にサリーは口を噤む。否定、しない。


「始末せずに置いていくのは、心配だよねぇ。何を喋られるか分からないもんねぇ」

「アリシアは喋らないわ。そうよね? 私の可愛いお嬢さん。黙っていたら、きっと迎えに来るわ」


 涙がぽろぽろとこぼれる。目の前が曇って見えない。この継母は、いつもアリシアの心を掴み、揺さぶる。


「……お継母さん。わたしを殺すの?」

「そんなことするわけないでしょう。一緒に行きましょう? でも、もう馬車は棄てなくちゃいけないの。ここからは歩いて森の中を進むのよ。危険でしょう? 口を閉ざして待っていなさい。準備が整ったら迎えに来るわ」

「どこで待ってろって言うの? お父さんを殺したんでしょう!?」


 絶叫するアリシアを前に、ナイフを持つサリーの手がぴくりと動く。それが知られているのは予想外だったのか、動揺が見て取れた。


「あら、もうバレてるのね。どうりで、随分タイミング良く追っ手が来たと思った」


 馬車に張り付いていた御者が「サリー様!」と一声残し、森の中に消える。サリーは声の主に答えるように頷くと、ナイフを構えたまま後ずさる。


「まだ逃げられると思ってる?」


 ラルフの問いに不敵な笑みで答える。


「悪いけど、詰んでるのはあなたの方。今のは隣国の諜報員よ。森の中に迎えが潜んでる。私は行くわ」


 その言葉通り、森の中で大勢の人間が蠢く気配と足音が近付いてくる。


「またね、アリシア」


 既にナイフを下ろし、逃げの体勢になっていたサリーの背後から、隣国の旗を掲げた一個軍隊が姿を現した。森の中に留まる計画であったのだろう、明らかに狼狽した様子のサリーが振り返る。隣国に支援者がいるのは知っていたが、軍を引っ張り出すところまできていたことに、ラルフは「うわぁ」と素直に感嘆の声を上げる。


「あなたたち、何やって……! 森からは出ない手筈よ!」


 声を荒げるサリーを無視しての進軍が、奥から掛けられる「止まれ」の声で突然止まり、一人の青年が進み出る。


「我が国の臣が、他国の軍に指示を出すか。何様だ?」


 隣国の軍を率い先頭に立ったのは、ラインベルグの王太子、毒に倒れた筈のクリスであった。




 

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