フォーサイス屋敷の惨劇【1】
※血まみれ回、注意。
その人の人格を疑ったことは無かった。ただ、家族の中にいる姿には違和感があって、何故だか目を背けたくなった。その違和感、据わりの悪さの正体を突き詰めることなく、家族の問題は渦中の人にしか分からないからと、ずっと無視してきた。だから、「ルーク」なんて、さほど珍しくもない男の名前を聞かされたところで、その人と結び付けることなどなかったのだが、二人が話しているのを聞く内に、そうかもしれないと思っていた。
改めて考えてみると、違和感の正体は、偏に、子への愛情の欠如だったように思う。カインは幼い頃より、サリーと、サリーに伴われてチェスサロンを訪れていたフェリックスとに面識があった。夫であるフォーサイス子爵の意向で、家庭に入った後は大会には出ていないというサリーであったが、サロンでは無敗の女王として君臨していた。その脇に控え、ちょこちょこと甲斐甲斐しく茶や菓子を運ぶフェリックス。そんな二人の関係性の違和感。
母というものは大概、自分を殺して子を主役に据えるような時間が少なからずあるものだが、サリーにはそれが無かった。いや、以前はあったのかもしれないが、カインがサロンで頭角を現し始めると、サリーの興味はこちらへ移った。フォーサイス子爵邸に呼ばれたこともあったが、フェリックスはあけすけな態度でカインを疎んできたし、カイン自身も母の興味を奪ったかもしれないことが申し訳無くて、いつからかフェリックスとアリシアの兄妹を避けるようになって、ここ何年かは完全に足が遠のいていた。
(こんな理由で来ることになるとは……)
フォーサイス子爵領に行くと伝えると、ラルフは自分が率いる隠密隊から二名の精鋭を伴に寄越してくれた。とはいえ、姿を見せたのは一人で、もう一人は伝令役の「影」なのだという。そんなわけで、二人と見えない一人とで馬を駆りたどり着いたフォーサイスの屋敷であったが、敷地に入って早々に嫌な予感がした。昼間だというのに静か過ぎる。
呼び鈴を鳴らしても、声をかけても、人の動く気配がない。ここでラルフの寄越した青年が動く。いつの間に回ったのか、屋敷の裏手から「カイン様、こちらへ」と声をかけられ歩いて向かうと、屋敷の陰で転がった籠と果物が視界に入った。初めて遭遇する人間の生活する気配に、少なからず安堵し、近付いて、ぎょっとした。果物と思った物は、茂みの中から地面に投げ出された、人の手であった。血の通っていない青白い手。
敢えて茂みの中は見ず、建物の裏に目をやる。台所と思われる戸口を見つけ駆け寄ったは良いが入るのを躊躇したのは、ドアノブについた赤い指の跡のせいだった。
ひとつ息を吐き、意を決して、掴み、回す。
そこからは、ただ、ただ、凄惨。
冷たい石の床の上にひろがる赤黒いぬかるみ。横たわる、人だった物体。体温を感じさせない空気に、死と鉄の臭いが混じる。それらの全てに吐き気を覚えながらも分け入り、探す。
屋敷の人間は多くなかった。生活を回すための最小限の人員。それが全て殺されていた。多くない部屋をひとつひとつ確かめながら奥へ進む。ドアを開けるたびに何も無いことに安堵するか、何かを見つけて絶望し、段々と、自分の探しているのが、目当ての人物か息のあるものなら誰でも良いのか、何かを見つけたいのか何も見つけたくないのか、分からなくなる。そうして残りの部屋も少なくなり、すっかり諦めがついた頃、ついに見つけた。
窓際に佇み、ベッドを…… ベッドの上で首を掻き切られ血の海に沈むフォーサイス子爵を…… じっと見つめる人物。逆光なのも手伝い、その顔に感情は読み取れない。ただ、血塗れの身体と服とが、今の状態の子爵に触れたことをカインに悟らせた。
「フェリックス……」
ただ一点、父のみを見つめていた目が、ゆっくりとこちらに向く。
「やあ」
それだけ言うと、またベッドに視線を戻して黙り込んでしまった。
「サリーはどこだ?」
カインの問いに答えはなかったが、しかし、フェリックスの纏う空気は穏やかで、その顔には薄い笑みが浮かんでいる。
「……ねえ、昔話しにつきあってくれない?」
本心を言えば、一刻も早くこの場所を離れたかったが、この状況でフェリックスの願いを無碍にすることも、狂気を刺激することもできなかった。黙って頷き気持ちを整えると、「好きなだけ話せ」と促すために、腕を組んで壁に寄りかかり楽な姿勢を取る。
「ありがとう」
カインの気遣いにフェリックスはくすりと笑い、素直に礼を言う。
「こんな時、どういう感情を持つのが正しいんだろうな。やっと解放されたと喜ぶべきなのか、遂に捨てられたと悲しむべきなのか、わからないんだ」