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フォーサイス屋敷の惨劇【2】

 

 屋敷の外で馬が小さく嘶く。遠退く蹄の音で、隠密の青年が次の行動に出たことを知る。伝令役はきっともっと早い段階で動いただろう。

 カインは肩の荷を下ろして、自嘲気味に話すフェリックスに意識を戻した。


「実のところ、僕は、チェスなんて好きじゃないんだ。ちょっとルールを覚えたらサリーが喜んでくれたから続けていただけ。他の子供を負かすと、凄く褒めてもらえたし、母親の愛情を独占しているって感じて、チェスのできないアリシアに対しては優越感でいっぱいだったよ」


 陶酔したように目を瞑り、「でも、」と口調を一変させ、憎々しげに続ける。


「カインが現れるまでだったけどね。カインが現れてからは、弟子としての僕はもう用済み」

「悪かったな」

「いいさ。王都やサロンに顔を出すための言い訳にされてるだけだったけど、その価値に縋りつけば、まだ必要不可欠な存在でいられた。サリーは父さんの言いつけで、一人でサロンに出入りすることは禁止されていたからね。それに、カインはきっかけに過ぎなかったのかもしれない。サリーが流産した時から、僕たち前妻の子には愛情なんてかけられる可能性はなかったんだよ」


 寝耳に水の話であった。クラウディアとの話の中で、子を産む必要が無いから前妻との間に跡継ぎのいる相手に嫁いだ、子供を産まないのは自分の意志だ、と言っていたのをカインは聞いていた。


「サリーは意図的に子供を作らないのだと思っていた」

「欲しがっていたよ。『妹か弟ができたら』の仮想の話もよく聞かされた。流産するまでは、それなりに愛情を傾けてくれたんだ。ああ、当時は流産なんて知らなかったよ。ある時、サリーが部屋から出てこなくなって、しばらくして出てきたときには、僕もアリシアも視界の隅にも入れてもらえなくなっていた。何年も後になって、その時に流産したのだと知った。それからは欲しくてもできなかったようだよ。今でも考えるんだ。もし、あの時の子供が無事に生まれてさえいれば、サリーは愛情深い母親になっていて、……僕とアリシアも、おこぼれが貰えたのかなって」


 おこぼれでも良いと愛情を欲しがる幼い兄妹を想像すると哀れであった。


「まぁね、『もし』の話をしてもしようがないから、僕は僕で少しでも振り向いてもらえるよう、自分の価値を吊り上げる努力をしたわけだよ。何の話かわかる?」


 わかる? と聞かれて眉をしかめる。どこか他人事と思って聞いていた話に突然当事者であるように引き込まれ、泡を食った。


「わからないみたいだね。カインって、辛酸嘗めてるわりに、案外純真。自分が一服盛られてたって、気付いてなかったの?」

「どういうことだ?」

「サロンで出される水。ハーブが浮いていたでしょう? あれと、室内で焚いてる香の相乗効果。嗅ぐと集中力が落ちて、恐怖心が煽られるんだ。サリーと対戦していると負けるイメージしか脳裏に浮かばなかったでしょ?」


 確かにそうであった。他人を呑む空気を巧みに作ることこそ、サリーの強みだと思っていたが、それが薬効だったということか。


「それ、僕の提案。()()は、薬草栽培が盛んで他国とも取引があるから、薬関係に強いんだよね。サリーは興味無かったようだけれど、僕とアリシアは小さい頃から家庭教師にみっちり知識を詰め込まれて、薬には詳しいんだ」

「毒も?」

「アリシアの得意分野だね。僕は純粋に病気を治療する薬を調合する方が、他人に喜ばれるし重宝されるから好きだな。でも、それで足元をすくわれた。いなくなったら、僕のありがたみに気付くんじゃない? と思って家を出て留学したんだけど、サリーときたら、さっさと別の駒を見つけちゃったんだよね」

「アリシア?」

「そう。がっかり。その上、あれの毒に関する知識はサリーの役に立ったみたいでね。見下していたアリシアに、僕の場所、完全に取られちゃった」

「女性関係を清算するために外国に逃亡したんだと思っていた」

「まあ、それもあるけどね」

「お前の相手、夫のある女性ばかりだったからな」

「母親の愛情の代替だから」


 カインの言葉に、フェリックスがけらけらと笑う。「血まみれで死んでる親の死体の前で女性の話とか、悪趣味が過ぎない?」と言いながらも、父親の顔を見てまた笑った。


「しょうがないよね。この人が元凶だから。女性を家庭に縛り付けて、夫は仕事してれば良いって考えでさ、子供に笑いかけもしなかった人だよ。僕、この人とした会話、全部覚えてる。一往復を二回しただけだから。……ほんっと、最悪」


 吐き捨てるように言いながらも、父を見つめる瞳には、愛情によく似た湿った熱がこもっていた。


「奔放なサリーとは相性悪そうだ」

「そうだよね。恋愛結婚じゃないんだよ。いつまでも独り身でいるサリーをどうにか嫁がせたかった前ハスラー侯爵が、乳飲み子を残して妻に先立たれたこの人に無理矢理嫁がせたんだってさ」

「サリーに聞いたのか?」

「サリーは言うわけないよ。プライド高いからね。これは、サロンのオーナーに聞いた話。あの爺さん、サリーの師匠だし、娘時代から可愛がってるからさ。何でも知ってるんだよ」


 また嘘か、と、カインが独り言ちる。結婚相手を自分で選び取ったように言っていた。それも事実でなかったのだ。


「しかし、案外、離れてみると諦めもつくものだね。いや、どうだろう。こうしてここにいるくらいだから、まだ何か親に期待していたのかな」

「フェリックスは、どうしてここに来たんだ?」

「ああ、それは……」


 フェリックスの話によると、サリーは、「取引のある隣国の商家からの誘いで夫婦で半月ほど旅行に出るから」と、最低限の人員だけ残して、屋敷で働く者たち皆に旅行の前日から有給の休暇を与えた。しかしそれはフェリックスの知るところではなく、屋敷で一番古株の侍女が、王都に嫁いでいる娘を訪ねるついでに、改めて礼を言いに土産を携えてフェリックスたちの住むフォーサイス家の別邸へ顔を出したことで発覚した。

 アリシアは特別な意味を感じないようであったが、「仕事人間の父が半月も旅行?」とこれまで一度もなかった事態に引っかかりを感じたフェリックスは一路フォーサイス領を目指し、この惨状を目の当たりにしたと言う。


「そう、質問に答えなくちゃね。サリーは行ったよ」

「そうか」

「はあ、困ったな。これからどうしよう……」


 話すだけ話して落ち着きを取り戻したのか、ただ父親だけを映していた薄暗い瞳に光が宿る。ひとつ、伸びをして窓の外に目を向け、正気で途方に暮れるフェリックスに、カインが手を差し出す。


「そうだな。ひとつ、用ができた。王都へ戻ろう」


 これまでの話を聞いて漸く、クラウディアの言っていた「線は見えた」の意味が分かり、線でつながれる点が見えた。そして、点の先にあるものも……


 考えて、ふと気付く。


「あの方に近付いたのは、私の思い人だからだよな?」

「クラウディア? ……それだけでもないけど」


 ここまでさらさらと喋っておいて今更言い淀むフェリックスに、嫌な予感がする。


「サリーが殺したがっているのがどんな女性か、気になって」


 血の気が引く。命を狙われていたのは王太子のクリスでなく、クラウディアであったのだ。


 もしこのままサリーに逃げられでもしたら……

 もしクリスが命を落とすようなのことがあったら……


 カインの脳裏には、断頭台に上るクラウディアの姿が浮かんでいた。




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